Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ウディ・アレンのバナナ

2025-01-21 | 映画(あ行)


◼️「ウディ・アレンのバナナ/Bananas」(1971年・アメリカ)

監督=ウディ・アレン
主演=ウディ・アレン ルイーズ・ラサー カルロス・モンタルバン 

僕が初めてウディ・アレン映画を観たのは中学生の時分で、地上波で放送された「スリーパー」(1973)だった。ドタバタのギャグだけでなく、際どい性的なネタもあったから、今思うとよく親は黙認してくれたよな😓。初期コメディ路線の本作「ウディ・アレンのバナナ」は今回が初鑑賞。いやー楽しませてもらいました。

新製品のテスト係をやっている主人公。活動家の女性と付き合うようになったが、「物足りない」と捨てられてしまう。傷心の彼は、一緒に現地の記事を書こうと約束していた政情不安な軍事政権国家を訪れる。ところが反政府勢力に捕らえられ、いつしか共に行動する羽目に。そしてグループのリーダーになっていく。…という長いものに巻かれっぱなしの男の物語。

4コママンガみたいな小ネタのギャグが次々と繰り出されてくるのだが、後の作風と比べると話術で笑わせる場面は少ない。映像できちんとオチを示してくれるのが面白いのだ。ハープ奏者の場面は思わず吹き出した。あんなとこから出てくるなんて🤣。

ヘビの毒は口で吸い出さないといけない!と指導される場面。みんなが「口で吸う!」と唱和するけど、これってスネークマンショー(若い世代はわからないよね💧)の「急いで口で吸え!」の元ネタ?と勝手に想像した。そして女性がヘビに噛まれた!と走ってきたら、男が彼女に群がるのに大笑い。

エロ本を買おうとしてるのに、視線が向けられると違う態度をとる様子にケラケラ笑ってしまった。この場面の仕草を見ると、笑いのルーツはチャップリンだなーと改めて思う。警官がこっちを向くとそ知らぬ振りをするチャップリンみたいな。冒頭の身体が鍛えられるオフィスデスクは、まさに「モダンタイムス」の自動給食機を思わせるし。

革命という政権のとっかえひっかえを皮肉っていると同時に、それを他人事として茶化すばかりのマスコミをもあざ笑う。そういえば「スリーパー」も未来社会の革命に巻き込まれる話だな。70年代前半のバカやってる時代のアレン作品、あと何本か未鑑賞あるから挑んでみたい。




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エマニュエル

2025-01-15 | 映画(あ行)


◼️「エマニュエル/Emmanuelle」(2024年・フランス)

監督=オードレイ・ディヴァン
主演=ノエミ・メルラン ウィル・シャープ ジェイミー・キャンベル・バウアー ナオミ・ワッツ

2025年の映画館初詣。シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」は親に隠れて観た世代なもので、同じ原作を再び映画化と聞いて、気になって映画館へ。

あの「エマニエル夫人」とは全然別な話。共通点は舞台がアジアであること、現地の男性となさるクライマックスであることくらい。性を通じてヒロインが開花するシルビア版とは違って、ノエミ・メルランは最初から仕掛けてくる。飛行機のシーンって、シルビアは何も言えずになすがままだった。この冒頭で自ら行動するヒロインであることを観客に印象づける。

大手のホテルチェーンから依頼を受けて、現場の評価をするために香港のホテルにやって来たヒロイン。ホテルに現れる様々な人々が、彼女に話す様々な性についての考え。追う者と追われる者。見られる快感。自分で自分にもたらす快感。仕事と役割に縛られていた彼女が、まだ見ぬ性の闇に一歩を踏み出す。確かにだんだんと大胆な行動にはなっていくのだけれど、それが彼女をどう変えていくのかは深くは語られず。うーん、成長物語を期待しすぎなのかな。

ノエミ・メルランもナオミ・ワッツも企業には使い捨てられる駒としか見られていない。そんな状況の中で、何を頑張って誇りに思っているのかをナオミ・ワッツが語る場面は印象に残る。それを聞いて主人公が選択する行動。そこがヒロインの変化と言えるかも。シルビア版が性に奔放な男性の手ほどきもあって心も解放されたのに対して、自ら行動を起こすところが当世風なのか。ともあれ、ノエミ・メルランの熱演は見どころ。

伝説の店だと言うから「アイズ・ワイド・シャット」の秘密クラブみたいな性の巣窟かと思ったら、ゴージャスな雀荘めいた店で肩透かしを喰らうw。最後は意中の日系人を含めて3人で…という展開に。「続エマニエル夫人」に出てくる3人で絡み合う美しい場面を期待したが、暗闇で通訳介して抱き合うだけ。そして唐突なエンディング。

僕は音楽がとても官能的に感じた。特にエンドクレジットで流れる弦楽。薄く和音が流れる中で、4分音符で一定のリズムを刻む演奏。その上に同じ4分音符のか細いメロディが喘ぐようなビブラートで重なる。重なり合った男女が刻むリズムを音楽で表現したらこうなるのかも。考えすぎかw



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オリエント急行殺人事件 死の片道切符

2025-01-10 | 映画(あ行)


◼️「オリエント急行殺人事件 死の片道切符/Murder On The Orient Express」(2001年・アメリカ)

監督=カール・シェンケル
主演=アルフレッド・モリナ レスリー・キャロン メレディス・バクスター アミラ・カサール

アガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」の映像化で、本作はアメリカのテレビ向けに制作されたドラマ版。申し訳ないけれど、シドニー・ルメット監督版(名作!)やデビッド・スーシェのテレビシリーズ、ケネス・ブラナー版には遠く及ばない。本作を観てクリスティ作品を観た気になってもらっては困る。いい作品は他にいっぱいあるぞ。

クリスティの原作を現代劇に翻案した試み。発想はわからんでもないが、ちょっと無理がある。何よりも大きいのは、原作の当時とは違ってオリエント急行は東西を結ぶ国際寝台列車ではなく、観光列車の性格が強くなっていることだ。本作でポアロが乗客に聞き込みする度に、列車に乗った理由をいちいち尋ねるから話がまどろっこしい。空路ならパリまであっという間になのに、わざわざ列車に揺られて遠回りすることはないのだから。

アルフレッド・モリナが演ずるポアロも、従来のファンには物足りない要素があれこれ。本作のポアロは、僕らがポアロに抱いている小綺麗な紳士のキャラクターとは違う大柄なヒゲ男だ。おまけに現代劇なので、ノートパソコンでアームストロング事件を検索したり、乗客も携帯電話使ってるし、かつてPDAと呼ばれた情報端末(90年代のザウルスとか・懐)まで登場する。いやいや、ポアロはこんなことしないよ。おまけに最初と最後に美しい恋人(?)も登場。彼女の職業にびっくり!🫢。それ付き合う相手間違ってない?

残念なのは、列車で移動しているムードが感じられないこと。車窓が映されるシーンも少ないし、ガタゴト揺られているような演出もあまり出てこない。最後はカーテン閉め切ったラウンジのような車両で謎解き。なんだかなぁー。

ともかく、アルフレッド・モリナのポアロが見てみたかったのでした。往年のスター、レスリー・キャロンが老夫人役で出演。




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おとぼけオーギュスタン

2025-01-04 | 映画(あ行)


◼️「おとぼけオーギュスタン/Augustin」(1995年・フランス)

監督=アンヌ・フォンティーヌ
主演=ジャン・クレティアン・ジベルタンブルン ステファニー・チャン ギ・カザポンヌ 

ココ・アヴァン・シャネル」のアンヌ・フォンティーヌ監督初期の作品で、60分の中編。パートタイムで保険会社に勤務しながら、俳優業をしているオーギュスタン。彼の日常とメジャー作品のオーディションに挑む様子が描かれる。

タイトルとジャケットのデザインから、ムッシュユロ(「ぼくの伯父さん」)みたいな小洒落たコメディを期待していた。だがこれがなかなか曲者の主人公で、ケラケラ笑えるような作品ではなかった。

俳優の仕事もないのに、三枚目役は嫌、感情表現は苦手とか変な注文ばかりつける。オーディションはホテルボーイ役だからと高級ホテルで一日見習いを頼み込むが、部屋の清掃をする中国人女性に「また会いたい」とか言い寄る始末。職場では同僚の仕事ぶりを上司に悪く言って点数を稼ぐけど、女性社員には終始からかわれる。

彼は生真面目すぎる人なんだろうけど、ちょっと扱いにくいタイプ。タイトルにある"とぼけた"人でもない。本人は大真面目に物事に向き合っている。周囲と噛み合わない様子で笑わせるのが狙いだろうが、今ドキの若い世代に"イタい"と言われそうなオーギュスタンを笑いのネタにするのは、観る人によっては不快に映る気もする。

オーディション場面で相手をしたティエリー・レルミット。何を言われても大らかに対応する姿がいいね。


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アガサ・クリスティ 〜謎の失踪 失われた記憶〜

2025-01-01 | 映画(あ行)



◼️「アガサ・クリスティ 〜謎の失踪 失われた記憶〜/Agatha Christie : A Life In Pictures」(2004年・イギリス)

監督=リチャード・カーソン・スミス
主演=オリヴィア・ウィリアムズ アンナ・マッセイ レイモンド・クルサード スティーブン・ボクサー

アガサ・クリスティーが11日間失踪した1926年の事件は謎に包まれている。それはミステリーファンやクリエイターの想像をかき立て、数々のドラマや映画が製作されてきた。

本作は、発見時に記憶を失っていたアガサに向き合う精神科医が、催眠療法で失踪の謎に迫ろうとするお話で、英国BBCテレビの製作によるドラマ。失踪期間がこうだったら面白いという発想で製作されたドラマ「アガサと殺人の真相」(2018)のライトなミステリー仕立てとは違って、アガサ自身の行動と心の闇に迫るドラマになっている。

本編は大きく2つのストーリーが並走する。アガサの失踪であたふたする周囲の人々、精神科医とのやり取りを描く1926年パートと、舞台「ねずみとり」10周年を祝う1962年のパーティ会場でアガサが受けるインタビュー。若き日のアガサはオリヴィア・ウィリアムズ(「17歳の肖像」の先生役が良かった)、老年のアガサはアンナ・マッセイ(ヒッチコック「フレンジー」で殺される被害者の一人)が演じている。

史実としては、アガサが大戦中看護に従事したこと、薬に詳しくなるエピソード、離婚を経て2番目の夫マックスと出会うまでが紹介される。幼い頃から繰り返しみる夢に出てくる銃を持ったうす汚い男のイメージが、ことあるごとに彼女を精神的に苦しめる描写は、ホラー映画のテイスト。全体的にはどよーんと暗い雰囲気で娯楽作ではない。だが2000年代に入ってもこうした作品が製作されるのは、クリスティに対する人気と興味が衰えを知らない証でもある。




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アルフィー

2024-12-27 | 映画(あ行)


◼️「アルフィー/Alfie」(1966年・イギリス)

監督=ルイス・ギルバート
主演=マイケル・ケイン シェリー・ウィンタース ミリセント・マーチン ジュリア・フォースター

主人公が観客に向かって語りかける映画にもいろいろあるが、大部分の主人公にはイラッとさせられる。「アニー・ホール」のウディ・アレンや「ハイ・フィデリティ」のジョン・キューザックの恋愛自慢は、派手な遍歴もない僕らには嫌味でしかない。フェリスがどうとかいう映画では、学校をズル休みする手段や理由をご丁寧に解説するマシュー・ブロドリックが、映画前半僕らをイライラさせた(個人の感想です)。

さて。本作の主人公アルフィー・エルキンスもその類。幾股かけてんの?と呆れてしまうプレイボーイぶりで、「人妻は旦那に会わせようとする」とか先の展開を次々に言い当てる。男女の駆け引きには百戦錬磨ってとこだろうが、だんだんと彼の言動が人を傷つけていることが見えてくる。ガールフレンドの妊娠エピソードあたり(かなり冒頭w)から、僕はディスプレイ越しにマイケル・ケインを睨みつけていた💢、多分。なんて奴だ。

全体的には軽妙でテンポもいいし、スーツ姿の英国男子は基本的に好きだし、ポール・マッカートニーの彼女だった頃のジェーン・アッシャーも出てくるし、ソニー・ロリンズ🎷の劇伴、バート・バカラック作の主題歌なんて、僕が興味をそそられる要素は満載。

だけど、付き合ってる彼女たちに対するアルフィーの態度と言葉は、上映時間が進むにつれてだんだん許せなくなってくる。病院で同室だったハリーに「人を傷つけている」と指摘されてもどこ吹く風。そのハリーの妻リリーに手を出す始末だ。最後の中絶エピソードは観ていて辛かった。

奔放な遊び人アルフィーの言動だけ見れば、胸糞悪い映画という印象だけが残る。彼にとっては束縛されない自分を貫くことしか頭にないのだ。女好きは結構だけどリスペクトがないにも程がある。しかし、ところどころに他人に対する思いを感じて気持ちが揺らぐエピソードが挟まる。こうした場面が映画としての救いになってる。ギルダとの間に生まれた息子マルコムに対する思わぬ子煩悩ぶり、洗礼式でのマルコムの様子を陰で見る場面はちょっと切ない。リリーの処置を終えた後を見て涙する場面は印象的。金持ちのルビー(シェリー・ウィンタース好演)にはもっと若い男に走られ、映画のラストでは付き合っていた人妻に素っ気なくされる。アルフィーは生き方、いや女性への向き合い方を変えられるのか。

「007」以外のルイス・ギルバート監督作を観るのは、「フレンズ」に次いで2本目。女性にキツい言葉を投げるアルフィー君は、ロジャー・ムーア氏の爪の垢でも煎じて飲んでなさいよ、ったく。イラついたけれど、ソニー・ロリンズのサントラ盤を通勤中に聴きながら、英国男子気分を勝手に味わってる自分はなんなのさw




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エール!

2024-12-25 | 映画(あ行)


◼️「エール!/La famille Belier」(2014年・フランス)

監督=エリック・ラルティゴ
主演=ルアンヌ・エメラ カリン・ヴィアール フランソワ・ダミアン

本作のリメイクである「コーダ あいのうた」は大好きな作品。アカデミー賞受賞した報を目にした時は、思わず声あげちゃったw。そのオリジナル版に挑むの巻。どうしても比較してしまうのは申し訳ない。

パリタクシー」のレビューにも書いたけど、僕は若い頃、人情ものフランス映画を観ると、とっても感動して高評価する一方でどこかむずがゆい気持ちになっていた。でき過ぎな程にいい話だし、ホロっ🥲ときちゃう。でも、こんなに善人はいないとか、素直に感動するのをためらう気もちも捨てきれないでいた。「幸せはシャンソニア劇場から」「バティニョールおじさん」「ピエロの赤い鼻」「チャップリンからの贈りもの」などなど。

でも今の年齢のせいなのか、近ごろそういう映画が心地よくなっている。2024年に観て気づきをくれた「アイミタガイ」に出てくる、「今はそんな話を信じたい」って台詞にすっごく共感したのだ。そんなタイミングで本作を観たのはよかった。若い頃にこの映画に出会っていたら、多分むずがゆい感動作としか捉えられなかったと思えた。

リメイク作品は観る順番で印象が変わってしまうところがどうしてもある。今回「エール!」を観ていい話だとは思ったし、リメイク同様に同じところで泣かされたし、キャストの演技も素敵だ。この作品あってのリメイク「コーダ」だったことを確信。

だけどリメイクは万人向けの訴求力が違う。言葉は悪いが後出しジャンケンのようなものだから、同じく作品のテイストなら改変された演出がよく見えてしまいがち。コーラスの発表会、両親だけがポーラの歌声を聴けない場面。「エール!」は周囲の反応とそれがわからない家族が客観的に映されている。「コーダ」はこの場面を両親の主観ショットに変更して、しかも唐突に無音にする演出に改変。娘の歌声が聴こえないもどかしさや周囲との感じ方の違いで戸惑う様子がより強く描かれている。それだけに娘の喉元に手をあてて歌を感じようとする次の場面がさらに涙を誘うことになる。

でも家族の描写は「エール!」の方が自然で微笑ましく感じられた。娘が初潮を迎えたことを喜びまくる母親、頑固な父親、エッチなことに興味津々の弟。母親の演技がオーバーアクトに感じられた方もあったかもしれないが、意思を伝えるのに身振りは大きくなるものだと思う。リメイクでは家族と社会の関わりがより強くて描かれて、健聴者のヒロインが家族と離れがたい状況が強調されている。これはそれぞれの良さだろう。

音楽教師とのレッスンで歌うEn Chantant(歌と共に)は歌うことにまっすぐなヒロインが感じられるし、オーディションで「いい選曲だね」と褒められるJe vole(青春の翼)の伸びやかな歌声も感動的。でもミシェル・サルドゥのJe vais t'aimerなんて、狂おしい大人の愛の歌を高校生男女に歌わせるセンスがよくわからない。フランス語や音楽文化に通じている人なら、感じ方も違うんだろうな。リメイクではマーヴィン・ゲイやデビッド・ボウイで馴染みがあったし、オーディション場面はジョニ・ミッチェルのboth sidesで、歌詞が聴覚の有無という意味にも捉えられてそれがさらに涙を誘った。また「コーダ」観たくなってきたw




「エール!」のサントラとヒロインを演じたルアンヌの楽曲を配信で聴いている。言葉はわからないけどフレンチポップスは響きが心地よくって好き。映像と音楽が一体になる瞬間の美しさが感じられる素敵な映画でした。



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アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師

2024-12-01 | 映画(あ行)


◼️「アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師」(2024年・日本)

監督=上田慎一郎
主演=内野聖陽 岡田将生 小澤征悦 川栄李奈

上田慎一郎監督は見せ方が上手。本作を観て改めてそう思った。台詞に頼らない映像で、置かれた状況や心情をちゃんと伝えてくれる。特に短い場面の心理描写が見事なのだ。「カメ止め」の後半もそうだったし、カンヌ映画祭×Tiktokのショートムービーコンペで受賞した「レンタル部下」の切ない感じも好きだったな。

「アングリー・スクワッド」は韓国ドラマを現代ニッポンに翻案した作品と聞く。チームで大掛かりな詐欺をするいわゆるコンゲーム。巨額の脱税をしている外面のいい金持ちに、地面師詐欺で挑む話だ。しかし単に泥棒や私腹をこやすために人を騙す話ではない。そこにはいろんな意味での復讐の感情が絡んでくる。しかもそれに真面目な税務署員が加わるってところがいい。

行動の裏にある真意を知ると同じ映像の見え方が変わってくる。感情が乗った映像がある映画ほど雄弁なものはない。主人公熊沢が詐欺一味に加わるまでの日々。上司に逆らえず、長いものに巻かれ、富ある者に屈辱を味合わされる。正しいことをしようとするのに立ちはだかる分厚い壁。それを覆えす話だから、とにかく気持ちがいい。鬱展開や重たいテーマの日本映画が多いだけに、こういうのを待っていた気がする。

内野聖陽の困った顔と自信たっぷりの岡田将生。川栄李奈、真矢みきなどなど個性が際立った役者陣も素晴らしい。

そして上田監督の見せ方の上手さ。えっ?そうくる?とテンポよく観客の期待を小さく裏切りながら、その先に用意された大どんでん返しに僕らはさらに転がされる。ショートムービー「みらいの婚活」も僕らが見ている風景を次々に根底からひっくり返して驚かせ、真の意味を知ってしんみりさせてくれたけど、そうした実験の発展型が本作だ。現実味がないとか堅いこと言わずに、この素敵な120分に向き合って欲しい。ラストの内野聖陽が悪役小澤征悦に言うひと言は、「アンタッチャブル」のラストでエリオット・ネスがカポネに言う「授業終わり!」に匹敵するカッコよさw(言い過ぎ?😆)



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アイミタガイ

2024-11-10 | 映画(あ行)


◼️「アイミタガイ」(2024年・日本)

監督=草野翔吾
主演=黒木華 中村蒼 藤間爽子 西田尚美 田口トモロヲ

ー相身互い
今どきはなかなか耳にしなくなった言葉だ。同じ境遇にあるなら支え合うとか、お互い様とかそんな意味合い。自分がかけた優しさは巡り巡っていつか自分に返ってくる。

親友の叶海を突然の事故で失った主人公梓。叶海の両親。梓の恋人で間が悪くてどこか頼りない澄人。梓の祖母、ヘルパーの叔母、叔母が担当する高齢女性。叶海が生前にした行動がそれぞれの人を繋いでいく。伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」や「ラブ・アクチュアリー」みたいな、縁が縁を紡ぐような群像劇が好きな人には向いてる映画だと思う。

話題になる邦画は扱うテーマが重たい作品が多くて、正直なところ映画館に行くのをためらってしまうことが多かった。現実で起きてる問題から目を背ける気はないけど、映画館で辛い思いをしたくなくて。

この「アイミタガイ」について、善人しか出てこないとか、現実味がないとか言う感想を見かける。確かにそうかも。でも、劇中図書館に勤める叶海の父(田口トモロヲ)が「今はそういう話を信じたい」をポツリと(イケボで)言うように、僕もそんな気持ちだった。毎日のヘヴィなニュースや日常にちょっと疲れているんだろう。

だからパズルのピースが次々にはまっていくように、それまでに登場した場面が関連づけられていく様子がとにかく心地良くって。そこで祖母が言う「相身互い」という言葉の意味を噛み締めているヒロイン梓の表情がとてもいいのだ。「世間は狭いよね」で片付けちゃダメ。誰かの行いがあるから、その縁につながっているんだもの。

御年90オーバーの草笛光子が演ずる女性のピアノをめぐるエピソードが素敵だ。梓と叶海の過去につながるだけでなく、時報で流れる「新世界より」の影に隠れて、老婆が弾くピアノに込められた鎮魂の気持ち。この映画の草笛光子も忘れがたい存在になりそう。

エンドロールで黒木華が歌うとは聞いていたけど、予告編を見ていなかったから何を歌うのか知らなかった。そしたら「夜明けのマイウェイ」だったのだ。え?😳荒木一郎作のあの曲!?桃井かおり主演のドラマ「ちょっとマイウェイ」(79)の主題歌で、当時マセた中坊の僕は大好きな曲だったのだ。

悲しみをいくつか乗り越えてきました♪
だからもう私は大丈夫です♪

まさにこの映画のヒロインがいろんな人の思いに背中を押され、そして背中を支えてくれる信頼できる相手がいることを感じたラストに、この歌詞がジワーッとしみてくる。

エンドロールが流れる中で、他のお客さんが出ていって場内には僕だけになった。
だからもう私は大丈夫です♪
もう一緒に歌っちゃったよ😆♪
こんな晴れやかな気持ちでシアターを出られるとは思わなかった。



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赤ちゃんはトップレディがお好き

2024-10-13 | 映画(あ行)


◼️「赤ちゃんはトップレディがお好き/Baby Boom」(1987年・アメリカ)

監督=チャールズ・シャイア
主演=ダイアン・キートン サム・シェパード ジェームズ・スペイダー ハロルド・ライミス

女性の社会進出が進みつつある1980年代。ダイアン・キートン演ずるヒロインは、男と対等に肩肘張って仕事に向き合ってきた。成果も認められて角部屋のオフィスに部下、ドライな関係の彼氏がいて不自由のない生活だった。そこに従姉妹が亡くなり、遺された赤ちゃんを育てることに。「成功するには何かを犠牲にしなくてはいけない」と言われた彼女は、仕事と子育てを両立させようと必死になる。

公開当時は大学生、クラシック映画好きだった頃だからかスルーしていた。今観るとあれこれ考えさせられる。ビジネスで認められる一方で、失われているものはないだろか。生きて行くのにはお金がいるけれど、リッチであることだけが幸せなのか。窓辺でロッキングチェアに座るラストシーンのヒロインを見ながら、とてもほっこりした気持ちになれたのは、今の年齢で観たからだろう。

ダイアン・キートンが着るスーツの肩の大きさ、エレクトリックピアノの美しい劇伴に、80年代の空気を感じる。音楽は「ロッキー」のビル・コンティだが、派手なブラス🎺の楽曲ではなく小洒落たアレンジが耳に残る。主題歌Everchanging Timesを歌うのは、マイケル・ジャクソンとのデュエット曲でも知られるサイーダ・ギャレット。デビッド・フォスターがプロデュースに加わっているようだ。エレピの音が気になったのはそのせいだったのか。

サム・シェパードやジェームズ・スペイダー、ハロルド・ライミスなど助演陣も芸達者ぞろい。医師サム・シェパードと初めて会う場面、勘違いでダイアン・キートンが本音をぶちまける様子が好き。

ビジネス復讐劇でもあるのだけれど、その痛快さよりもヒロインが自分を取り戻す姿こそが見るべきポイント。ダイアン・キートンって、それぞれの時代のカッコいい女性、それまで映画で描かれてこなかった生き方を演じてきた人だと思っている。「アニー・ホール」や「ミスター・グッドバーを探して」、「恋愛適齢期」「最高の人生のつくり方」などなど。本作はその80年代代表と言えるのかも。



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