Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

アイミタガイ

2024-11-10 | 映画(あ行)


◼️「アイミタガイ」(2024年・日本)

監督=草野翔吾
主演=黒木華 中村蒼 藤間爽子 西田尚美 田口トモロヲ

ー相身互い
今どきはなかなか耳にしなくなった言葉だ。同じ境遇にあるなら支え合うとか、お互い様とかそんな意味合い。自分がかけた優しさは巡り巡っていつか自分に返ってくる。

親友の叶海を突然の事故で失った主人公梓。叶海の両親。梓の恋人で間が悪くてどこか頼りない澄人。梓の祖母、ヘルパーの叔母、叔母が担当する高齢女性。叶海が生前にした行動がそれぞれの人を繋いでいく。伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」や「ラブ・アクチュアリー」みたいな、縁が縁を紡ぐような群像劇が好きな人には向いてる映画だと思う。

話題になる邦画は扱うテーマが重たい作品が多くて、正直なところ映画館に行くのをためらってしまうことが多かった。現実で起きてる問題から目を背ける気はないけど、映画館で辛い思いをしたくなくて。

この「アイミタガイ」について、善人しか出てこないとか、現実味がないとか言う感想を見かける。確かにそうかも。でも、劇中図書館に勤める叶海の父(田口トモロヲ)が「今はそういう話を信じたい」をポツリと(イケボで)言うように、僕もそんな気持ちだった。毎日のヘヴィなニュースや日常にちょっと疲れているんだろう。

だからパズルのピースが次々にはまっていくように、それまでに登場した場面が関連づけられていく様子がとにかく心地良くって。そこで祖母が言う「相身互い」という言葉の意味を噛み締めているヒロイン梓の表情がとてもいいのだ。「世間は狭いよね」で片付けちゃダメ。誰かの行いがあるから、その縁につながっているんだもの。

御年90オーバーの草笛光子が演ずる女性のピアノをめぐるエピソードが素敵だ。梓と叶海の過去につながるだけでなく、時報で流れる「新世界より」の影に隠れて、老婆が弾くピアノに込められた鎮魂の気持ち。この映画の草笛光子も忘れがたい存在になりそう。

エンドロールで黒木華が歌うとは聞いていたけど、予告編を見ていなかったから何を歌うのか知らなかった。そしたら「夜明けのマイウェイ」だったのだ。え?😳荒木一郎作のあの曲!?桃井かおり主演のドラマ「ちょっとマイウェイ」(79)の主題歌で、当時マセた中坊の僕は大好きな曲だったのだ。

悲しみをいくつか乗り越えてきました♪
だからもう私は大丈夫です♪

まさにこの映画のヒロインがいろんな人の思いに背中を押され、そして背中を支えてくれる信頼できる相手がいることを感じたラストに、この歌詞がジワーッとしみてくる。

エンドロールが流れる中で、他のお客さんが出ていって場内には僕だけになった。
だからもう私は大丈夫です♪
もう一緒に歌っちゃったよ😆♪
こんな晴れやかな気持ちでシアターを出られるとは思わなかった。



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赤ちゃんはトップレディがお好き

2024-10-13 | 映画(あ行)


◼️「赤ちゃんはトップレディがお好き/Baby Boom」(1987年・アメリカ)

監督=チャールズ・シャイア
主演=ダイアン・キートン サム・シェパード ジェームズ・スペイダー ハロルド・ライミス

女性の社会進出が進みつつある1980年代。ダイアン・キートン演ずるヒロインは、男と対等に肩肘張って仕事に向き合ってきた。成果も認められて角部屋のオフィスに部下、ドライな関係の彼氏がいて不自由のない生活だった。そこに従姉妹が亡くなり、遺された赤ちゃんを育てることに。「成功するには何かを犠牲にしなくてはいけない」と言われた彼女は、仕事と子育てを両立させようと必死になる。

公開当時は大学生、クラシック映画好きだった頃だからかスルーしていた。今観るとあれこれ考えさせられる。ビジネスで認められる一方で、失われているものはないだろか。生きて行くのにはお金がいるけれど、リッチであることだけが幸せなのか。窓辺でロッキングチェアに座るラストシーンのヒロインを見ながら、とてもほっこりした気持ちになれたのは、今の年齢で観たからだろう。

ダイアン・キートンが着るスーツの肩の大きさ、エレクトリックピアノの美しい劇伴に、80年代の空気を感じる。音楽は「ロッキー」のビル・コンティだが、派手なブラス🎺の楽曲ではなく小洒落たアレンジが耳に残る。主題歌Everchanging Timesを歌うのは、マイケル・ジャクソンとのデュエット曲でも知られるサイーダ・ギャレット。デビッド・フォスターがプロデュースに加わっているようだ。エレピの音が気になったのはそのせいだったのか。

サム・シェパードやジェームズ・スペイダー、ハロルド・ライミスなど助演陣も芸達者ぞろい。医師サム・シェパードと初めて会う場面、勘違いでダイアン・キートンが本音をぶちまける様子が好き。

ビジネス復讐劇でもあるのだけれど、その痛快さよりもヒロインが自分を取り戻す姿こそが見るべきポイント。ダイアン・キートンって、それぞれの時代のカッコいい女性、それまで映画で描かれてこなかった生き方を演じてきた人だと思っている。「アニー・ホール」や「ミスター・グッドバーを探して」、「恋愛適齢期」「最高の人生のつくり方」などなど。本作はその80年代代表と言えるのかも。



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アガサと深夜の殺人者

2024-06-09 | 映画(あ行)


◾️「アガサと深夜の殺人者/Agatha and The Midnight Murder」(2020年・イギリス)

1940年、度重なるロンドン空襲。クリスティは戦争中に多くの作品を書いたと伝えられるが、その中にミス・マープルの最終作、ポワロの最終作「カーテン」が含まれている。この2作はこの時期に発表されず、クリスティが亡くなる1976年に初めて出版されることになる。第二次世界大戦の中でロンドン市民もクリスティも、空襲に怯えて暮らしていた。実際にインタビューでも自分は空襲で死ぬと思っていた、と述べている。

英国チャンネル5製作の妄想アガサシリーズ第3作は、戦禍の時代を背景に、生活のためにポワロ最終作を売る決心をしたアガサが殺人事件に巻き込まれる物語。

アジア人のファンに原稿を売ることにしたアガサは、ホテルの地下にある店にボディガード的な付添人と訪れる。目を離した間に原稿がなくなるトラブルが発生。そこに空襲警報が鳴り響き、アガサを含む店の客たちはその場から動けなくなる。すると取引相手が突然苦しみ出して死亡。居合わせ女性巡査が場を仕切ろうとする中、二人目が殺される。犯人は誰か。アガサの観察眼が全員に向けられる。

今回もクリスティ作品"ぽい"演出でアガサの実像を描こうとしている趣向が面白い。おなじみの閉鎖された空間、一人ずつ犠牲者が出て疑惑の目が交差する。オープニング以外は、店と隣室、ホテルのバーとロビーくらいしか場面がない。舞台劇と言ってもいい演出になっているのも面白い。クリスティ作品と言えば、ロングラン記録をもつ「ねずみとり」や「検察側の証人」など戯曲の傑作も多いだけに、ここにもリスペクトが感じられる。

本作が他の2作品と違うのは見ていてほっこりできる要素が全くないことだ。観客も店に閉じ込められているかのように、カメラは主観移動ぽく右を向き左を向き、たじろぐようにあたりを見回す。銃撃もあれば、流血もある。これがいちばん面白いとの感想もあるけれど、確かにいちばん刺激的。

ラストで原稿をバッグに収めながら、「唯一頼れるものを殺すところだった」と言うひと言は、自身が創造したポワロとアガサのこれまでの実績に向けられた言葉なんだろう。それにしても、アガサを中心に何人もの死を招いてしまうエピソードだけに、予想を超えてヘヴィな後味の作品。まぁ妄想ドラマだから、と楽しんでおきましょう。



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アガサとイシュタルの呪い

2024-06-07 | 映画(あ行)


◾️「アガサとイシュタルの呪い/Agatha and The Curse Of Ishtar」(2019年・イギリス)

1928年、離婚が成立したアガサ・クリスティはイラクに旅行する。その旅先で何があってその後につながっているのかを、前作「アガサと殺人の真相」に続いて妄想したドラマ第2弾。2番目の夫となる14歳年下の考古学者マックスとの出会いと、発掘をめぐる事件の謎を共に追う物語になっている。

前作の無鉄砲な行動とは違って、本作のアガサは落ち着きを感じさせる。訪れた発掘現場でマックスが何者かに銃撃され負傷しているのを救う、劇的な出会い。考古学者夫婦を訪ねたら、ペットの猿が首を吊られて死んでいる騒ぎが起きていた。猿を殺したのは誰?アガサは若い頃に身につけた薬学の知識で、猿が毒で死んでいることを突き止める。実は屋敷の誰かが狙われているのでは?と考えた二人。

高圧的な発掘現場の地主、ベッドで激しくイチャイチャする考古学者夫妻、領事とその妻、警備の仕事をする現地の男性、医学の知識を持ちながら雑用係で雇われている女性。それぞれが抱える発掘や英国に持ち去られる品々への複雑な心境、男と女の相関関係が入り乱れる。そんな中で次第に惹かれ始めるアガサとマックスだが、二人の身にも危機が。Filmarksでの微妙な評価と妄想の再現ドラマで甘く見ていたれど、複雑な人間模様と二転三転する展開を僕はけっこう楽しめた。

謎解きの現場に登場人物が一堂に会するクライマックス、毒物に関する描写の数々はクリスティ作品"ぽい"ムードを作っていて好感。そしてその後のクリスティが、別のペンネームであるメアリ・ウェストマコットを名乗って恋愛小説を発表する史実につなげていく。コナン・ドイル宛に電報を打つのは史実なんだろか?そこだけはちと疑問。



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アガサと殺人の真相

2024-06-05 | 映画(あ行)


◾️「アガサと殺人の真相/Agatha and The Truth Of Murder」(2018年・イギリス)

1926年、アガサ・クリスティは11日間行方がわからなくなる。多数の警察官も動員されたこの騒ぎは謎に包まれている。本作は、クリスティの私生活にまつわる謎に、こんなことやってたら面白いかも?という発想で作られたフィクション。英国チャンネル5で放送されたドラマシリーズの第1話である。

この謎の11日間は、バネッサ・レッドグレーブ主演の「アガサ/愛の失踪事件」として映画が製作されたこともある。中学生の頃にテレビで観た記憶はあるのだが、内容はよく覚えていない。そう言えば、最近の「ウエストエンド殺人事件」でもクライマックスでクリスティが登場する。作家本人を描く作品が製作されるのは、それだけ愛されている証。

執筆の悩みと夫婦生活の危機に悩んでいたアガサ。やろうと思い立ったことには「女だから無理」と拒絶され、夫には「愛してない」と言い放たれる。そんな時に、6年前に列車内で起こった看護婦殺人事件を追っている人物から、犯人探しを手伝って欲しいとの申し出が。最初は断ったアガサだが、偽の相続話をでっち上げて関係者を集めることを思いつく。

登場人物が狭い空間に一堂に会するという、クリスティ作品にはお馴染みの舞台。そこで予期せぬ殺人が発生して、「次は誰?」というムードに引っ張るのは、クリスティらしさが感じられる分かりやすい筋書きになっている。警察が介入して
「身分を偽っている者がいれば捕まえるぞ」
と最初に関係者に告げるが、アガサ自身がまさに素性を偽っている。犯人探しのミステリーと、アガサだとバレるかの二重のハラハラが用意されている脚本はなかなか面白い。後者は意外とあっさりした結末にはなるのだが。

集まった人々がクリスティの小説について話を始める。
「アクロイド殺しの犯人はすぐにわかった」
「いちばんあり得ないと思える奴が犯人」
と目の前で酷評される様子が面白い。練りに練ったプロットのはずなのに「すぐに犯人がわかる」とか言われると、作者としては悔しくて仕方ない。フーダニットだけがミステリー小説の面白さではないはずなのに。

映画の最後に、アガサは執筆中の作品のタイトルを「ナイルに死す」と書き換えたように見える。「ナイル」は犯人探しだけでなくポアロの人物像にも迫ったビターな作品。今度は犯人探しだけでないひとひねりした作品を発表しようという意欲と感じられた。が、「ナイル」が発表された時期は失踪よりもかなり後のようだから、わかりやすいフィクションってことなのだろうか。 




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異人たち

2024-05-03 | 映画(あ行)

◾️「異人たち/All of Us Strangers」(2023)

監督=アンドリュー・ヘイ
主演=アンドリュー・スコット ポール:メスカル ジェイミー・ベル クレア・フォイ

山田太一の原作「異人たちとの夏」は、80年代に大林宣彦監督で一度映画化されている。亡くなった両親との再会という人間ドラマが心に残ったが、クライマックスのホラー映画ぽい映像が全体から浮いて見えてしまったのを覚えている(名取裕子ファンだから不満が残ったのは大きな理由かもw)。その原作をイギリスが映画化した「異人たち」を鑑賞。

今回の映画化は、主人公男性アダムはゲイという設定になっている。オリジナルでも両親に思いを告白する姿が印象的だったが、本作ではそこにカミングアウトという要素が加わっている。打ち明けられなかった自分のこと。両親はそんな自分を受け入れてくれるだろうか。家族愛が主たるテーマだったオリジナルに対して、主人公の恋愛も絡む本作は、現代的な改変だけでなく、愛することの複雑さにも挑んでいる。

タワーマンションに住む孤独な男性の部屋を同じマンションに住むハリーが訪れることから物語が動き出す。この時、ハリーを部屋に入れない。
「ドアの影に吸血鬼はいないよ」
とかなんとかハリーが言う。なんとなく印象に残った言葉。郊外にある両親の家を訪ねると、アダムが思春期を過ごした部屋にはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(以下FGTH)のポスターが貼られている。おや、そう言えばマンションでもFGTHのPV見ていた気がするな。この引用にはきっと意味がある。

洋楽にお詳しい方は、80-90年代のあの頃、ゲイであることを公言していたアーティストがいたことを覚えていると思う。ボーイ・ジョージはもちろん、ブロンスキービート、後にカミングアウトするジョージ・マイケルやペットショップ・ボーイズ、そしてFGTHのホリー・ジョンソンらメンバーもそうだった。特に80-90年代はHIV感染症で多くの人が亡くなった頃で、同性愛者間の感染も大きく取り上げられた。ますますカミングアウトすることがはばかられたのは、きっと主人公も同じだったに違いない。アダムもティーンの頃、FGTHを聴きながら本当の自分を隠していたのだろう、と深読みしてしまう。

そして映画のエンディングで、そのFGTHのバラードThe Power Of Loveが高らかに流れる。ドアの影に吸血鬼は…の台詞はこの歌詞の一節。切ない余韻を残してくれる。音楽の使い方で言えば、両親とクリスマスツリーを飾る場面。ペットショップボーイズのAlways On My Mindも素敵。思わず涙がにじんだ🥹。

大林宣彦監督のファンタジー色とは違い、もの寂しい喪失のゴーストストーリー。後悔をたくさん抱えている大人には響く映画に違いない。


…👻


(以下、蛇足ながら)
でもロンドンの古くもないマンションに住人が二人だけって、現実感味がないよね…

はっ!🫢
もしかして…

とさらに深読みをしてみたくもなる。
(個人の感想です)






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宇宙戦争

2024-04-29 | 映画(あ行)

■「宇宙戦争/War Of The Worlds」
(スティーブン・スピルバーグ/2005年・アメリカ)

主演=トム・クルーズ ダコタ・ファニング ティム・ロビンス

 子供の頃、小学校中学年向け位の少年少女文学全集みたいな本が家にあった。けっこう本好きな子供だったので親が奮発して買い与えてくれたのだ(感謝)。妹は「秘密の花園」や「若草物語」を繰り返し読んでいた。その中で僕が夢中になって繰り返し読んだのは3冊。ジュール・ベルヌ「海底二万里」と「空飛ぶ戦闘艦」、そしてH・G・ウェルズ「宇宙戦争」。夏休みの読書感想文の宿題で自由課題だったときに、迷わず選んだのも「宇宙戦争」だった。僕としてはとても思い入れのある原作。これをCG全盛の今、スピルバーグがどう映像にするのか。そこにまず興味があった。

 スピルバーグはウェルズの原作がおそらく大好きに違いない。結末は大胆に変えられちゃうのか?「インデペンデンス・デイ」みたいになったらどうしよう?と心配したけれどそれは杞憂だった。「ジョーズ」や「ジュラシック・パーク」、「未知との遭遇」がうまかったのは危難が次第に近づいていくことを表現するところ。ところが今回は大した予兆も見せない。確かに嵐とか雷とか起るけれど、以前の作品と比べると、唐突な印象を受ける。突然得体の知れないものが出てきて、いきなり街が破壊されて・・・。この変化は何だろう。これはやはり同時多発テロの影響。逃げまどう市民、崩れ落ちる建物はあの記憶を呼び起こすはず。観客は異星人への畏怖と怒りに満ちることになる。戦い続ける州兵たちの姿も痛々しいが、原作を尊重したラストには時代が時代だけにエコロジカルなメッセージを見るかのようでもある。ともかくアメリカ万歳!みたいな映画になっていないところが好感。

 トム・クルーズは叫ぶ、走る、泣く、わめく・・・これまでのヒーロー像はどこへやら。しかも不器用な父親役ってところが面白い。ダコタちゃんが歌ってと言う子守歌を知らないトムが、ビーチボーイズのLittle Deuce Coupeを歌う。ここに僕はかなりグッときました(つーか涙腺ゆるみました)。子供にこれまでかかわってこなかった遊び人の父親。子守歌も歌えない彼が歌ってあげられるのがお気楽なビーチボーイズの曲。でも歌詞にもあるように”お前は僕の宝物”。そこを娘に伝えたいその一心ってのがいいのね。しかし最後は三本足に手榴弾投げ込んだりと大活躍。あ、やっぱりトムの映画だ。

 地下室に隠れているときに触手のようなものが探ってくる場面、原作でもとても印象的なところだ。僕は原作でここを読むのがすごく怖かったのだが、スピルバーグもおそらく同じ思いがあるのだろう。地下室のシーンの緊迫感はこっちまで息が詰まりそう。そういえば「マイノリティ・リポート」に出てくる追跡メカ”スパイダー”も目が追いかけてくるもの。その原点って、実は「宇宙戦争」にあるのかもね。そうそう、見終わって思ったことがもうひとつ。「インデペンデンス・デイ」で侵略者がウィルスに(ネタバレ・反転させてね)にやられちゃうのも、実は古典たる「宇宙戦争」に対するオマージュだったのかな?。

(追記)・・・原作やジョージ・パル監督の映画版が前提としてあることを知っておかないと、古くさい映画に見えちゃうだろうな。でもハッキリ言う。そこがいいんです!。


↓文中に登場した映画とビーチボーイズのLittle Deuce Coupe



コメント (4)
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愛と哀しみのボレロ

2024-04-11 | 映画(あ行)


◾️「愛と哀しみのボレロ/Les Uns Et Les Autres」(1981年・フランス)

監督=クロード・ルルーシュ
主演=ジョルジュ・ドン ロベール・オッセン ニコール・ガルシア ジェームズ・カーン

この映画を初めて観たのは中学3年の冬。映画雑誌を毎月買い始めて、興味のベクトルが多方面に無節操に広がっていた頃だった。欧州映画にも興味津々。ハリウッド製ヒット作ばかりが映画じゃねぇだろ、と映画雑誌を眺めながら思っていたマセガキ。されど地方都市の映画館でヨーロッパ映画が上映される機会は少なくて。そんな時期に地元の映画館で「愛と哀しみのボレロ」上映の報が。マセガキは前売券を地元デパートのプレイガイドで購入し、公開日を楽しみに待ったのだ。

この映画を観たことで、映画を通じた視野が一気に広がった。映画を芸術として初めて意識する経験だったとも思う。知ってる出演者はジェームズ・カーンくらい。でも初めて観る欧米各国の役者たちの熱のこもった演技に感動した。ホロコーストの嵐が当時のヨーロッパをいかに揺さぶったのかを知るきっかけになった。華麗な音楽。ジョルジュ・ドンのバレエ。胸が苦しくなり、音楽でワクワクし、クライマックスのボレロでなんかすごいものを観たぞ、と高揚感でいっぱいになった。残念だったのは、当時まだ地元映画館にはドルビーステレオの音響設備がなく、「愛と哀しみのボレロ」終了後、「レイダース 失われた聖柩」で初登場したこと。

マセガキ少年はその年から、アカデミー賞の真似をして年間ベストを選出するようになる。第1回の監督賞は本作でクロード・ルルーシュ!なんて生意気な俺。

それからウン十年経った2024年3月、「午前十時の映画祭」で久々の鑑賞。14歳の頃と同じく感激したけれど、マセガキ時代とは違って、いろんなものを吸収しているから、映画の良さにいろいろ理由づけができる。出演者の他の作品を観ているのは当然だけど、その経験値以上に、少年だった自分が"違いが分かる"おっさんになってることを、認識することになったのだ(笑)。

例えば、ボレロを踊ったジョルジュ・ドンについて。後に興味がわいて振付のモーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画も観た。あの振付の裏側を知り、ジョルジュ・ドンの踊りがいかに全身を酷使しているものなのかを知った。今回改めて観て気づいたのは、腹筋でリズムをとっていること。拍の頭でお腹が大きく凹んでるから、全身の動きが大きくなる。あの頃じゃ気づかなかった。さらに、空中で足先が交差するアントルシャ。これをスローで捉えた映像には惚れ惚れする。

もともとフランシス・レイが好きだったから、ミシェル・ルグランとタッグを組んだ本作には14歳で観た時も音楽に感動した。ウン十年後の僕は、ジャズミュージシャンとしてのミシェル・ルグラン作品が好き。CDも何枚か購入して、アレンジや演奏の凄さを思い知った。メロディはレイ、アレンジはルグランが手がけているようだ。同じ楽曲がアレンジ違いで繰り返し奏でられる。その使い分けの見事なこと。戦時中は歌詞がなかった「サラのセレナーデ」が、物語の進行と共にアレンジが変わる。ドイツの占領下となった前後で、パリで奏でられる音楽はガラリと装いを変える。アレンジで時代の変化、演奏する側の変化を表現している。

登場人物はとにかく多いし、同じ役者が二代、三代演じるから、ボーっと見てると混乱しそうな映画ではある。14歳のオレ、理解してただろうな?w。でも、その複雑さを感じさせないのは、ルルーシュ監督の映像によるスマートな進行にある。帰還した音楽家の家がパーティで盛り上がるのと対照的に、窓越しに向かいの家で訃報が伝えられる場面。カットは変わらないし、ズームしてるだけ。上手いよなぁ。

改めて観ると、リシャール・ボーランジェやジャック・ヴィルレなど、ウン十年の間に好きになった映画に出演した面々の若い頃も見られる。初めて観た時もエブリーヌ・ブイックスに惚れたのだけど(マセガキw)、やっぱりお綺麗。彼女も二世代を熱演している。

映画の良さはもちろん、自分があの頃とは観る目が変わっていることを改めて思い知る映画鑑賞でした。観ることは糧になってる。それは実感。






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オッペンハイマー

2024-04-09 | 映画(あ行)


◾️「オッペンハイマー/Oppenheimer」(2023年・アメリカ)

監督=クリストファー・ノーラン
主演=キリアン・マーフィー エミリー・ブラント ロバート・ダウニーJr. マット・デイモン 

クリストファー・ノーランがオスカーを制した「オッペンハイマー」。これまでノーランはSF、サスペンス、アメコミ、戦争映画を手がけ、時系列と既成概念をぶち壊す大胆な演出で一時代を築いた。歴史に残るヒット作の中に作家性を保ち続ける作風。何もここまでめんどくさい映画にしなくても…と毎回思ってきた。非現実と非日常を描いてきたノーランが次に手がけたのは現実世界の出来事。しかも原爆の父と呼ばれた物理学者オッペンハイマーの伝記映画だ。

おそらく僕ら世代の映画ファンなら「シンドラーのリスト」を撮ったスピルバーグを重ねてしまうのではなかろうか。ファンタジーを撮る映画少年が、ホロコーストという厳しい現実を撮る。誰もが驚いたし、その出来栄えに賞賛を送った。ノーランも同じ道を辿っているように思える。

被爆国日本での公開は諸般の事情で大きく遅れた。その意見や感情は理解できる。正直なところ、僕も映画館に駆けつけたい程の気持ちにはなれなかった。スクリーンできのこ雲を観て、冷静な気持ちになれるだろうか。ロスアラモスで開発が進むシーンを観ながら、心の片隅で「やめろ」と声がする。結末も歴史も分かっているのに。

映画は原爆投下を正当化している訳ではない。正直なところ、もっと米国万歳な話になっているのではないかと疑っていた。あくまでもオッペンハイマー自身の心境の変化と、彼をとりまく人々の人間模様と対立を徹底した会話劇で示していく。

原子爆弾の開発という目的のために物理学者が集められる。「これは学問の集大成だ」と彼らは言う。学者としてこれ以上ない大実験の機会が与えられたのだから。そんな中でも、オッペンハイマーの友人でもある物理学者ラビが「学問の集大成が大量破壊兵器でいいのか」と冷静なひと言を発する場面は強く印象に残る。しかし、戦争という時代の空気はそうした声をかき消す。さらに、ユダヤ人としてナチスによるホロコーストを許せないオッペンハイマーの気持ちは揺らぐことはなかった。

原爆投下の罪はアメリカ政府にある。ホワイトハウスでのオッペンハイマーとトルーマン大統領との会話はそれを強く印象づける。
「私の手は血塗られている気がします」
オッペンハイマーの言葉を「泣き虫」だと罵る大統領。ロスアラモスにいた物理学者たちも、ナチスドイツが降伏した後、敗戦がほぼ決定的だった日本に原爆を使うことは望んでいなかった。こうした人々や意見が描かれたことで、否定的な意見があったことが広く知られたらいい。本当に憎むべきは、新型爆弾を使う発想しかなかった戦争なのだ。その政府は水爆開発に否定的な彼が都合が悪い存在になり、赤狩りで表舞台から退かせる。

スティングの歌の中で、Oppenheimer's deadly toyと歌われる核兵器。恐ろしいおもちゃ。

作ったことが罪なのか。
使ったことが罪なのか。
本当の破壊者って誰なのか。

広島、長崎の惨状をオッペンハイマーが映像で目にする場面は無言でサラッと過ぎていく。そこで何を見たのかが描かれないことに不満はある。NHKで放送された「映像の世紀バタフライ・エフェクト」では、この場面について次のようなエピソードを流していた。

長崎の惨状を見てきた一人が「爆弾で立て髪の半分を失った馬がいたが、幸せそうに草を食っていた」と報告したことに、オッペンハイマーは「原爆を善意ある兵器かのように言うのはやめろ」と言い放った、という。映画のオッペンハイマーの口からこの台詞を聞きたかった。

3時間近い時間、人間の弱さと醜さを見せつけられた気がした。視点の違い、現在と過去を色彩の差で構成した演出は見事だ。この映画は、戦火が収まらない今の世界に核兵器について考えさせるきっかけを作ったかもしれない。アメリカの観客にどう受け取られているのかは気になるところだ。それにしても、2023年のアカデミー賞で、本作と核が産んだ脅威である「ゴジラ」が揃って受賞したことに因縁のようなものを感じてしまう。これも日本人の身勝手な感想なのかもしれないけど。




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アガサ・クリスティー 奥さまは名探偵〜パディントン発4時50分〜

2024-04-03 | 映画(あ行)


◾️「アガサ・クリスティー  奥さまは名探偵〜パディントン発4時50分/Le Crime Est Notre Affaire」(2008年・フランス)

監督=パスカル・トマ
主演=カトリーヌ・フロ アンドレ・デュソリエ キアラ・マストロヤンニ メルヴィル・プポー

カトリーヌ・フロとアンドレ・デュソリエによるおしどり探偵シリーズ第2作。アガサ・クリスティの原作「パディントン発4時50分」は、ミスマープルシリーズの一編。原作では、家政婦に謎の屋敷への潜入を依頼するのだが、この翻案では好奇心の塊である素人探偵プリュダンスが自ら乗り込んでいく。気難しい屋敷の主人と変わった家族たちに、持ち前の明るさとバイタリティで接していく姿がスリリングで楽しい。前作同様、夫ベリゼールがそれに巻き込まれる。

予告編の編集が実に見事で、細切れでつながれたカットだけで判断すると、とんでもなく危険なお話のように見える。いざ本編を観ると、それぞれがユーモアあふれる場面ばかりだと気付かされる。予告編から観る方々は気持ちよく騙されるw。

皮肉の効いたやり取りは前作同様なのだが、本作は登場人物も多く、お話をテンポよく進める必要もあるから、前作に感じたオシャレ感はやや控えめ。だが、本格ミステリーと出しゃばり夫婦の推理劇の楽しさは、うまい具合にブレンドされていて、死体も殺人も出てくるエンタメ色と、ハッとする謎解きの展開はこちらの方が上かもしれない。まぁ、好みの問題でしょうけど。

キアラ・マストロヤンニ、メルヴィル・プポー、イポリット・ジラルド、それにクリスチャン・バディムと共演陣も名の通った面々。個人的には、謎解きよりも雰囲気に浸りたいタイプの映画だと思えた。そのために繰り返し観てもいいかな。




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