昭和30年代前半、北陸の山村の、1学年1クラスの小さな中学校を卒業したが、卒業時の「謝恩会」で、同級生が歌った「船頭小唄」を、ふっと思い出してしまった。
70年近くも前の話であり、ほとんど記憶曖昧になっていて、どこまでが事実だったかも不明だが、当時、その学校では、毎年、卒業時には、家庭科?教室(畳敷きだった気がするが)で、担任教師と卒業生全員が集まって、「謝恩会」なるものが行われる慣例が有ったのだと思う。
「仰げば尊し」の歌詞ではないが、「我が師の恩」という雰囲気有り有りだが、だいそれた催しではなく、簡単な駄菓子、飲み物程度を用意、教師、生徒、夫々、思い出等を語り合う場だったと思う。アトラクションとして、担任教師や生徒の何人かが、歌を披露したりもしたような気がする。
手を上げて、すすんで歌った者もいれば、指名されて否応なく歌わされた者もいたはずだが、S男という、普段大人しく真面目な優等生?が、およそ、イガグリ頭の中学生が歌う歌ではなく、ほとんどの生徒にはまったく馴染みの無かった、森繁久彌風の「船頭小唄」を歌い、皆 びっくり、どよめいた記憶が脳裏に焼き付いている。どこでどうやって覚えたものやら、中学生にしたら 渋過ぎ?な歌、髭面で朴訥とした風貌の担任I先生への、彼なりに考えた謝恩歌だったのかも知れない。
とにかくど田舎の中学生のこと、当時は、森繁久彌?という名さえも、よく知らずだったような気がするし、まして、「船頭小唄」等、知る由もなかったのだと思う。後年になって、映画「社長シリーズ」?等で、有名な大スターとしての森繁久彌を知るようになったのだったが、中学の卒業時の断片的な記憶が炙り出され、森繁久彌の名を見聞きするたび、「船頭小唄」を連想してしまう類になっているのだ。
今更になってネットで調べてみると
「船頭小唄」は、元々、1921年(大正10年)に、野口雨情 作詞、中山晋平 作曲、で作られた、民謡 「枯れすすき」だったのだそうだが、1923年(大正12年)に、女優の中山歌子が、初めて、「船頭小唄」としてレコードに吹き込み、以後、次々と多くの歌手が歌い、大流行した、大正後期から昭和初期の流行歌だった。
それが、戦後になって、1957年(昭和32年)に、映画「雨情物語」の主題歌として、森繁久彌が歌い、「枯れすすき」が「人生の哀愁」と重なる歌として共感を呼びヒット、大正から昭和に繋がった流行歌(歌謡曲)だと言える。
「船頭小唄」 森繁久彌 (YouTubeから共有)