山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

山岳ガイドを目指す方へ!

2010年04月03日 | ニュース

社)日本山岳ガイド協会の地方組織“東北マウンテンガイドネッワーク”では、この度4月1日より
社)日本山岳ガイド協会が認定しているガイド資格:山岳ガイド・自然ガイドを目指す方の“ガイド養成指導者”という実技試験免除指導の団体承認をいただきました。

Dc112515

今年度は山形県と秋田県で実技養成コースを開催。ガイド経験豊富な会員4名が責任を持って資格取得のお手伝いをいたします。

Dc121321


詳しいカリキュラム内容については、当会事務局へお問い合わせください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ更新いたしました

2010年04月03日 | ブログ

4月3日
3月18日にOB会の訃報、通夜参列の為名古屋へ、3月23日に柳澤昭夫氏訃報の知らせ、26日葬儀参列のため長野へ。その間に白馬へ、八甲田へと駆け回っていました。お二人を亡くしたショックと疲れもありしばらくブログを休んでいました。
新年度を迎え、当会の総会など無事終わり、気持ちも切り代わりました。相変わらずの拙いブログですが、
ご笑覧ください。

Dc070716



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自主研修と総会

2010年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

4月1日
“東北マウンテンガイドネットワーク”、初めての総会を終えることができました。形式ばった総会でなく、お互い、本音を言い合えたとてもいい時間を過ごせたと思っています。

Dc121323

会員一人一人の力の“お陰さん”、それを見守っていただいた多くのみなさまの”お陰さん”を忘れないで、新たな会員ともども、お客様に喜んでいただける、満足いただけるガイドを一同目指して行く所存です、
これからも、ご愛顧、応援お願いいたします。

Dc0615250


総会当日は、あいにくの雨模様でしたが、スキーガイドの自主研修を行ないました:雪崩地形の見方、危険箇所通過時の注意、シール登行のポイント、引き上げ、搬送、雪崩事故レスキューと月山周辺で
コンパクトな研修でしたが有意義な時間を過ごせました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八甲田スノーシュー登山

2010年04月03日 | 東北の山

3月24~25日
顔なじみの関西のみなさんと八甲田・酸ヶ湯をベースに4日間スノーシューを楽しんでいただいた。

Dc033103

Dc033101

到着した24日だけ天気がよく後はあいにくの天気だったが、八甲田のたおやかな峰々を縦横無尽にスノーシューで満喫いただいたようでした。

Dc033110

26日柳澤氏の葬儀参列のため前半をガイド、後半はガイド仲間小野さんにお願いすることになった。

Dc033121

せっかく楽しみされていた皆様には申し訳なかったのですが快く事情を理解いただきありがとうございました。

Dc033117


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀しい春 2 突然の訃報!

2010年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

3月23日
文部科学省登山研修所 元所長 柳澤昭夫氏が
平成22年3月23日未明ご永眠されました、
謹んでご冥福をお祈りいたします。

Dc0722256


柳澤氏との出会いは、30年前になる。19歳の11月、北岳バットレスで山岳部の先輩二人を失った、部はしばらく休部。再開は妙高山での山スキー合宿だった。そのために、大町市にある大学の合宿施設に寝泊りしながら、重いザックを背負い“爺ヶ岳スキー場”へ通いスキーの練習に励んでいたときが“大町山の会:柳澤昭夫、降旗 厚(お二人とも故人となってしまった)”お二人の出会いだった。
ある日、お二人が、私たちに山スキーを教えていただけるということでスキー場から一時間ほどやぶ尾根を登ることに・・・。でもあっいう間に私たちの視界から消えてしまった、トレースを必死に辿り追いつくと、
『おー!、高村滑るぞ、いいか雪から出ている親指くらいの枝はスキーのバッケン(金具)で切れ、絶対転ぶな・・・!』と言い終わると同時に二人は視界から消えてしまいスキー場を滑り切っていた。

Dc0417101


1984年秋、ネパール・ガウリシャンカール峰
7000m峰2度めの挑戦、50日近い登山活動の末
山本一夫、斉藤安平、鈴木清彦が2ビバークの末、頂を踏みもどってくるのを上部キャンプで、一緒に見守っていたとき、
『おー!、高村コーヒーをいれろ・・・』
2006年
いろいろな縁から、地元に総合型地域スポーツクラブを設の牽引役を担うことに『マイスポーツ・ひがしね』というクラブを立ち上げたとき、
『おー!、高村いい仕事をしたな・・・!社会貢献することを仕事というんだ・・』とはじめて褒めていただいた、心身ともにボロボロなときだっただけに本当にうれしかった。
2009年9月
8月のお盆過ぎたころ偶然、ガウリシャンカール遠征の仲間と五竜岳遠見尾根で偶然行き違い、柳さんの病のことを知らされる。
9月中旬、自宅へお見舞いに
『おー、高村元気か、ガイドは大変だぞ!』といつもと変わらぬ口調。柳さんの口癖だった“登山における防御力”について1時間ほどお話し伺ったのが・・・。となった。
2010年1月 “やなさん”からいただいた、賀状にはガウリシャンカール峰が描かれていた。

Img050


登山研修所講師時代、柳澤先生と呼ぶのが気恥ずかしく、いつも“やなさん”と敬意と親しみを込めを呼ばせていただいた。

“やなさん!”教えていただいたこと大切に、山を登り続けてゆきます。

『やなさん、ありがとう!』

厚さんと一緒に安らかに、お眠りください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする