Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

アイネクライネナハトムジーク

2019-09-29 | 映画(あ行)


◼️「アイネクライネナハトムジーク」(2018年・日本)

監督=今泉力哉
主演=三浦春馬 多部未華子 矢本悠馬 森絵梨佳 原田泰造

斉藤和義の「ベリーベリーストロング」は、作詞を依頼された伊坂幸太郎が短編小説で返したことから生まれたストーリー仕立ての名曲。これを聴くと涙腺が緩んでしまう僕にとっては、その続編と言える伊坂幸太郎の小説「アイネクライネナハトムジーク」はとても楽しい作品だった。あの歌の登場人物たちのその後が描かれた。手にシャンプーと書いてた女性、奥さんが出ていった先輩のその後。さらに主人公の友人やヘビー級王座に挑むボクサーも交えた、人と人をつなぐ「絆の話」。

伊坂幸太郎の小説はエンターテイメントだ。簡潔な言葉が脳内に妄想レベルでイメージを膨らませてくれる。しかし文章が持つ独特のテンポが、その膨らんだイメージをじっくり味わう暇を与えてくれない。気づくとどんどん読み進めて、活字の上を転げ回っているような楽しさを味わっている。伏線回収も彼の小説の快感だが、映像化してしまうと途端に都合のいい話に見えてしまう。いくつかの映画化作品にはどうしてもそう感じざるを得ないものがあった。

じゃあこの「アイネクライネナハトムジーク」はどうなのかと言うと、僕は都合のいい話には感じなかった。もちろんところどころにツッコミどころはあるけれど、10年に渡る物語が綺麗に収まっていく感じは観ていて心地よい。「フィッシュストーリー」や「ゴールデンスランバー」のようなスケールの大きな話ではなく、あくまで個人レベルの生きてく様子が本筋なので、ご都合主義というより、「さもありなん」と思えて終わる。意外性はないかもしれない、やっぱりねという結末だとは思う。でもそこに至るまでの紆余曲折、人生っていろいろあるから苦しいし面白い。斉藤和義の歌では巨大モニターの向こう側の人だったボクサーや、子供世代にまで及ぶ群像劇だが、人と人がつながる様子が何とも心地よい。同じ台詞を違った人が言っていたり、10年後の場面で似たシチュエーションになってたり。

主人公佐藤が求める劇的な出会いを、学生時代からの友人である織田は否定する。それよりも「あの時出会ったのがあの人でよかった」と思えることが大事だ、と。その出会いを、運命とか偶然とか必然とかどう思うかは本人の勝手。その出会いでつながる誰かを大切にできるか、大切にしたいかに、絆が深くなるかはかかっている。上映時間が終わる頃、スクリーンに向かっているあなたが、自分にとっての「つながってる誰か」を思い浮かべることができたなら、その人は出会ってよかったと思える人なんだと思う。これは斉藤和義の歌にもある通り「絆の話」。震災以降、僕らは「絆」って言葉を団結や連携めいて重く受け止めてしまいがちだけど、人と人がつながることはどこにでも誰にでもあること。その人とのつながりを大切に思えるなら、それはまぎれもないあなただけの「絆の話」になるはずだ。


アイネクライネナハトムジーク (幻冬舎文庫)
伊坂 幸太郎
幻冬舎
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フィガロ・ストーリー

2019-09-28 | 映画(は行)


◼️「フィガロ・ストーリー/Figaro Story」(1991年・日本=オランダ=フランス=アメリカ)

監督=アレハンドロ・アグレスティ    林海象    クレール・ドニ
主演=ゲリー・ボーヴェン エグゼール・デ・ヨング 修健 堂野雅子

発売される新車宣伝の為に、劇場映画が製作されたことは極めて珍しい。「フィガロ・ストーリー」は日産が1991年に世に出したフィガロの為に製作された。今ネットで溢れている長編コマーシャルフィルムの先駆けとも言えるけど、前面に車が出ている訳じゃない。あくまでストーリー、作家性重視の稀な劇場映画なのだ。

まずは僕の愛車、日産フィガロの話をさせてください。レトロなデザイン、オープンカーになるキャンバストップ、1000ccの小型車だけどターボ搭載。スペアタイヤ1つで既にいっぱいになるトランクや、やたら重いドア、4人乗りって嘘でしょ?と言わんばかりのバックシートなどとても実用的とは思えない部分もあるが、そんなの気にしない。これはカッコで乗る車だもの。当時のハウステンボスではパーク内を走るレンタカーに採用されたし、わたせせいぞうのイラストにも出てくるし、イギリスで人気爆発してエリック・クラプトンなどセレブが乗った。発売からウン十年経った最近は「相棒」で杉下右京の愛車として登場するし、「攻殻機動隊 新劇場版」にも登場している。

3話オムニバスの「フィガロ・ストーリー」は、当時の新進映画作家を集めた作品。フィガロが全話に登場するのが共通点で、それぞれの監督が男と女の姿を描き出す。後に「イルマーレ」リメイク版を撮るアレハンドロ・アグレスティ、ビンセント・ギャロの「ガーゴイル」を撮るクレール・ドニ、そして「私立探偵濱マイク」シリーズの林海象。

流しっぱなしにしたいオシャレな映像。特に林海象監督の東京編「月の人」は、全く台詞がなく、幻想的な映像で東京を違った色に見せてくれる。全編モノクロームのニューヨーク編が最もストーリーがしっかりしていた印象がある。パリ編の図書館で視線が行き来する物言わぬ恋も素敵。今観ると長編PVとでも評されるところだろう。そりゃそうだ。だって車のPVなんだもの。その車は全編のわずか数分しか登場しないのもオシャレ。

とある日本映画の撮影でエキストラカーの募集があって、僕は愛車フィガロで参戦。瑛太のバイクと何台かすれ違うシーンの撮影に臨んだ。ハンドルを握るのはカースタント担当のプロの方で、僕は助手席に乗っている。わくわく。瑛太が近づいてきた。その瞬間、声がした。「カット!」…え?
完成した映画見たらよく見る軽自動車ばっかし写ってやがる。募集のとき、オサレな代官山のイメージって言ったじゃーん!(ToT)



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私を抱いてそしてキスして

2019-09-27 | 映画(わ行)


◼️「私を抱いてそしてキスして」(1992年・日本)

監督=佐藤純彌
主演=南野陽子 赤井英和 南果歩 三浦友和 吉行和子

エイズへの理解がまだ深まっておらず、厳しい偏見や差別を生んでいた1990年代初め。家田荘子のノンフィクションを、南野陽子自身が東映に企画として持ち込み製作された意欲作。この役の為に減量して挑んだ我らがナンノ(この呼称が通じるのも世代限定)の、並々ならぬ意気込みが伝わってくる。

元交際相手がエイズ検査陽性だったと告げられた主人公圭子。不安になった彼女は検査に行き、自分も陽性だと告げられる。ショックに打ちひしがれそうになる中、たまたま出会って優しい声をかけてくれた男性アキラと関係をもってしまう。しかし事実を告げたらアキラは圭子から去ってしまった。圭子は検査に行った保健所で会ったジャーナリスト美幸に再び声をかけられる。美幸はエイズによる偏見や差別をめぐる記事を書く為に取材をしていた。初めは美幸を拒絶していた圭子だが、次第に彼女に心を許していく。

エイズに対する正しい理解を促すことが、前面に押し出された映画になっている(日本初の厚生省推薦映画)。かつては「野性の証明」「新幹線大爆破」など骨太のサスペンスを撮っていた佐藤純彌監督が、教育映画かと思うくらいに真摯に題材に向き合っている。街頭インタビューを挿入し、一般の人々がエイズをどう理解しているのかを示したり、三浦友和扮する医師がエイズについて説明するシーンも過剰に感情を込めず、むしろ淡々と演じさせる。それだけに、アイドル女優が頑張ってる映画というよりも、残るのはすごく生真面目な映画という印象。説教くささを感じないギリギリの線だけに、今観ると一般的な感動作としては物足りないかも。

フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなったのはこの映画が公開される1年前。まだ病気についての知識が世間では浸透していない。いや、今でもそうかもしれない。そんな時期に製作されたことは評価されるべき。日常生活を共にするくらいなら感染しない。頭ではわかっていても圭子が差し出した飲み物を受け取る手が震える場面。職場の健康診断を前に退職を願い出る圭子の辛さ。病気の恐ろしさはもちろんだが、感染者に向けられる視線や差別意識が圭子の精神を痛めつける様子こそが怖い。話題になったベッドシーンは、圭子が誰かにすがりたいという、強く切実な気持ちが伝わる。赤井英和の肩越しに見える、南野陽子の何とも言えない切ない表情が心に残る。



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ストックホルムでワルツを

2019-09-25 | 映画(さ行)


◼️「ストックホルムでワルツを/Monica Z」(2013年・スウェーデン)

監督=ペール・フライ
主演=エッダ・マクナソン スベリル・グドナソン シェル・ベリィクヴィスト

映画館で予告編を見てビビッとくる映画が時々ある。「ストックホルムでワルツを」もそうだった。実在のジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの伝記映画。ジャズは英語で歌うのが当然とされてきた時代に、母国語で歌うことで人気を博し、世界的にも認められた歌手である。ジャズに詳しくないと敬遠する必要はない。自分にできる母国語の表現を貫くことで世間の評価を得たシンガーの物語として観れば、きっとラストに感動が待っている。日本語だって、ロックのビートに乗りにくいだの、日本語でシャンソンなんてとか、日本人がR&Bなんて無理とか昔から言われてきたけれど、偉大な先達が様々な試行錯誤で今を築いた。モニカもそうした試みから世界的に認められるに至った人なんだ。

しかし、モニカの成功への道は決して楽ではなかった。週末はステージで歌うモニカは、子供と仕事を抱えたシングルマザー。音楽仲間とツアーに出れば、子供は親に預けっぱなし。アメリカで歌う機会を与えられて挫折、プレッシャーから酒に溺れて身体を壊し、娘を思う気持ちも音楽活動も空回りするばかり。いろんなものを失いながらも、彼女は聴いて欲しい人に歌を届ける大切さに気づく。

映画のクライマックスは、偉大なジャズピアニスト、ビル・エヴァンスとの共演。ワルツ・フォー・デビーをモニカがスウェーデン語で歌う。その様子は本国に中継され、両親もそれを聴いた。モニカの音楽活動に最初から反対してきた父親が「お前を誇りに思う」と告げる場面は感動的だ。

もしかしたら、このラストを見て「ボヘミアン・ラプソディ」を浮かべる人もいるかもしれない。「人の為になることをしろ」と言い続けた父親が、史上最大のチャリティイベントであるライブエイドに出演するわが子を誇らしげに見る場面だ。親の反対を押し切って音楽で食っていくことって大変なことだ。それはモニカもフレディも同じ。いちばん自分を認めて欲しいと思うのは、反対もしたけど協力もしてくれた家族。どんなジャンルで活動しようと、仕事だろうとそれは同じなのだ。

そもそも音楽映画は大好物なので、この映画にひかれたのはあるが、予告編で流れたのが、モニカの代表曲でもある、walking my baby back home だったことも大きい。この曲は、「刑事コロンボ」のエピソードのひとつ「忘れられたスター」で、大女優が昔を懐かしんで見る映画のタイトルチューンだった。あの回は何度も見たから曲もよーく覚えていた。これが聴ける映画ならきっと良作に違いないと勝手に思ったのだ。予告編は素敵な出会いの場。

ヨーロッパ映画好きに注目してもらいたいポイントがひとつ。モニカの恋人として出てくる映画監督シェーマン。彼はポルノ映画の先駆となる問題作「私は好奇心の強い女」を撮る人物で、劇中イングマル・ベルイマン監督について語る場面もある。なかなか興味深い。



ストックホルムでワルツを [DVD]
エッダ・マグナソン,スベリル・グドナソン,シェル・ベリィクヴィスト
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
 
「ストックホルムでワルツを」オリジナル・サウンドトラック
バーティル・リンダー,イングリッド・ストゥーレガード,ヘレナ・K.ウーマン,ヴィヴェカ・ライデン・マーテッソン,ロッテ・リベック・ペールソン,ペルニラ・カールゾン,ペーター・ノーダール
ユニバーサル ミュージック
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評決のとき

2019-09-23 | 映画(は行)


◼️「評決のとき/A Time To Kill」(1996年・アメリカ)

監督=ジョエル・シュマッカー
主演=マシュー・マコノヒー サンドラ・ブロック サミュエル・L・ジャクソン ケビン・スペイシー

ジョン・グリシャムの司法を舞台にした小説がヒットした90年代には、法廷映画が盛んに製作されていた。この「評決のとき」はグリシャムの小説デビュー作で、映画化にあたって原作者本人がプロデュースした。思い入れがある作品なんだろう。サスペンスの題材として、また人間像に迫る舞台として法廷は映画向きな舞台。「評決のとき」は人間ドラマとして法廷映画の本道をゆく。

アメリカ南部の架空の街。黒人少女が白人男性にレイプされる事件が起こった。少女の父親カールは、知り合いの若い白人弁護士ジェイクに「何故白人は有罪にならないのか?」と相談を持ちかけた。その翌日、カールは裁判所に出頭した犯人男性を射殺し、護衛についていた警察官も負傷させてしまう。ジェイクは、カールの弁護を担当することになる。そんな彼を見て、死刑制度に反対する法学生エレンが訴訟を手伝いたいと名乗り出る。しかし黒人と白人が争う裁判に町の緊張は高まり、白人至上主義のKKK団と黒人住民の乱闘が発生。さらに黒人を弁護するジェイクらの身にも危険が迫り、助手は家族を殺され、ジェイクは自宅に放火され、ついにエレンが襲われてしまう。そして最終弁論の期日が迫ってくる…。

人種問題がからむのが最大のポイントで、差別偏見を超えることがなかなか難しい現状が描かれる。それを法廷の中だけでなく、市民レベルで感情の爆発が描かれる。主人公の敵役となる検事がこれまた曲者芸達者のケビン・スペイシーで、とにかく憎たらしい。さらに白人被告の兄弟を演じたキーファー・サザーランド、KKK団の指導者役カートウッド・スミスらが感じさせる威圧感は、スクリーンのこっち側の僕らをも怯ませる。もうクライマックスで、ジェイクの身を案ずるより他はない。一部の人たちにはゲームと化した法廷で、正義を貫く尊さ。「法の目は人の目なんです」と平等を訴える最終弁論は感動的だった。職人監督としてシュマッカーがうまくまとめた佳作。

とまあ、この映画のマシュー・マコノヒーは好印象だったのだが、この後私生活ではチャラ男ぶり全開。サンドラ・ブロックと付き合って、さらに我らがペネロペ・クルスの彼氏だったこともある。心の狭い僕にとっては大嫌い男優のひとり(笑)




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世界中がアイ・ラヴ・ユー

2019-09-22 | 映画(さ行)

◼️「世界中がアイ・ラヴ・ユー/Everyone Says I Love You」(1996年・アメリカ)

監督=ウディ・アレン
主演=ウディ・アレン ジュリア・ロバーツ ゴールディ・ホーン エドワード・ノートン ドリュー・バリモア

ウディ・アレンがミュージカルだって!?と最初は驚いた。中学生の時に「スリーパー」(なんてオマセな)を観て以来のアレンファンとしては、想像ができなかった。でも公開日が近づくと期待が高まってきた。それは、地方都市在住の身としては、映画館でウディ・アレン作品が観られるのは当時それ程多くはなかったからだ。

ウディ先生がこの映画で試みたのは、語り口の手法としてのミュージカルであって、ハリウッド黄金期の絢爛豪華なミュージカルを思い浮かべてはいけない。冒頭、エドワード・ノートンが歌を口ずさみながら歩く場面から始まる。それは普通のシーンに音楽という台詞をかぶせたものだ。あー、なるほど。そうきたか。宝石店での群舞こそあるけれど、カメラはでんと正面に据えたまま、時々クローズアップが入るくらいで、あくまで全体を捉える。「雨に唄えば」でジーン・ケリーのダンスを追いかけるのでもなければ、カメラ自体が駆けずり回る「ラ・ラ・ランド」でもない。だってウディ先生はジーン・ケリーでもジョージ・チャキリスでもないんだもの。それ故か、普段のアレン映画の毒気やユーモアがどうも薄味に感じられた。

ところが映画後半。ベニスに舞台を移してからは、アレン映画に期待する気弱な男の恋愛劇が面白くなってくる。ジュリア・ロバーツの背中に息を吹きかける場面が好き。そして前妻役のゴールディ・ホーン とのフレンドシップも見どころ。恋することの喜び、大切に思い思われることの嬉しさが、クライマックスの空中浮遊のダンスに込められる。ああ、語り口こそ変わってもやはり素敵なアレン映画だ。

ウディ・アレンの映画では古いジャズが流れることが多い。ミュージカルの形をとったのは、使用される音楽への愛情が込められているのだろう。映画のタイトルも、往年のコメディアン、マルクス兄弟の映画で使用された楽曲から引用されている。

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情婦

2019-09-21 | 映画(さ行)


◼️「情婦/Witness For The Prosecution」(1957年・アメリカ)

監督=ビリー・ワイルダー
主演=タイロン・パワー マレーネ・ディートリッヒ チャールズ・ロートン エルザ・ランチェスター

ビリー・ワイルダー監督作が大好きだ。初めて観たのは、テレビでやってた「フロント・ページ」(1974)だった。ラストシーンのひと言に中坊だった僕は、粋な台詞ってこんなんのことなのか、と強く印象に残っていた。映画少年として色々観て、素敵なコメディ作品でますます好きになった。でもワイルダー好きを一層拍車をかけた映画が2本ある。ひとつは保険金殺人のサスペンス「深夜の告白」(1944)、そしてもうひとつはこの「情婦」だった。サスペンス撮らせてもこんなに凄いのか!衝撃だった。

大学時代、陪審員制度を研究するゼミに所属していた。だって教授が映画「12人の怒れる男」や「評決」を授業の題材にしているんだもん!オレが参加しないで誰が参加するんだよ。レンタル店で観られる法廷映画を片っ端から観た。弁護士が主人公というだけで、ジャッキー・チェンの「サイクロンZ」まで観た。そして手にしたのがワイルダーの「情婦」。アガサ・クリスティの「検察側の証人」の映画化である。

退院したばかりで静養が必要と小言を言われている法廷弁護士ロバーツの元に、老婦人殺害容疑を疑われているレナードが訪れる。不利な証拠ばかりの中、無罪を主張する彼を信じたロバーツは、弁護を引き受ける。アリバイを証言できるのは妻だけ。妻クリスチーネはミステリアスで、ロバーツは妻の証言は法廷では信用されにくく不利になるから、と証人とはしないつもりだった。審理が始まり、ロバーツは検察が示す証拠に疑問を投げかける戦いに出た。そこで検察側が新たに証人として呼んだのは、妻のクリスチーネだった。驚くべき新たな証言。世間が裁判の結果に注目する中、ロバーツの元に電話が…。

クリスティ原作なんだから、法廷ものとして面白いのは当たり前。この映画が面白いのは、登場人物それぞれのキャラクターが際立って魅力的だからだ。チャールズ・ロートン 演ずる弁護士ロバーツの老練なネチっこさ、事件を追う真剣な表情が、時に無邪気にも見える表情に変わるギャップ。階段に備えられた昇降機にご満悦な表情は印象的。一方で表情が読めないクールなマレーネ・ディートリッヒが素晴らしい。この対比が醸し出すムードが最高潮になったところで、後半突然の新展開が待っている。

「愛情物語」などでクリーンなイメージのタイロン・パワー、おしゃべり看護士エルザ・マンチェスターら役者の個性、キャスティングの妙。そしてワイルダーの見せ方のうまさが随所に光る。これだけキャラクターが強いのに、まだ見せてない部分を次々と畳み掛けてくる。それはミステリーとしての畳み掛けだけではなくて、人物描写も然り。ラストシーンの看護士のひと言なんて痛快としか思えない。この辺りがコメディでワイルダー監督が培った強みの部分なんだろう。多くは語れないが、怒涛のクライマックスが待っている。傑作。



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チョコレート・ファイター

2019-09-17 | 映画(た行)

◼️「チョコレート・ファイター/Chocolate」(2008年・タイ)

監督=ブラッチャヤー・ピンゲーオ
主演=ジャージャー 阿部寛 ポンバット・ワチラバンジョン アラマー・シリボン

ギャングの情婦だったジンは、日本のヤクザマサシと恋に落ちる。ギャング団との確執から彼は日本に帰国するが、ジンは身ごもり、女の子を出産する。ゼンと名付けられたその娘には発達障害があったが、視認した人の動きをコピーするのことのできる能力(「NARTO」に出てくる"写輪眼")を持っていた。ゼンの面倒をみているムンは、ジンが大金を貸した相手を記録した帳簿を見つける。ムンとゼンはジンの治療費にしようと、借金返済を頼みに出かけた。しかし相手は悪党ばかり。すんなり返すはずがない。そんな時、ゼンの中で何かが覚醒。彼女は単身相手の元へ向かう…。

「この蹴りに世界がひれ伏す」ってコピー、ええやん!しかも看板に偽りなしの超絶アクション。大人数のアイドルグループにいても不思議でないようなルックスのジャージャーが、スタントなしでこれをこなす。ナイフを投げつけたゴロツキに蹴りを見舞う場面、すげえ、なんたる爽快感。アクションシーンもその舞台に合わせて、アイディア満載。屠殺場?の刃物だらけの危険なファイト。倉庫内でのファイトは積荷やロッカーなどを駆使して、ジャッキー・チェン映画のような楽しさ。平面的なファイトでなく上下が加わってさらにハラハラさせる。上下のアクションは、クライマックスのアクロバティックな格闘シーンにも登場。もう圧巻である。製氷工場で戦う最初のファイトシーンは、ブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」へのオマージュだ。

製作当初はテレビでブルース・リーを観てその動きを習得することになっていたのだが、大人の事情でトニー・ジャーのアクション映画に差し替えられたと聞く。覚醒した彼女は怪鳥音(アチョー!ってやつね)を発しながら華麗な蹴り技を次々に決める。どう見てもブルース・リーでしょ!テレビの前でこっちまで「痛っ!危なっ!」って口にしそうなくらいにギリギリのアクション。エンドロールで撮影風景とNGカットが流れるが、血を流し、傷口を冷やし、首に固定具を着ける出演者たちの痛々しい様子に、いかに本気の撮影をやっていたのかが伝わる。

しかしアクションだけかと思ったらさにあらず、映画だからできる表現もうまい。例えば、白血病の治療をしている母が美しかった髪を失ったことをゼンが知る場面。子供の頃母の長い髪をいじくっていた様子が一瞬挟まることで、ゼンの深い悲しみを無言で示す。また、阿部寛演ずる日本のヤクザが、ジンに惹かれた理由を示す冒頭も見事。傷ついたものへの慈しみの気持ちを(何故か日本語の)ナレーションで聞かせた後で、ジンの額についた傷を見つめる場面へとつなぐ。しかもそれは銃を突きつけられている状況。そんな切羽詰まった瞬間でも惹かれてしまった二人。ここも台詞は皆無だ。

北九州ロケが行われた作品で、小倉駅周辺や若松区などが随所に分かりやすく登場。阿部寛が手紙で娘が生まれたことを知る場面、バックに映える若戸大橋が美しい。



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伊賀忍法帖

2019-09-16 | 映画(あ行)


◼️「伊賀忍法帖」(1982年・日本)

監督=齋藤光正
主演=真田広之 渡辺典子 中尾彬 美保純 成田三樹夫

草刈正雄主演の「汚れた英雄」と併映で公開された、山田風太郎原作のアクション時代劇。角川映画だから、あの頃のメディアミックスの宣伝は強烈に覚えている。大人になった今だから、冷静に観ていられるのだけれど、公開当時の自分が観ていたらさぞ悶々としていたことだろう。渡辺典子と美保純の首すげ替え、惚れ薬を使って人妻を我がものにしようとするお殿様の悪党ぶり。5人の忍者僧の強烈な個性。その惚れ薬を作るのに流される処女の涙。風祭ゆきが真田広之ににじり寄るあの動き。きゃー。

真田広之の相手役は、オーディションで選ばれた渡辺典子。友人に聞いたところによると、彼女はこのデビュー作を携えて出身高校で凱旋上映をしたとか。きっと体育館は男子の「おおー!」と女子の「キャー!」が渦巻いていたことだろう。薬師丸ひろ子や原田知世は、初キスシーンがどうのとやたら話題になったのに、渡辺典子はデビュー作でいきなりこれか。

「魔界転生」のヒットに続けとばかりに、山田風太郎の世界でアイドル映画を撮ろうとした結果がこの怪作。東大寺をセットで再現して派手に燃やす場面も見どころのひとつ。ツッコミどころは満載だが、時代劇だからこそ見られる面白さもたっぷり。成田三樹夫の怪演、中尾彬の悪党振り、斬られ役で有名な福本清三のカッコよさ。出番は少ないながらも千葉真一は場の空気を変える。歯切れの悪い結末にまた悶々としてしまうのだが。




伊賀忍法帖 ブルーレイ [Blu-ray]
真田広之,渡辺典子,成田三樹夫,美保純,千葉真一
角川書店
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青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない

2019-09-14 | 映画(さ行)


◼️「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」(2019年・日本)

監督=増井壮一
声の出演=石川界人 瀬戸麻沙美 水瀬いのり 東山奈央

2018年放送のアニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」は、何気なく見始めたらどハマりしてしまって、長女と二人でキャアキャア言いながら全13話完走した。かっちょいいオープニングの曲に合わせて、何故かヘドバンしてしまう変な父娘である(恥)。

"思春期症候群"と呼ばれる怪現象をめぐる、主人公咲太と6人のヒロインの物語。何がいちばん好きなのかって、女のコたちのキャラクター(ツンデレの先輩、桜島麻衣推しですww)以上に、気の利いた台詞満載の会話劇だということ。毎回メモしときたい!と思える。そして、あの10代後半に誰もがもつ、なんともいえない満たされないモヤモヤした気持ちが、見事に織り込まれていて、ちょっとおセンチなラブコメというのがいい。原作のラノベ、きちんと読んでみたい。

今回の劇場版は、咲太と恋人の桜島麻衣が巻き込まれる、牧之原翔子という女性をめぐる騒動の顛末を描いたもの。咲太の初恋の相手は、かつて海岸で会って落ち込んでいた彼を勇気づけてくれた年上の女性。彼女は牧之原翔子と名乗った。テレビシリーズでは、同じ名前の中学生が登場する。再び現れた年上の翔子さんは、重い病身にある中学生の翔子が生み出したもう一人の存在だった。咲太は、科学部の友人双葉(メガネ美人)の協力で翔子さんの思春期症候に立ち向かう。二人の翔子をめぐるエピソードの完結編が今回の劇場版だ。クライマックスには、日本アニメやラノベお約束のタイムリープがからんで劇場版らしいスケールの物語になっている。

このアニメ、設定やストーリーが複雑。特に彼らが巻き込まれる"思春期症候群"を単なる怪現象と考えてラブコメを楽しむのももちろん楽しい。しかし思春期症候群の原因と推測される孤独感、悩み、人から認められたい願望、他者と隔絶していたい願望などなど、あの世代特有の混沌とした気持ちをディープに考えてみると、物語は一気に深みを増してくる。切ないエピソードとライトなラブコメが見事なバランスなのに気づくのだ。長いタイトルのラノベ原作やーん!と毛嫌いせずに、いい年齢した大人(かつある種の萌えを許容できる人)ならば、あの頃の自分に向き合うような気持ちでこの作品を見ることができるだろう。もちろん、「ここさけ」「あの花」など岡田麿里作品ほどの痛みや衝撃はない軽いラブコメなんで。いきなり劇場版は無理です。

でも失敗だったのは、京アニの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」を観た翌日に映画館で観たこと。あの圧倒的な渾身の作を観た後では、さすがに「青ブタ」はかすんで見えた。好きな作品なんだけど。

それにしても、いい年齢のおいさんになっても高校生が主人公のアニメを見ることがやめられない。サンデー派だった僕には「うる星やつら」や「タッチ」がエバーグリーンだからだろうか。でも誰かが言った。「takさんは、高校時代に何か忘れものをしてるんですよ。だからそういうアニメに心が動いてしまう。」そ、そうなのかな。そ、そうかも!

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