たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

朝飯前(あさはんまえ)の草取り(草抜き)と水やり

2023年07月22日 12時40分11秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、昨夜、一時、小雨がぱらついたようだったが、
結局まとまった雨にはならず、
未明には、すっかり上がっており、青空が広がり出した。
今日も、猛暑になりそう?、
明日以降の天気予報にも、雨マークは付いておらず、
このまま、梅雨明け?になってしまうのかも知れない。
ややひんやりしている早朝の内に・・・と、
いうことで、
今日は、朝飯前(あさはんまえ)に、Go To 畑!と相成った。

「朝飯前(あさめしまえ)」という言葉が有る。「朝食前でも仕上げられる簡単な仕事」という意味合いで使われる言葉であるが、北陸の山村で子供だった頃、夏の間、農家の大人達は、日の出前、暗い内から野良仕事に出ることを「朝飯前(あさはんまえ)」の仕事と言っていた。決して簡単な仕事という意味合いでは無く、ちょっとニュアンスが異なっている。少しでも涼しい内に仕事を終わらせ、猛暑の日中の仕事を減らす工夫、昼食後は、たっぷり昼寝をするという生活の知恵だったのだと思う。

(1)先日、やり残していたネギの畝の草取り(草抜き)、
   雑草に埋もれてしまっているネギ救出作戦?

(Before)

(After)

(2)夏野菜周りの草取り(草抜き)

(3)トマト、ミニトマト、ゴーヤ、キュウリ、ナス、ピーマン、シシトウ、
   インゲンマメ、地這いキュウリ、サトイモ、等に たっぷり、水やり。

(4)トマト、ミニトマト、キュウリ、ナス、等収穫

2時間余り掛かって、全身汗だく、
まだまだ、草取り(草抜き)しないとならない箇所有りだが、
今日は、ここまで、
シャワーを浴び、遅い朝食、
やれ、やれ、

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くじも当たらず 出世もなくて 今日を生きてる 運のよさ

2023年07月22日 05時43分16秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」、「落語」、「漫才」、「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。「ことわざ」の感覚で、これまで聞いたことも有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例 その10 
くじも当たらず 出世もなくて 今日を生きてる 運のよさ


宝くじ買っても 当たったこともな無く、
出世することも無く、
運が無かった人生と思っているかも知れないけど、
大きな病気にもかからず、
事故、災害にも遭わず
八十路過ぎても、まだ、足腰大丈夫で
生きていること、こそ
最も、運が良かったと
言えるんじゃないかい・・・・
おまえさん、
という意味合いなのだろうか

(ネットから拝借イラスト)

フム、フム、なーるほど・・、

おあとがよろしいようで・・、

(つづく)

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