山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

c.w .ニコルと東松島市

2021年05月01日 | 東日本大震災

C.W.ニコル追悼展”森の祈り”を観る機会があった。

高校生の頃アウトドアブームがありいろいろな場でC.W.ニコルの名を目にすることがあったがどんな人なのかあまり知らなかった。

森の祈り展は、作家であり、探検家であり、環境保護活動家であったニコル氏の軌跡と

「残りの人生をの半分を東松島の人々に捧げたい」と語り宮野森小学校再建と森の学校つくりについて展示を通して知ることができた。

早速、東松島市野蒜地区にある宮野森小学校を訪ねてみた。

外からしか、見ることができなかったが温かみと優しさを感じただけでなく、

子供たちのわらう声をも想像して建てられたと感じた。

現在、”森の祈り”展、再開催中

2021年4月5日(土) ~ 7月11日(日)

黒姫童話館・童話の森ギャラリー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切磋琢磨!

2021年05月01日 | 東北マウンテンガイドネットワーク

4月28~29日

ロープ操作、岩稜歩き講習会の依頼をいただき妙義山へ。

1日目は穏やかな日和で”山笑う妙義山”で気持ちよく活動できました。

2日目は予報通り雨、、、”ヒル笑う妙義山”となり足元を気にしながら講習となりましたが、

2日で実技講習12時間、実りある講習会となったのではないでしょうか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縁があり、、、

2021年05月01日 | 東北マウンテンガイドネットワーク

4月26日

太平洋三陸海岸・大槌町から日本海沿岸の街・鶴岡市へ、、、500㌔ほど移動してきました。

縁があり月山で遭難された方のご家族より捜索の依頼をいただき、微力ながら弊会で関わらせていただくことになりました。

捜索をはじめるにあたり地元警察、

環境省、

神社へと副代表、事務局長と挨拶まわりをしてきました。

はやく見つかることを祈るばかりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復興支援道路」・三陸沿岸自動車道 その2 備忘録

2021年05月01日 | 公益社団法人日本山岳ガイド協会・HuMA

4月24日

大槌町へ向かう途中、1年ぶりに南三陸町に寄ってきました。

10年前、Huma(災害人道医療支援会)と日本山岳ガイド協会の仲間、弊会の仲間と一緒に支援活動をした”ベイサイドアリーナ”の今の様子です。

2011.3/18 Huma先遣隊と一緒に南三陸町に着いた時の様子です。左の黄色ジャケットを着ているのが故仙道隆です。

2011.3月当時のベイサイドアリーナには、全国各地から続々と救急車が集まってきました。

体育館は物資集積と遺体安置所となっていました。

2011.3 ベイサイドアリーナ遠望。

今も”歌津つつじ苑”は変わりなくありましたが、周囲の環境は変わました。

2011.3月当時、歌津つつじ苑はHumaの活動拠点の一つでもありました。

給水支援。

Huma受付

当時大型ヘリが離発着していた場所に再建された病院、

2011.3月、仮設町役場と大型ヘリのヘリポートでありました。

今は当時仮設病院があった場所には集合住宅が立ち並んでます。

イスラエル軍の診療所後を引き継いだ仮説診療所。

自衛隊の車両。

防災会館もきれいに整備され”祈念公園”へと生まれ変わりました。

2011.3月 当時の様子です、右奥に志津川病院が見えます。

瓦礫に埋もれていた川面も堤防がかさ上げされきれいになりました。

2011.3月はこんな感じでした。

奥に高校が見えます。

壊滅した薬王堂です。

2011.3月 歌津地区の様子です。

賑わいのあるキラキラ商店街。

当時は、仕事もキャンセルになりお金もなくなかなか手が出せなかった”海鮮丼”をいただいてきました。

この10年、ひとり、ふたり、さんにんと当時一緒に活動してきた先輩方が亡くなりました。

亡くなれた方々の冥福を祈りながらの南三陸町巡りの旅でありました。

合掌

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする