6月30日~7月2日
今年は空梅雨のようで6月中旬以来雨らしい雨が降っていません。明日から前線を伴った低気圧が北上するので天気が良いうちにと予定を変更して今日は月山を目指すことにしました。
この時期の月山へ登るのは数年ぶりになります、何度訪ねても飽きない山です。
まだ、姥ヶ岳山服には残雪もたっぷりあり、全国から雪を求めて来た多くのスキーヤーで賑わっていました。7月1日山開きを控え多くの人が頂を目指していました。
ゆっくり登っても午後2時頃には下山の予定でしたが、天気もよく「花を楽しみたい」という希望を聞いていたら??
少し歩いては“道草、道草、道草”を繰り返して頂上に着いたのが午後1時半過ぎです。
天候の変わり目を予感させられるような強風と時折沸くような雲の中を山開きの準備に行き交う社務所の方々、登山者の足元にはクロユリ、ハクサンハタザオの花が風に耐えるように咲いていました。
300年前の1689年の6月(旧暦)に俳諧紀行「奥の細道」を著した松尾芭蕉は当時どのような風景を目にしたのでしょう。
当時、松尾芭蕉一行は羽黒山の手向宿に7日間滞在中の2日を月山詣でにあてたようです。
手向宿から南谷へ向かい6合目の平清水まで馬で登り、月山頂上に着いたのがその日の午後4時、雲霧山気のなかを生き絶え絶えにようやくたどり着いたようです、山中の角兵小屋に泊まり湯殿山に詣で戻ったという記録が残っています。
そのとき読まれた句が
“雲の峰 いくつ崩れて 月の山”です。
そのようなことを思い出しながら、
“耳を日曜日にして”黙って下山です。
何とか最終のリフト時間に間に合うことができました。
翌日は、
天候が変わり始めた月山八合目の西側に広がる弥陀ヶ原湿原や
羽黒山神社や国宝に指定されている五重塔などを見学して宿へと戻りました。
芭蕉が羽黒山をたずねた際に読んだ句
”涼しさや ほの三日月の 羽黒山”
最終日は、雨の残る月山“六十里越え街道”という古道を地元月山朝日ガイド協会の方に案内していただきました。毎日山の花やおしゃべりを楽しみ、サクランボをたくさん食べ、月山筍尽くしの料理をいただきと関西のみなさまにとって、満足、満腹の旅になったようです。
早くも来年の話となり、花の秋田駒ヶ岳の予約をいただきました。 ありがとうございました。
月山で見かけた花です。
ミネウスユキソウ
ヒナザクラ
チングルマ
ミヤマリンドウ
ミネウスユキソウとイワカカガミ
ウズラバハクサンチドリ(ガッサンチドリ)
ハクサンイチゲ
ミヤマキンバイ
キバナノコマノツメ
クロユリ
コブシ
ミネザクラ(タカネザクラ)
ワタスゲ
ミヤマカタバミ
ヤマガラシ(ミヤマカラシ)
コウホネ