7月14日~19日
飯豊連峰縦走、川入登山口から北のピーク・エブリサシ岳を踏んで足の松尾根を下る全山縦走です。
14日、神奈川のお客様と新潟駅で関西のお客様と新潟空港でそれぞれ合流して、飯豊連峰登山口のある福島県の山都町へと向かいました。
おかげさまで、飯豊連峰縦走ガイドを担うようになって6年以上になり、川入地区の民宿高見台、稜線上の小屋方々はじめ飯豊の山人のみなさまと親しく接することができました。
昨年は震災の影響や福島・新潟豪雨なども重なり飯豊の山へは登れませんでした。
久しぶりにおじさんと会えるのを楽しみに玄関へ「お帰り」「ただいま」とおじさんもご機嫌の様子です。
今夜は、めったに打っていただけない“手打ちそば”
自ら釣ってきた天然の“岩魚”に
“どぶろく”に
天然のナメコや雑キノコなどの山菜料理で出迎えていただきました。
15日“ラッキーな縦走初日”
いつもの事ながら、飯豊縦走は切合小屋以外は避難小屋泊まりになります縦走中の食糧、ガイド装備、急峻な雪渓があるのでピッケル、軽アイゼンなど積め、初日は30キロを越える荷物を背負ってのスタートになります。
今年は、山都町の行事“飯豊の集い”と重なり予定していた切合小屋が満室、その先の飯豊本山小屋までコースタイム9時間・標高差1600mを歩くつもりで歩き始めました。途中からは雲行きも怪しくなり雨も降り出し30キロを越えている荷物がまたさらに重さを増してきました。
お客様3人とコンパクトなグループのおかげで、難所の剣ヶ峰も順調に越え、お昼頃には切合小屋へ到着、ここから本山小屋まで2時間半??
ちょっとご挨拶にと声をかけたら、小屋の方から「キャンセルがいっぱい出たから泊まっていけ!」「お願いしますツ。」と二つ返事で決まりです。
早速、小屋に入り荷物を整理していると、バケツをひっくり返したような雨音が屋根を通して聞こえてきました。
こんな雨の中無理に歩くことはありません、お客様が持参した野点セットで“抹茶”と“御菓子”をいただきながら「ホッ」とした時間を過ごす事ができました。
夕方には雨も止み晴れ間も覗き明日の縦走にちょっとは??期待しながら寝袋に入りました。
16日“つかの間の晴れ”
今日は、御西小屋泊まり6時間の縦走と大日岳往サブ行動3時間です。梅雨前線も秋田から青森へと北上、梅雨明けも近そうです。
本山小屋、御西小屋とも雪解けが遅く水場が使えないということなので切合小屋から水を8リッターほど追加、40キロを越す荷物を背負いながら飯豊本山を越え、
御西小屋へと向かいました。
お天気の良い悪いに関係なく、飯豊本山から御西岳、大日岳周辺では、たくさんの花が咲いていました。
17日 “北上した梅雨前線が南下”
再び、前線が南下朝から風雨が強くなり、ラジオから大雨注意報、雷雨注意報の言葉が流れ出す、縦走を断念しても本山周辺は雷雲の通過しやすいところ、剣が峰の岩場通過もあるし、、、?予定通り進んでも明日以降の天気が読めない、、、?
悩んだ末、縦走続行です。御西小屋からほとんど休むことなくたきつけるような雨のなかもくもくと門内小屋まで6時間歩いて今日の行動を終了です。小屋番の方もこんな天気にとびっくりした様子。すぐに乾いた衣類に着替え、温かい飲み物で一心地、美味しい夕食を食べながら、
ラジオから新潟を除く甲信地方梅雨明けのニュースに妙に納得しながら縦走最後の夜を過ごすことができました。
18日“濃霧の縦走”
激しい雨は収まり、天候回復を願いながら縦走最終日を迎えましたが一向に天気は回復しません。
最後のピーク・エブリサシ岳はあきらめ
標高差1200mあまり長さ4キロの急峻な足の松尾根4時間の下りです。
ある人は足を痛めながら、またある人は足先に石ころでも入っているかと思うくらいつま先を傷めながら、別の人はお腹をすかせながらとそれぞれ苦労しながら、無事登山口へたどり着きました。これも偶然なのでしょうヒュッテまでの長い3.5キロの林道を歩いているとヒュッテのクルマが止まり4人を乗せてくれました。
縦走最後はブナの森に囲まれ、アカショウビンがたくさん飛来する胎内川のほとりに立つ胎内ヒュッテ泊まりです、
日帰り入浴もできる。
まるでブナの森の中で入浴しているような大きな湯船に浸り、雨で濡れた靴でふやけた足を擦ったり、なかなか泡の立たない頭を擦りながら、
あいにくの天候、、、あのような悪天候の中を歩いていただいた皆様に感謝しながら、山深く、長い飯豊連峰縦走お疲れ様でした。