昨日紹介した『ハナレウシ』は、ある意味、松下村塾の先輩後輩たちのお話でした。
で。いよいよ初日まで二十日余りとなった弊団『恋でいっぱいの森』も先輩後輩はあって・・・。
勿論、劇団だからオンキャストでいえば79年入団の豊泉由樹緒から昨年入ったばかりの小野雅史までが当然「東演」の先輩後輩なのだが・・・。
既に5/7付の弊ブログにも書いたが、客演の宮沢磨由さんが35期、飯島真弓さんが38期で、ともに桐朋の演劇科のOGで、さらには「夏夜」でハーミアを演じる笹村香苗も同校出身。39期になる。
また舞台監督を務める古舘裕司氏は5期卒業の大先輩だ。
今回、共同演出を務める福原圭一さんと前述の豊泉は舞台芸術学院(通称舞芸)の先輩後輩。
まあ演劇の学校のOBOGが芝居に関わるのは不思議ではない。
面白いのは、同じ中学校の先輩後輩が、今回の座組にいるってこと。しかもどちらも演劇部ってわけじゃなく。
客演の橘さんと、制作の僕である。
さらに言えば・・・
「君もそこかね。へえ懐かしいねえ。まだ校庭の檜はあるのかね」
「ああ、僕の頃はあったけど、5年前に雷が落ちて・・・」
と、大企業の社長と大学出たてのペーペーがホテルで催される同窓会で顔を合わせるってな世代差はなく、ないどころかたったの1年違いの先輩後輩だ。
とはいえ少子化の今と違い、1学年10クラスもあった(僕は丙午なので8クラスだったが…)時代である。当時、全く面識はなかった。出身小学校も違い、部活も委員会も課内クラブも違ったから。
勿論、土曜日の体育館の、半面ずつ分けあって練習する時に、どちらかのボールがネットを越えて「すいません、ありがとうございます」ってな交流がなかったとは言えない。
あるいは、中体連の開会式に行く電車(南武線)の車内で、どちらかのバッグが当たって「ごめんさい」または「わりい」てなことはあったかもしれない。
ただ野球とかサッカーとか、あくまで一般的にはガラの悪い方がお入りになられる可能性の高い運動部同士で・・・
「おい、ごめんで済むのか!」
「コラッ!うちの可愛いい1年坊に何してんだ」
「ぶつけたのはそっちだろ!!!」
・・・的な喧嘩に広がってれば印象に残ったろうけれど、卓球とバレーという、いわゆる身体接触のないネットを隔てた上品な競技に身を置いていたので、上記のような広がりもなかったのだ。
川崎のとある中学校。
麻生区では最も歴史が古く、高台なのでプールがなかった。今は屋上にプールがあったりするけれど、当時は揚水に莫大なお金が掛かった。でもアサハカな14~15才である。よく生徒会長に立候補する中に公約として「プールを作ります!」と掲げるのがいたっけ。
学年カラーは赤と黄。その一年下の緑には中山秀征がいて、と言っても、デビューが決まり、その準備の為の3年生のほんの短い期間いた、と、噂されている程度だから僕達とは、それこそまるで接点はないのだが・・・。
最後に「プール」に負けない公約として・・・
『恋でいっぱいの森』は、大人から子供までが楽しめ、またミュージカルが苦手な方にも面白いと言わせる芝居!
・・・を掲げましょう。
で。いよいよ初日まで二十日余りとなった弊団『恋でいっぱいの森』も先輩後輩はあって・・・。
勿論、劇団だからオンキャストでいえば79年入団の豊泉由樹緒から昨年入ったばかりの小野雅史までが当然「東演」の先輩後輩なのだが・・・。
既に5/7付の弊ブログにも書いたが、客演の宮沢磨由さんが35期、飯島真弓さんが38期で、ともに桐朋の演劇科のOGで、さらには「夏夜」でハーミアを演じる笹村香苗も同校出身。39期になる。
また舞台監督を務める古舘裕司氏は5期卒業の大先輩だ。
今回、共同演出を務める福原圭一さんと前述の豊泉は舞台芸術学院(通称舞芸)の先輩後輩。
まあ演劇の学校のOBOGが芝居に関わるのは不思議ではない。
面白いのは、同じ中学校の先輩後輩が、今回の座組にいるってこと。しかもどちらも演劇部ってわけじゃなく。
客演の橘さんと、制作の僕である。
さらに言えば・・・
「君もそこかね。へえ懐かしいねえ。まだ校庭の檜はあるのかね」
「ああ、僕の頃はあったけど、5年前に雷が落ちて・・・」
と、大企業の社長と大学出たてのペーペーがホテルで催される同窓会で顔を合わせるってな世代差はなく、ないどころかたったの1年違いの先輩後輩だ。
とはいえ少子化の今と違い、1学年10クラスもあった(僕は丙午なので8クラスだったが…)時代である。当時、全く面識はなかった。出身小学校も違い、部活も委員会も課内クラブも違ったから。
勿論、土曜日の体育館の、半面ずつ分けあって練習する時に、どちらかのボールがネットを越えて「すいません、ありがとうございます」ってな交流がなかったとは言えない。
あるいは、中体連の開会式に行く電車(南武線)の車内で、どちらかのバッグが当たって「ごめんさい」または「わりい」てなことはあったかもしれない。
ただ野球とかサッカーとか、あくまで一般的にはガラの悪い方がお入りになられる可能性の高い運動部同士で・・・
「おい、ごめんで済むのか!」
「コラッ!うちの可愛いい1年坊に何してんだ」
「ぶつけたのはそっちだろ!!!」
・・・的な喧嘩に広がってれば印象に残ったろうけれど、卓球とバレーという、いわゆる身体接触のないネットを隔てた上品な競技に身を置いていたので、上記のような広がりもなかったのだ。
川崎のとある中学校。
麻生区では最も歴史が古く、高台なのでプールがなかった。今は屋上にプールがあったりするけれど、当時は揚水に莫大なお金が掛かった。でもアサハカな14~15才である。よく生徒会長に立候補する中に公約として「プールを作ります!」と掲げるのがいたっけ。
学年カラーは赤と黄。その一年下の緑には中山秀征がいて、と言っても、デビューが決まり、その準備の為の3年生のほんの短い期間いた、と、噂されている程度だから僕達とは、それこそまるで接点はないのだが・・・。
最後に「プール」に負けない公約として・・・
『恋でいっぱいの森』は、大人から子供までが楽しめ、またミュージカルが苦手な方にも面白いと言わせる芝居!
・・・を掲げましょう。