Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

12月のBGM

2014-12-31 | 音楽
2014年12月に聴いていた愛すべき音楽たち。

■ヨシー・ファンクJr.~此レガ原点!!~/吉井和哉
ヨシー・ファンクJr.~此レガ原点!!~
イエモン時代にも由紀さおりのカヴァーをしているくらいだし、どこか昭和歌謡的な"BURN"のメロディに、この人のルーツは歌謡曲だとは感じていた。カヴァーアルバムは最近の流行だが、歌ってみました的な軽々しいものではない。まさにルーツを感じさせながら、吉井和哉らしいサウンドに仕上がっている。内山田弘とクールファイヴの"噂の女"、美空ひばりの"真っ赤な太陽"、ピンクレディの"ウォンテッド"と選曲に驚かされる。「沢田研二の"お前がパラダイス"はイエモンの"JAM"のルーツ」とテレビ番組で語っていた。同世代だけに嬉しい作品。

■Gift for FANKS/TM Network
Gift for Fanks(DVD付)
初期TMは楽曲、アレンジ、タイトルの付け方にしてもこだわりがすごいと今でも思う。"Rainbow Rainbow"のサブタイトル、アーサー・C・クラークのSFにインスパイアされたというアルバムタイトル。エレクトロポップの軽さとそこに込められた思い入れの重さが面白い。ヴァージョン違いを含む初期作品集を中古店で入手。最近も初期作品をセルフカヴァーしてるし、やっぱり思い入れが強いんだろうな。

■徒然モノクローム/フジファブリック
徒然モノクローム/流線形(アニメ盤)
最近「氷菓」をきっかけにアニメに目覚めた長女レイア。僕が買っていた大人向けアニメ雑誌を眺めていて「これ見たい!」と言い出したのは「つり球」だった。彼女にはどストライク。オープニング曲"徒然モノクローム"の江ノ島踊りがひどくお気に召した模様である。ちなみにエンディングはスピッツの"空も飛べるはず"のカヴァーである。こちらも気に入ったようなので、これを機会にスピッツ聴かせまくろうと思案中。

■Escape/Journey
エスケイプ
新ヴォーカルアーネル・ピネダ加入による、ジャーニー大復活劇を描いたドキュメンタリー映画を観た。まさにロックンロールドリーム。音楽に対する姿勢にも、ピネダがロックスターになっても常に等身大であることに感動させられる。見終わってからしばらくジャーニー楽曲を聴きかえす。やっぱりDon't Stop Believin'を聴くとわくわくするような気持ちが甦る。ピネダ加入後のアルバムをきちんと聴こう、うん。

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紙の月

2014-12-21 | 映画(か行)

■「紙の月」(2014年・日本)

●2014年東京国際映画祭 最優秀女優賞・観客賞
●2014年報知映画賞 主演女優賞・助演女優賞

監督=吉田大八
主演=宮沢りえ 池松壮亮 小林聡美 大島優子

 角田光代の原作小説はこの映画よりも先に原田知世主演でドラマ化されていた。だが、僕はそれをほぼ見ていない。というか、配偶者はそれなりに真剣に見ていたのだが、僕はどうしても見られなかった。それは巨額横領事件へと転がり落ちる主人公の様子が、あまりに痛々しかったからだ。その"痛々しさ"はドラマを見ているこっち側にグサグサ突き刺さる。僕にはそう感じた。それは誰にでも起こりうる過ちから発展していく大事件。「そんなの自己責任じゃん。自業自得のお話だ。」と言われればそれまで。だけど学生から社会人になってウン十年経ち、生きていくために、生活を支えるために、家族や周りの人々とうまくやっていくために、自分自身が楽しむために、あれやこれやと金銭の都合を付けながら生きているはず。それは誰もがそうだ。「自業自得」とクールにこの物語を片付けられる人は、きっと金銭のことで悩んだ経験があまりない人かもしれない。その「紙の月」が吉田大八監督で映画化。もう観ない訳にはいかない。吉田監督の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「桐島、部活やめるってよ」も秀作だった。特に「桐島~」には、僕らに高校時代の自分に向き合うことを強いる"痛み"があった。映画化された「紙の月」から感じた"痛々しさ"は、ちょっとだけ見たテレビドラマで感じたものとは似ているけれど大きく違うものだった。

 ダメだよ、そのお金に手を出したら。ダメだよ、そんな不正をやったら・・・と思いながら、僕らは主人公梨花の行動をハラハラしながら見つめている。いつしか僕らは彼女と秘密を共有しているかのようなドキドキした気持ちにさせられている。当たり前だけどお金がすべてを解決してくれる訳じゃない。若い大学生との恋は、結果的に彼を金銭で縛り付けるものになってしまい、彼にいい自分を見せようと"ええかっこしい"したことから転落が始めることになる。

 そんな彼女がした不正を暴くベテラン社員隅さん。隅さんを演じる小林聡美は名演だ。単に厳しい女性社員を演じて見せただけではない。クライマックス、会議室で梨花と対峙する彼女は、巨額の横領をした梨花にそれまでにない優しさを示す。この二人のやりとりは緊張感に満ちた名場面だ。会社の自分のポジションにしがみつきたくとも、会社の意向がそれを阻む。年齢の高い女性社員への不当な扱いに隅さんも苛立ちを募らせていく。かといって梨花のような暴挙に出ることはできない。実はお金や組織というものに囚われているのは、横領をした梨花よりも隅さんなのだ。そして、スクリーンに向かっている僕らもそう。ちょっとしか見なかったドラマで感じたお金で身を持ち崩す姿を見る"痛み"よりも、形こそ梨花と違ってもお金に囚われているのは僕らも同じなのだ。梨花は窓を叩き割り、銀行から逃亡する。隅さんに言う「一緒に来ますか?」のひと言。その言葉の響きはおかしくもあり、でもそれができない隅さんや観客の僕らに突き刺さるのだ。

 今年は舞台「海辺のカフカ」で、ステージの宮沢りえを観る幸運に恵まれた。年齢を重ねた今の彼女だから演じられる役柄。それは「紙の月」の梨花もそうだ。ちょっと疲れた感じ、大人だからできる魅力的な表情、はしゃいだ笑顔。間違いなく彼女のフィルモグラフィの代表作となるだろう。

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her/世界でひとつの彼女

2014-12-13 | 映画(は行)

■「her/世界でひとつの彼女/her」(2013年・アメリカ)

●2013年アカデミー賞 脚本賞
●2013年LA批評家協会賞 作品賞・美術賞
●2013年ゴールデングローブ賞 脚本賞

監督=スパイク・ジョーンズ
主演=ホアキン・フェニックス エイミー・アダムス ルーニー・マーラ スカーレット・ヨハンソン

※注・結末に触れています

 代筆ライターの主人公セオドアは、妻と別れて満たされない日々を送っていた。ある日、人格をもち言葉でコミュニケーションする人工知能OSが発売された。興味を持った彼は早速試す。コンピュータから流れてきたのは、それまでメール送信や検索の指示に答えていた無機質な音声ではなかった。びっくりするほど流ちょうで、ドキドキするほどセクシーで、わくわくするほどユーモアを持った、魅力的な女性の声。OSは"サマンサ"と名乗り、セオドアはすっかり夢中になっていく。セオドアは携帯端末にサマンサを入れて一緒に行動し、これまでにない楽しさを味わう。サマンサもカメラを通じて外界の世界をセオドアと一緒に楽しむようになり、人間の世界を知りたがるようになる。セオドアは、実体のないサマンサに恋をした。そしてサマンサは実体がないことを埋めようと、様々な行動をするようになる。次第にエスカレートするサマンサの要求にセオドアは・・・。

 この映画の目新しさは、コンピュータと恋をするというストーリー・・・というのがふれこみだ。過去には、コンピュータが女の子に恋をする「エレクトリック・ドリーム」(84)という佳作があったが、今回は生身の男性がコンピュータの女の子に恋をするお話。でも、ほんとに目新しいのか。コンピュータやスマホアプリで男も女も恋愛ゲームをたしなみ、携帯ゲーム機で「ラブプラス」の彼女さんを連れて歩く人々がいる現代ニッポン。古くは「ときメモ」の藤崎しおり、最近なら「ガルフレ」の椎名心実に恋してる男子だっているだろう。そういう人々にこの映画(というか題材)はどう映るのだろう。何を今さらと思うのだろうか。

 この映画が優れていると思うのは、恋する相手こそ奇抜な存在であるものの、その気持ちに向かい合う男性の心理が素直に掘り下げられているところだ。実際に観て、意外なほどに素直な恋愛映画だと感じた。前半の日々高まっていく恋心。(OSだから当然だが)四六時中一緒にいられる幸せ。セオドアが端末片手に街を楽しそうに歩き回る様子は、高鳴る鼓動が伝わってくるような楽しさ。しかし、生身の体を知りたいと言い出す好奇心旺盛なサマンサの突飛な申し出に困惑し、映画後半のセオドアは次第に苛立ちを隠せなくなっていく。さらに、OSに恋をしていることを元妻に打ち明けて呆れられ、世間とのズレを意識せざるを得なくなる。相手がOSだからと言っても、独立した人格をもつサマンサにきちんと向き合えない。うまくいかないのは突飛な相手だからという理由ではない。セオドアの男としての弱さだし、恋する気持ちの暴走故の結果だ。そして、サマンサはネット上でセオドアと同様の関係にある男性が膨大な数いることを告白する。そして、「攻殻機動隊」の草薙素子や「LUCY」(奇しくもスカーレット・ヨハンソン主演作)のヒロインのようにネットの海に消えていく。

 静かな余韻を残すラストシーン。そこにはセオドアに寄り添う女友達エイミーの姿がある。彼女はセオドアの理解者の一人。あるがままの自分を認めてくれる人がいるって素敵なことだ。そして、それは意外に近くにいるものだ。そんなこの映画の結末は、奇抜なテーマであったにもかかわらず王道ロマコメを観ている様な錯覚に導いてくれる。確かに素敵な恋愛映画だ。ちょっと気になったのは、性に関するエピソードが過剰に感じられたこと。女性目線だとこの映画はどう映るんだろう?。サマンサが勝手にセオドアの作品出版を進めてしまう場面に、「それ、情報漏洩だろ。それでもOSなのか。」とツッコミ入れたくなったけどww。




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