Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

2024年5月のプレイリスト

2024-05-31 | 今日のBGM


◆2024年5月のプレイリスト
2024年5月に聴いていた愛すべき31曲

1 Shibuya Sta. Drivin' Night(伊藤蘭)
サブスクでシャッフルしてたら流れてきた。なんてオシャレなアレンジ。
2 Addicted To You(宇多田ヒカル)
久々に聴いたら、歌詞が胸にグサグサ刺さって、いい歳こいたおいさんが泣きそうになってしまった🥹
3 経験値上昇中(佐藤利奈、井上麻里奈、茅原実里)
アニメ「みなみけ」より。一時期、長女のカラオケ十八番だった合いの手満載の曲🙌
4 ロミオとジュリエット(平原綾香)
EL&Pもカヴァーしたプロコイエフのロミジュリ。平原綾香ver.もプログレぽく聴こえるのは偏った耳のせいかw
5 Caught Up In You(思い焦がれて)(38 Special)
ストレートなエイトビートって心地よい。ついついリピートしてしまう。
6 Heart Of Mine(Bobby Coldwell)
これぞAOR。ボズ・スキャッグスver.よりも優しい響きに癒される。
7 Now On Air(伊藤美来)
アニメ「声優ラジオのウラオモテ」OP曲。
8 Peter Gunn(Jeff Beck & Trombone Shorty)
ヘンリー・マンシーニよ永遠なれ🎸
9 Raspberry(TRICERATOPS)
スリーピースバンドにおけるvo.兼Gt.って大変よね…と聴くたびに思う。
10 Looking Over My Shoulder(想い出の視線)('Til Tuesday)
このバンドはどの曲もベースがやたらカッコいい🎸

11 It's Magic(The Square)
大学生の頃ショルダーシンセで演奏したけど、エアロフォンで吹きたい!🎷♪
12 Little Wish〜Lyrical Step〜(田村ゆかり)
キングスーパーライブで歌われたとニュースで読みまして(懐)
13 Being Pure At Heart〜ありのままでいいんじゃない(カジヒデキ)
この人の作風はいい意味で変わらない。江口寿史のアルバムジャケットが素敵♡
14 Be Good To Yourself(Journey)
いろいろ抱え込んでしまいそうな日々。スティーブ・ペリーの歌声が"自分に優しくしなさい"と諭してくれた🥹
15 Timemachine(坂本美雨)
TMトリビュート盤でカバーした名曲をNHK「カバーズ」で歌唱。これは胸にしみる🥲
16 Get Wild(B'z)
TMトリビュート盤より。デジタルビートとスラップベースに歪んだギター。おおー、初期のB'zっぽい!😂
17 Self Control(方舟に曳かれて)(CAPSULE)
原曲イメージを損なわない、中田ヤスタカらしいテクノ色のカバー。リスペクトを感じる。
18 NighWalker(小林信吾)
「あぶない刑事」サントラ盤より。あの頃らしいカッコいい音が散りばめられてる。
19 僕らは今の中で(μ's)
それぞれの好きなことを信じていれば/ときめきを抱いて進めるだろう
20 #9 Dream(John Lennon)
ドキュメンタリー映画「失われた週末」観たら、無性に聴きたくなりまして。

21 拝啓、ジョン・レノン(真心ブラザーズ)
そして今ナツメロのようにステレオから流れてくる/あなたの声はとても優しい
22 On Her Majesty's Secret Service(John Barry)
「女王陛下の007」主題曲。
23 GEMINI(中原めいこ)
ラストのチークは私と踊って…って歌詞、今の若い子には通じないだろうな💧
24 Elastique(Charlotte Gainsbourg)
この頃のセルジュ・ゲンスブール作品、大好きなのです。
25 Stand By Me(the brilliant green)
川瀬智子は僕のロックアイドル♡
26 マンハッタン・キス(竹内まりや)
特殊な関係だからこそ切ない。ラブソングの大傑作。歌詞の情景描写に泣ける🥲
27 パステルラブ(尾崎亜美)
尾崎亜美がアーティストに提供した楽曲の中でもかなり好きだった曲。セルフカバーで。
28 炎(小室哲哉)
映画「天と地と」サントラより。
29 Dog And Butterfly(Heart)
ハートのアコースティック路線、たまに聴くとすごく癒される。
30 心もよう(井上陽水)
ドラマ「探偵物語」の再放送見てたら、松田優作のギターで水谷豊が歌う素敵な場面が🤩

31 初KO勝ち(椎名林檎とのっち)
わたくし、Perfumeはのっち推し♡。この加工されてない歌声は嬉しい誤算!🤩PVは何度も見たくなるカッコよさ✨🥊






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ハート・オブ・ジャスティス

2024-05-29 | 映画(は行)


◾️「ハート・オブ・ジャスティス/The Heart Of Justice」(1992年・アメリカ)

監督=ブルーノ・バレット
主演=エリック・ストルツ ジェニファー・コネリー デニス・ホッパー

人気作家が銃撃される事件が起こり、撃った犯人エリオットはその場で自殺。彼が地元名士の息子であることから、世間やマスコミの注目を浴びることになる。報道記事で受賞して自信満々の若手記者デビッドは、死んだ作家の作品がその一家の隠されたスキャンダルを描いた作品だったとの疑念を抱く。デビッドは、エリオットの美しい姉エマに接近を試みる。

多くの感想にあるように、大人の美貌を発揮し始めたジェニファー・コネリーを愛でるための作品。黒い下着姿でデビッドに迫る場面(のみ)が最大の見どころ。90年代のジェニファーは、お色気路線まっしぐらだった時代。セクシーな役が続くのを見ながら、彼女はハリウッドに搾取されてる!とファンとしてはヤキモキしたものでございます😣

記者を演じるエリック・ストルツは、80年代育ちには「恋しくて」で好感度高い俳優だが、本作の彼はとにかく不快。調子に乗ってて上司に強気に出るわ、彼女を見下して召使のように扱うわ、同僚にも常に高飛車な態度をとるわ。観ている僕らも、あいつ痛い目に遭えばいいのにと思ってしまう。ほーら、言わんこっちゃないと予想通りの結末を迎える。正直、彼をめぐる筋立ては大して面白くもない。

「ドン・ジョンソン気取りだ」って台詞に時代を感じる。80年代はテレビ「マイアミバイス」で大人気だったよな。

本作で殺される作家を演じたのはデニス・ホッパー。往年のホラー映画俳優ビンセント・プライスも出演。遺作とされる「シザーハンズ」の翌年だから、テレビムービーとして製作された本作が最後の出演作なんだろか。




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ジョン・レノン 失われた週末

2024-05-24 | 映画(さ行)


◾️「ジョン・レノン 失われた週末/The Lost Weekend」(2022年・アメリカ)

監督=イブ・ブランドスタイン リチャード・カウフマン スチュワート・サミュエルズ
出演=メイ・パン ジョン・レノン オノ・ヨーコ ジュリアン・レノン

熱心なジョンのファンに怒られそうだが、このドキュメンタリー映画で描かれる70年代半ばのジョンについて、特にこの"失われた週末"と呼ばれた期間については予備知識がとても乏しかった。偉そうなレビューは書けないので、ご容赦ください。

ジョンとヨーコの個人的なアシスタントであった中国系アメリカ人メイ・パンがジョンと過ごした日々。映画は、当時の楽曲、プライベートショット、交流があったアーティストたちとのエピソード、そしてヨーコとの関係が、生々しい証言と温かみのあるアニメーションやジョンの落書きと共に示される。気を抜くと置いてかれそうなハイテンポで映画は進行する。興味という欲望があるから、映画に引きずられているみたいだった。

言い訳がましくなるが、僕がジョンに真剣に興味を持ち始めたのは「ダブル・ファンタジー」からだし、ダコタハウスの惨劇の後だった。だから当時僕が目にしたのは、音楽的な偉業と、美談として語り継がれそうなラブ&ピースなエピソードばかり。

だからこの映画で語られるのは、よく知らなかったことが多い。ヨーコと離れてある種の安らぎを得たこと、メイと愛し合った日々、そしてヨーコとメイとの間で揺れる心情。エルトン・ジョンやデビッド・ボウイと共演していたのは知っていたが、スティービー・ワンダーとセッションした話にはびっくり。

ヨーコのインタビューこそ挿入されるが、基本はメイ・パン側からの証言で構成されている。かなりヨーコの印象が悪くなるような内容ではあるが、それも彼女の一面なんだろう。

失われた週末と呼ばれた18ヶ月、ジョンが悪ガキだった頃の無邪気さで音楽に向き合っていた様子が心に残った。
I too play the guitar, sometimes play the fool.
(僕もギターを弾くし、時々バカをやる)
と、ジョンはBBCライブのアルバムの冒頭で喋る。他のメンバーが担当楽器と名前を手短に自己紹介する中で、一人だけふざけたことを言うジョン。


この映画で登場する、フィル・スペクターや気心の知れたメンバーで自作曲なしのアルバムを製作する場面は、とても音楽を楽しんでいるのが伝わってワクワクした。それはまさにバカをやってるジョンだった。

そして、息子ジュリアンとの関係には心温まる。子供の頃のジュリアン、最強の美少年っぷり。メイがみんなをつないでくれていて、果たした役割の大きさがよくわかる。音楽を介した人と人のつながりは強いし、時に大きな啓示を与えてくれる。ヨーコとメイがジョンにもたらしたものは、どちらもジョンを形造る大切なものだ。

無性に#9 Dreamが聴きたくなった。




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ジョーズ2

2024-05-23 | 映画(さ行)


◾️「ジョーズ2/Jaws 2」(1978年・アメリカ)

監督=ヤノット・シュワルツ
主演=ロイ・シャイダー マーレイ・ハミルトン ロレイン・ゲイリー

成功作の後を追う映画は、ビジネスだから製作されてしまうもの。だが柳の下に2匹目のドジョウはいない。むろんサメ🦈もだ。しかしこの第2作がスピルバーグ監督の前作と同じプロデューサー、キャスト、ジョン・ウィリアムズの音楽もつけて製作されて、そこそこの成功を収めたことは、後に数々の類似品を産むことになる。そしてサメ映画というジャンルが形成されたと言っても過言ではない。

アミティに再び巨大なサメの脅威が訪れる。前作同様に、サマーシーズンの稼ぎ時を逃したくない人々とブロディ署長のまっすぐな正義感が対立する構図。その対立ドラマは前回以上に激しく、市長や町の実力者たちに都合の悪いブロディは排除される事態に発展してしまう。そんな父に息子たちのドラマも絡んで人間模様が色濃く出た映画になっているのは前作との大きな違いだ。普通ならストーリーに起伏を与えて盛り上げる要素になるところだが、これがどうも煮え切らない印象に終わる。それは話が陸で進んでいるせいだ。

前作は観客も登場人物もただひたすらにサメに気持ちが向いている映画だった。登場人物もサメに執着する漁師、サメの魅力に取り憑かれた海洋学者も交えた濃いキャラクターばかり。そしてストーリーは海の上、船の上で進行する。(予算という事情もあるだろうが)閉鎖された舞台で話が進むから、観客も気持ちの逃げ場がない。そこが脚本の巧さだし、観客を巻き込むスピルバーグの巧さでもあった。「ジョーズ2」のクライマックスは確かにハラハラするけれど、ヨットの上の少年少女と、追いかけるブロディ、港で夫や子供の身を案ずる人々、ブロディを信じなかった人々、と様々な顔がチラついて、観客は感情移入する先が絞り込めない。だって、観客はサメを楽しみたいんだもの。家族愛の物語を期待して「ジョーズ2」は選ばない。

監督のヤノット・シュワルツ(※英語読みじゃなくて、フランス人監督なのでこの表記にします)は、傑作「ある日どこかで」を撮ってるくらいだ、決して下手な人ではないと思う。ヨット遊びの楽しさ、太陽を浴びた水面の美しさは綺麗に映し出されているだけに、それを脅かす出来事が強く印象づけられる。また、前作では自分にできることが定まらずに迷いっぱなしだったブロディが、本作では行動に迷いがない。家庭以外では堅い表情を貫くロイ・シャイダーの演技もいい。ジョン・ウィリアムズの音楽も迫る恐怖を盛り立てるあのメロディに加えて、「スターウォーズ」の惑星エンドアで流れそうな軽やかな楽曲もいい。サメもヘリコプターを襲う大活躍。それぞれの良さがある映画だと思うのだが、なんか惜しい気がしてならない。



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ジョーズ

2024-05-19 | 映画(さ行)


◾️「ジョーズ/Jaws」(1975年・アメリカ)

監督=スティーブン・スピルバーグ
主演=ロイ・シャイダー リチャード・ドレイファス ロバート・ショウ ロレイン・ゲイリー

小学校高学年の頃。観たことないくせに、すげえ映画を撮るスピルバーグって監督がいる、と既に意識していた。強烈なインパクトがある「ジョーズ」や「未知との遭遇」のポスターを眺めながら、どんなんだろ?と心惹かれていたのだ。数年後の1980年には新作公開され映画館に出かけた。僕の初スピルバーグ映画は、幸か不幸か「1941」w。その年に「未知との遭遇 特別編」を映画館で、「激突!」をテレビで観た。大出世作「ジョーズ」を初めて観るのはその翌年の冬、家族が寝た後、地上波の深夜映画だった。「1941」の冒頭でセルフパロディにした、「ジョーズ」のオープニングシーン。浜辺を走り、服を脱いだ彼女は海へと泳ぎ出す。これがオリジナルなのかっ!怖っ!すげぇ!少年は映画を賛美する言葉をテレビに向かって発してしまいそうになる。
「ハーリウーーッド!」
※「1941」観ればわかります

いやはや、噂には聞いてたけど、そこらのホラー映画よりも怖いのにめちゃくちゃ面白くって、恐怖にドキドキするのに、次の展開が待ちきれなくてワクワクしてしまう。こんな映画があったのか。少年はブラウン管テレビの前、クッションを抱きしめながら最後まで観た。いや、すげえもんを観た。興奮気味の少年は眠れなかった。夢にサメが出てきそうだったのもあるが(笑)。2024年5月、あの頃と違って眠れなくって、BS12を録画していた吹替版で久々の再鑑賞。更年期なんだろか💧

スピルバーグの見せ方のうまさ。今観てもまったく色あせない。簡単にはすべてを見せずに、間接的に恐怖を煽ってくる。噛み切られて浜辺に打ち上げられた手、海底に落ちていく足、血に染まる水面。そして何よりも水中から海水浴する人々を見上げる主観移動ショットが見事。ユニバーサルホラーの傑作「大アマゾンの半魚人」を観て思いついたと聞く。サメが迫ってくる恐怖を、観客をサメの視線にして感じさせる斬新な発想。そんな少しずつ迫るものを見せていき、ジワジワと怖がらせていく手法は、後の「ジュラシックパーク」でさらに巧みになっていく。僕ら世代は、スピルバーグがビッグネームになっていく様子を同時代的に追っかけられた。それはいち映画ファンとして素敵なことだ、と今にして思う。

初めて観た時は印象に残らなかったが、改めて観てグッときた場面がある。ロバート・ショウ演ずるクイントが、戦時中にサメに囲まれて仲間が次々と死んでいったと語る場面。歴史上の出来事や科学と結びつけることで、映画を観ている自分たちとどこか地続きの話だと認識させて恐怖を高める演出は、様々な映画で使われる。隕石が地球にぶつかる話にしても、核実験で怪獣が目覚める話にしても。「ジョーズ」に挿入されたこの場面では、戦時中に原爆を運ぶ極秘ミッションに携わった帰路に体験した惨劇が語られる。観客の受け止め方によっては、その挿話が大量破壊兵器に関わってしまった呪いであるかのようにも思えてしまうかも。また、クイントにとって今回のサメ退治は逃れられない復讐なのだと、僕らに納得させてくれる。部屋にかけられたサメのアゴの骨が、過去に取り憑かれた男だったことを物語るのだ。そのアゴ骨のフレーム越しに出航するオルカ号が映される。ちょっとしたショットなのに、すごく意味深に見える。

そしてクライマックス。ブロディが一人で立ち向かう場面は、海の上では役に立たなかった男がことを成し遂げる。これも一つのカタルシス。巧いよなぁ。




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ゴジラ-1.0/C

2024-05-18 | 映画(か行)


◼️「ゴジラ-1.0/C」(2023年・日本)

監督=山崎貴
主演=神木隆之介 浜辺美波 佐々木蔵之介 吉岡秀隆 安藤サクラ

色があることで見えてくるものもあれば、色を抜くことで感じることもある。

チャン・ツィィー主演作「初恋のきた道」をご覧になった方は覚えているだろうか。夫となる男性と出会う過去パートは美しい色彩で描かれるのに対して、夫の死後一人で暮らす現代パートはモノクロになっている。古い時代だから、ノスタルジックだからと過去をモノクロにするのは、一般的にイメージしやすい。しかし、古いからモノクロというのは、古い映像をモニターを通して見ている第三者の視点でしかない。「初恋のきた道」がこれを逆にしたのは、愛する人を失った世界は、主人公にとってもはや魅力的なものではないことを無言で表現している。モノクロは主人公の心の風景だ。

山崎貴監督は「ゴジラー1.0」のモノクロヴァージョンを製作した。ノスタルジーを感じさせる手段としてモノクロにしたのではない。だったら「三丁目の夕日」もモノクロでいいはずだ。「-1.0」はカラーのオリジナルとは印象が大きく異なる。白と黒の陰影になることで戦後の暗澹たる空気や絶望感、そしてオリジナルへの敬意が際立って感じられたのだ。

「また租界かぁ」
オリジナルの「ゴジラ」で印象的な台詞の一つだ。敗戦から間もない日本に新たな脅威として現れたゴジラを前にして、ポツリとつぶやかれたひと言。平和を脅かすもの。軍隊も爆弾も経済危機も、庶民にとってはどれも自分の身に降りかかる災いでしかない。戦争で打ちひしがれた日本に現れた新たな災いは、巨大な足跡を残す。「また租界かぁ」のひと言は映像以上に胸にしみるし、1954年という時代背景を考えれば、とんでもない失望が込められている。そんな場面はあの時代でなければ撮れない。

「-1.0」がモノクロ化されたのは、ビジュアルであの時代の絶望感を、現代の僕らに少しでも感じさせるためのひと工夫だと思う。「また租界かぁ」はできないけれど、陰影にすることで神木隆之介や安藤サクラの表情はますます険しく映る。ゴジラの皮膚が再生する様子や、背びれが発光する様子は、モノクロでは少し物足りないが不気味さは増して見える。得体の知れない災いが迫ってる怖さ。これはあの時代の心の風景を表現するための一つの手段なのだろう。  







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ショック療法

2024-05-16 | 映画(さ行)


◾️「ショック療法/Traitement de choc」(1973年・フランス)

監督=アラン・ジェシュア
主演=アラン・ドロン アニー・ジラルド ミシェル・デュシューショワ 

小学生低学年の頃だったか。親に親戚の家に連れて行かれて、大人たちが話し込んでいる間、テレビがつけられた部屋で待つことがよくあった。そんな日に限ってトラウマ級に記憶に刻まれる番組が放送されていることがあって、何じゃこりゃ😰と思いながらも見入ってしまったものだ。(「何がジェーンに起こったか?」のレビューも見てね)。

ある日、遅い時間になっても大人たちの話が長引いて帰る気配がない。なんちゃら洋画劇場が始まる時間帯に。その夜の作品は「アラン・ドロンのショック療法」。怖いやつなのかな…。少年はとりあえず観ることにした。

都会から離れた海辺にある病院。失恋の痛みを癒すためにヒロインがゲイの友人とやって来る。そこは若返りの治療が施される施設で、セレブたちが滞在して治療を受けていた。

少年の心に強烈な印象を残したのは、映画前半、海草が敷き詰められたサウナの場面。テレビ画面の端から端まで横たわる男女の裸、裸、裸。そのシーンに流れていたウクレレめいた音色の劇伴まで記憶に刻まれた。

なんかすごいもの見ちゃったな😨

と思っていたら、突然男性の一人が「海へ行こう!」と叫ぶのね。「裸で?」と聞く女性にみんなが当然!という顔をして、裸の男女の群れは海へと走り出す。水しぶきがあがり、テレビ画面には不自然な雲のような汚れが見えたり消えたり。え?何これ?初めて観たボカシはこれだった。

そこにやって来たのが、アラン・ドロン演ずるデブリエ院長。彼も服を脱ぎ捨てて海へと向かう。画面の汚れ(ボカシ)が増殖。

おっ、大人ってこんなことするのか!😫
少年の心にとんでもない誤解を植え付けた。そこから病院内で不可解な死が続き…と怖くなったところで、親が「帰るぞー」と戻って来たので、その先を知らないまま。

そして数年後、大学生になった少年は地上波の深夜枠で再び「ショック療法」を観ることになる。
デブリエ院長、あんたって人は…!😰

小学生の頃に全編観なくてよかった。初めてのアラン・ドロン映画がこれだったら(いや、事実上本作なのだが💧)、とんでもない先入観を持つことになっていたろう。榊原郁恵のヒット曲「アル・パチーノ+アラン・ドロン<あなた」を聴いても怖い奴の歌だと信じて笑えなかったかもしれないw。それだけファーストインプレッションは大事ってことなのだ。ちなみにちゃんと観た初めてのアラン・ドロン映画は「ブーメランのように」です。




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007/ゴールデンアイ

2024-05-13 | 映画(た行)


◾️「007/ゴールデンアイ/Goldeneye」(1995年・イギリス)

監督=マーティン・キャンベル
主演=ピアース・ブロスナン ショーン・ビーン イザベラ・スコルプコ ファムケ・ヤンセン

80年代のテレビ番組「探偵レミントン・スティール」で人気があったピアース・ブロスナン。90年前後にはタバコ(Speak LARKってヤツね・懐)のCMで、まさにスパイ映画のような役柄を演じていたのをよーく覚えている。そして5代目ジェームズ・ボンドを襲名することになる。



ピアース=ボンド第1作「ゴールデンアイ」は、時代の変化が色濃く反映された作品となった。1991年のソビエト崩壊後、最初に製作された007作品なので、国家間の露骨な東西対立が描かれる訳ではない。旧ソ連が開発していた武装人工衛星をめぐる、ロシアの犯罪組織ヤヌスの陰謀が物語の主軸だが、ボンドを追いつめる別な悪役が登場する二重構造。敵味方と単純に二分できない筋書きは、複雑な世界情勢の反映でもある。

007映画の華である女性キャストは、ロシアの秘密宇宙基地のプログラマーであるナターリャ。演じるイザベラ・スコルプコは東欧出身。ロシアの女性と親密になる展開は「ロシアより愛をこめて」や「私を愛したスパイ」があるが、それは任務を帯びた敵味方だった。本作ではロシアの一般女性で、ボンドが彼女の窮地を救う王子様の様に描かれるのは面白い。

しかし。ボンドの職場MI6も様変わり。新任の上司Mは女性となる。ジュディ・デンチはこれが初登場で、ダニエル・クレイグ主演作まで続くことになる。上司はボンドを「冷戦の遺物」と呼び、秘書マネーペニーにセクハラ呼ばわりされる始末。ボンドの肩身が狭くなる時代が来るなんて。公開当時、オールドファンはこうしたやり取りに唖然としたに違いない。

されど、マネーペニーは、
「誘いをかけるばっかりはセクハラ。そうでないならちゃんと行動で示して」
と言ってる訳で、決して拒絶しているのではないのだな、と再鑑賞して今さらながら気づいた私。初見からウン十年経ったけど、その間に、マネーペニーのこの台詞に似たようなことを、自分も言われたこともあったよな、なかったような。映画で気付かされること、あるよね(汗)。

本題に戻ります。

ピアース・ブロスナンのボンドは、スマートだし、アクション場面も派手でカッコいい。冒頭のダムからのダイブは印象的だ。ましてや飛び立つセスナ機を追いかけて飛び乗るなんて、戦車で追跡して街を破壊するなんて、歴代ボンドの誰もやってない。でも、何故だろう。これまでの先達ボンドに感じていたヒーローとしての余裕や危険な香りとはどこか違う。マシンガンをぶっ放しながら失踪するアクション場面はスリリングだけど、それがジェームズ・ボンドでなくてもいい気がした。従来のゴージャスなスパイ映画から、仕事熱心なエージェントが活躍するアクション映画にシフトした印象。










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ハンガー

2024-05-10 | 映画(は行)


◾️「ハンガー/The Hunger」(1983年・イギリス)

監督=トニー・スコット
主演=カトリーヌ・ドヌーブ デビッド・ボウイ スーザン・サランドン

ミリアムは不老不死の吸血鬼。それぞれの時代に気に入った相手を見つけては、長く続く命を授けて恋人にしていた。現在の相手はイギリス人の美男子ジョン。ミリアムから授けられた命が若い姿を維持できるものだと信じていたジョンは、老化を感じ始めていた。そこに美しい医師サラが現れる。彼女は老化現象を研究しており、世間でも注目され始めていた。サラに興味を示すミリアム、嫉妬と急速な老化で焦りを感じるジョンは、サラの病院を訪れる。

「トップガン」など数々の大ヒット作で知られるトニー・スコット監督のデビュー作である。派手な作品のイメージとは違う作風に驚く。淡々としているのに緊張感が途切れない独特のムード、暗い部屋に差し込む光。映像に映し出される陰影の印象は、兄リドリー・スコット監督作を思わせる。ヨーロッパ資本の映画だし、他の監督作の明るいイメージとは全く違う。トニー・スコット監督の原点、兄リドリーの影響を感じさせる作品として興味深い。

その一方でロックバンドのパフォーマンスや、吸血鬼に魅入られた者たちの末路を描く特撮には、後のトニー・スコットらしい80年代的な派手さも見える。オープニングで流れるのはBela Lugosi is Dead。ドラキュラ俳優で知られるベラ・ルゴシの死を歌う曲を選曲するなんて、ちょっと意味深ではないか。



カトリーヌ・ドヌーブ、デビッド・ボウイ、スーザン・サランドンという美男美女の三角関係は最大の見どころ。スーザン・サランドンとドヌーブのベッドシーンがとにかく美しい。老化現象を気にし始めたボウイは、家を訪れる女性に毎回ポラロイド写真を撮ってもらう。その老化進行の速さ。身体が朽ちても意識は死ねない苦しさが観ていて辛い。一室に並んだ棺にゾッとする。

不老不死であるミリアムの孤独がそれぞれの時代にパートナーを求めた。そんな愛の映画と言う一面もある。しかし、80年代らしい特殊メイクによるビジュアル重視のホラー演出が強く印象に残り、そんな味わいは後半吹っ飛んでしまうのはちと残念。 





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変な家

2024-05-06 | 映画(は行)


◾️「変な家」(2024年・日本)

監督=石川淳一
主演=間宮祥太朗 佐藤二朗 川栄李奈 瀧本美織

仕事がら、建物の平面図を眺めながらあーだこーだ言うことが多い。ミステリー小説読みながら、相関関係や部屋の位置関係をメモしてみたりもする。それだけにこの「変な家」が話題になった時にはちょっと気になって、長男が読んでいたコミカライズを借りて読んだ。カメラ片手にズカズカと入り込んでくる主人公の行動を快くは思わないけれど、だんだんと闇に近づくにつれて、先を知りたいと思わせてくるのは確かに面白い。

ツッコミどころは満載。簡単に人を信じ過ぎだろ、近所のおばちゃんがわざわざ写真撮らないでしょ、不動産屋の管理物件にどうやって入り込んだの。本家ってパワーワード出てきたから金田一耕助ものぽくなるぞ…と思ったら、おじいちゃん石坂浩二やん。仏壇からすきま風、隠し通路、あーあ、「八つ墓村」っぽくなって来たよ。お母ちゃん、隠してるもの簡単に見つかりすぎ。妾にひどい仕打ち…って「犬神家の一族」やん。片渕家の問題なのに村中巻き込む怨念ってどうなんよ。佐藤二朗、どうして本家に上がり込んでるの。そこを離れてから語ろうよ。

だんだんと間取りのミステリーから離れて、本家のパートでは平面図の外側に線を引いて何かあると思うんですよって、話が飛躍。平面図見ながら、何のための空間なのかを読み取るミス・マープルものみたいな感じが好きだったのに、結局旧家の怨念めいた日本映画にありがちな落としどころに収まってしまったのはちと物足りない。本家の人々を駆り立てる呪縛の怖さも、説得力が欲しい。

もともとウケ狙いの動画制作から始まる話なんだから、のぞき見程度の興味だったはずの主人公の行動が、人助けにシフトする気持ちの動きが感じられないのがいちばんの難点かも。これからも僕が守りますって、川栄李奈ちゃんに言ってやれよ、と映画館の暗闇で焦ったく思うおいさんである。

…と不満ばかりを並べてしまった。だが秀逸なのはラストシーン。斉藤由貴のひと言とその視線の先にあるもの。これ、マジもんじゃねぇかよっ!😨




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