山岳ガイド 眞さんの山がいど日記

山岳ガイドが出あった自然、感動、日々の様子など綴ってみました。このブログで、のんびり"ねまらっしゃい"!

備忘録 ~東日本大震災~

2023年03月12日 | 公益社団法人日本山岳ガイド協会・HuMA
3月10日
 12年前、わたくしは秋田県角館町と関西のお客様と一緒の時でした、この日は前日からの春の大雪でお客様の荷物が遅れ予定していたスノーシューハイキングを変更雪の角館城下町散策を楽しんでいた時に大きな揺れに遭遇しました。
 
直ぐにクルマに避難しコンビニで水、食料を買い込み田沢湖町から自宅へ移動し数日かけて関西から見えたお客様を山形空港から見送りひと段落していたころに、故金田医師の提案で日本山岳ガイド協会が災害人道医療支援会のロジスティックスとして活動することになり東北在住のガイドが中心に派遣チームが編成されたことを知りました。
 
直ぐに派遣チームに参加するため災害車両申請や準備の最中故金田医師から「高村、先遣隊が秋保に着いているすぐ行ってくれ!」と言われ一週間後の3/19に災害人道医療支援会(HuMA)先遣隊と合流、
先遣隊の水先案内として故仙道隆と南三陸町に向かい現場の光景に眼にただボロボロと涙が止まらず「俺たち見たからには見守って行こう、、、」と話したことが今でも忘れることが出来ません。
 体調が思わしくない先遣隊リーダー・鵜飼先生は南三陸町ベイサイドアリーナに着くと別人のように動きわたくし達の「何をすれば?」の問いに「見てきなはれ!」と一言だけ指示を出され自ら聴診器を持ち活動されたことも印象深く覚えています。
 
 
 わたくしは、不眠不休で全国から集まる医療支援チームに指示を出している「志津川病院」の西澤先生、管野先生が倒れてしまわないかと心配になりただただ側にいるだけが精一杯でした。
お二人の先生からは不審者のように見られていたようですが、信頼関係ができHuMAの活動の糸口に繋がることにもなりました。
 まさかこの縁がHuMAスタッフと約2か月にわたるベイサイドアリーナで活動へと、一緒活動していた志津川病院スタッフとの何気ない会話から「医療スタッフ短期休養プレジェクト」を企画を思いつき山形県西川町、志津温泉地区の旅館関係者、地元ガイド組織の協力によりプロジェクトが実現しました。
その後故金田医師の「子供たちに笑顔を、、、」の願いを実現すべく動き出した岩手県大槌町児童支援活動(日本山岳ガイド協会・災害人道医療支援会共催・東北マウンテンガイドネットワーク主管)となり2017年迄関わることになりました。
 わたくしにとってたくさんの方とのご縁をいただき、生かされてきた12年と思っています。
合掌

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