図書館から借りていた、内館牧子著、「終わった人」(講談社)を、読み終えた。好みの作家や好みのジャンルも異なるため、日頃、夫婦夫々、別々に、図書館から借りているが、時々、返却期日までに余裕が有る場合等、お互いに回し読みをすることが有る。先日、読んだ、内館牧子著、「今度生まれたら」もその1冊だったが、ほとんど時代小説しか読んでいない読書初心者の爺さん、正直なところ、内館牧子作品、これが初めだったのだ。老境を迎えた女性の、あるいは夫婦の揺れ動く本音、本性を描いている作品で、佐藤愛子風というか、歯に衣着せぬ作風の痛快な文体に引き込まれてしまい、一気に読んでしまい、ブログ・カテゴリー「読者記」にも、書き留め置いたものだったが、内館牧子著の「高齢者小説」ベストセラー、「終わった人」、「すぐ死ぬんだから」、「老害の人」に次ぐ作品だというを知り、続いて、他の書も読んで見たくなり、今回、「終わった人」を、借りてきたものだ。続いて、「すぐ死ぬんだから」「老害の人」も、読んでみたくなっているところだ。
▢目次
第一章 ~ 第十二章、
エピローグ、あとがき
- ▢主な登場人物
田代壮介(主人公、俺、63歳~66歳、羅漢)、千草(壮介の妻、57歳~60歳)、
道子(壮介・千草の娘)、
バネ(壮介の母親、86歳~89歳)、美雪(壮介の妹)、
浜田久里
鈴木(38歳)、森宏太(公認会計士)、
青山敏彦(トシ、千草の従弟) - 二宮勇、工藤、根津(ネズミ)、市川(イッチャン)、川上喜太郎(16番)
- ▢あらすじ
「定年って生前葬だな。俺は専務取締役室で、机の置き時計を見ながらそう思った。・・・・」
本書、第一章、冒頭の一節だ。
大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられそのまま、63歳で定年退職を迎えた田代壮介が主人公の物語だ。仕事一筋だった彼は途方に暮れ、生き甲斐を求め、居場所を探して、惑い、あがき続ける。シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマとも言える。東大法学部卒、エリート意識、見栄も有り、図書館通いやジムで体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗があり、どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみるが、高学歴や立派な職歴がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘からは、「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性浜田久里がいたところで、妄想だけで、思い通りになるものでもない。そして、入会したスポーツジムで知り合った鈴木との出会いが、彼の運命の歯車を狂わすことに・・・・。
壮介と千草の娘、道子が、度々、父親母親に対してズケズケと言い当てる場面が有る。それが、結構、的を得ていて、説得力も有り、なんとなく、著者が、道子に代弁させているのかも知れない等と勝手に解釈したりもした。
「一番欲しい物、仕事」、「負債総額9,000万円」、「思い出と戦っても勝てない」、「壮さんは、まだ成仏してない」、「夫として妻への義務は・・」、「出会った人を切ること等無い、短い人生では大きな縁」、「離婚出来る、離婚出来ない」、「ソフトランディング(軟着陸)出来なかった」・・・、葛藤が続き・・・、
「エピローグ」で、千草と並んで、生まれ故郷盛岡の北上川にかかる「開運橋」を渡る壮介。どうしても切れない他人と人生を歩み続けることは、運そのものかも知れない。・・・
「胡馬北風」・・北方で生まれた馬は、北風が吹くたび故郷を懐かしむ・・・・。
「卒婚」を決めた夫婦、人生の老いの坂は、まだまだ先が長い。
「あとがき」で、著者内館牧子氏は、還暦を迎えた後、同年代の会合等に出席して気が付いたこととして、「若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ない・・・」のではないか、と記述しておられる。60代と言えば、男女共まだ生々しい年代であり、心技体とも枯れておらず、自信も自負も有るはずだが、社会では、第一線からお引取り下さいと言われてしまう。主人公の壮介は、それに抗って仕事を見つけ、自分を生かそうとしたのだったが・・・。