4月24日
大槌町へ向かう途中、1年ぶりに南三陸町に寄ってきました。
10年前、Huma(災害人道医療支援会)と日本山岳ガイド協会の仲間、弊会の仲間と一緒に支援活動をした”ベイサイドアリーナ”の今の様子です。
2011.3/18 Huma先遣隊と一緒に南三陸町に着いた時の様子です。左の黄色ジャケットを着ているのが故仙道隆です。
2011.3月当時のベイサイドアリーナには、全国各地から続々と救急車が集まってきました。
体育館は物資集積と遺体安置所となっていました。
2011.3 ベイサイドアリーナ遠望。
今も”歌津つつじ苑”は変わりなくありましたが、周囲の環境は変わました。
2011.3月当時、歌津つつじ苑はHumaの活動拠点の一つでもありました。
給水支援。
Huma受付
当時大型ヘリが離発着していた場所に再建された病院、
2011.3月、仮設町役場と大型ヘリのヘリポートでありました。
今は当時仮設病院があった場所には集合住宅が立ち並んでます。
イスラエル軍の診療所後を引き継いだ仮説診療所。
自衛隊の車両。
防災会館もきれいに整備され”祈念公園”へと生まれ変わりました。
2011.3月 当時の様子です、右奥に志津川病院が見えます。
瓦礫に埋もれていた川面も堤防がかさ上げされきれいになりました。
2011.3月はこんな感じでした。
奥に高校が見えます。
壊滅した薬王堂です。
2011.3月 歌津地区の様子です。
賑わいのあるキラキラ商店街。
当時は、仕事もキャンセルになりお金もなくなかなか手が出せなかった”海鮮丼”をいただいてきました。
この10年、ひとり、ふたり、さんにんと当時一緒に活動してきた先輩方が亡くなりました。
亡くなれた方々の冥福を祈りながらの南三陸町巡りの旅でありました。
合掌