3月30日
26日夕方8日ぶりに帰宅しました。
わたくしは、毎日南三陸町志津川エリアにある災害対策本部ベイアリーナで活動をしていました。
ここは、1500人の避難者が滞在、災害対策本部、支援物資の集積地、自衛隊の駐留地、警察の安否確認所、犠牲に合われた方のご遺体安置所が混在する施設です。
被災2週間を過ぎ体力的に弱い方が、毎日数十人単位で救急車で搬送されて行きます、ロビーでは「生きてたの!」と再会を喜び合う人、全国各地から集まった救急車が待機、配給の列、飛び交うヘリコプターの爆音、その中に災害医療本部と救護所があります。
わたくしは、ここで全国から集まってくる災害医療チームの受付や救護所内の雑用などをしていました。
JICAから届いたエアーテントを設営、このテントのお陰で震災10日目にして、災害医療チーム全体ミーティングが可能になりました。
直接、被災された方々と接することはありませんでしたが、
町の惨状は凄まじいです。
そのような、窮状に山形県庄内町が400人近い避難者を受け入れていただけるという朗報が地元山形新聞に報じられました。
少しでも快適な避難所生活が送れる方が・・・!と思いました。
でも、地元の方々は
“離れがたき古里”なのでしょう。
どんなに、辛い目にあっても慣れ親しんだ土地にいたいのでしょう。
避難されている方の3分の2の方がここに留まりたいと
意識調査の回答が出たようです。
もし自分なら、と真剣に悩みます。
“これより先津波に注意”の看板だけが空しく残っている歌津地区へと通じる国道45号線の風景、この周囲にも多くの行方不明の方がたくさん残っています。
避難所生活を送られる方がにとって、
少しずつ季節が春へと移り、朝晩の冷え込みも和らいでゆくことが救いです。
明日から4月4日まで南三陸町へ向かいます、何もできないけれど、でも東北はわたくしのふるさとです。