たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

脳トレのつもりでひねる五七五 2021年振り返り・その2

2021年12月28日 07時36分17秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、4年前頃に、相互ブログフォロワー登録しているのびた様からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ、所詮、川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、今年2021年、1年間に作った川柳(川柳もどき)を、振り返ってみた。


お題「鍋」

    割れ鍋に綴じ蓋夫婦共白髪

    打ち付ける吹雪の宵に囲う鍋

    手鍋下げ苦労重ねて幾星霜

お題「鬼」

    我が家には内にも鬼が一人居り

    餓鬼の頃不良のアイツ今教師

    我が師匠仏か鬼か飴と鞭

お題「予感」

    窓際で上司が敬語やな予感

    前置きの長い相談やな予感

    亭主逝き私長生きする予感

    出世する予感も無しで早定年

    嵐来る予感夫の家事手伝い

お題「出発」

    孫からの知らせリモート披露宴

お題「昔」

    昔飲み屋今病院をハシゴする

    思い出す初恋の彼セピア色

    話すたび脚色される若き頃

お題「箱」

    下駄箱の隅で自粛の登山靴

    贈答品小より大の箱選び

    金持ちの欲の箱には底が無い


数年前から投句するようになっている、鹿児島のコミュニティFMぎんがの「てんがら川柳五七五」。今年1年間に投句した川柳の内の何句かが、撰者の石神紅雀様春田あけみ様から選ばれて、
   爺さんもおだてられりゃ木に登る
の気分になったものだが、それに輪を掛けて、長年「てんがら川柳」に携わっておられる、相互フォロワー登録している村永チトセ様が描く己書色紙を、その都度いただき、川柳の才無し初心者の爺さんには、まるで、宝物?、表彰状?、勲章?にもなっている。改めて、感謝しているところだ。

村永チトセ様ご本人からご承諾をいただいたので掲載させていただくことにした。

 

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ホウレンソウ初収穫と畑のお礼

2021年12月27日 17時57分25秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

日本列島付近に今冬一番の寒気が流れ込んでいる影響で、北海道や東北、北陸の日本海側を中心に大雪になっているようだが、当地、今日も、寒さ厳しいものの快晴。
毎年、年末には、借りている畑地の地主Fさんにお礼を兼ねた歳暮を届け、井戸水を使わせてもらっている近所のMさんには、お礼に収穫物を届けることにしているが、今年も押し迫ってしまい、午後になってから、畑に出掛け、ご両家を訪れてきた。

(1)ホウレンソウ、初収穫
   失敗して、再度、かなり遅れて種蒔きしたホウレンソウ、
   まだまだ、小さいが、待ち切れず、初収穫

(2)白菜、大根、小松菜、ネギ 収穫

今年もまた1年間、見様見真似の野菜作りをやってこれたが、これも、Fさん、Mさんのご好意が有ればこそのこと、ほんの気持ちだけの謝礼だが、これを済まさないと年を越せないようになっている。

15時を過ぎると一段と冷え込んできて、あっという間に日が暮れた。
寒い!、寒い!


嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

2021年12月27日 13時01分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その14

嘆けとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる わが涙かな

出典
千載集(巻十五)

歌番号 
86 

作者
西行法師

歌意
「嘆け」と言って、月が私に物思いをさせるのであろうが
いや、そうではない。恋がそうさせるのだ。
そうであるのに、月のせいにして、
恨めしそうな様子でこぼれ落ちる私の涙であることよ。

千載集の詞書(ことばがき)に
「月前恋といへる心をよめる」と有り、
月を前にして、恋人を恨む気持ちを詠んだ
「題詠」の歌であることが分かる。
古来、月は物思いをさせるものだという
伝統的観念の上に立っている歌。

注釈
「嘆けとて」は、「月が私に嘆き悲しめと言って」の意。
「とて」は、「と言って」の意。
「月やは物を思はする」は、月が物思いをさせるのであろうか、
いやそうではないの意。
「やは」は、反語の係助詞。
月を擬人化した表現。
「かこち顔なる」は、恨めしそうな様子をしているの意。
「かこつ」は、「かこつける」「他のせいにする」の意の動詞。
月のせいではないのに、まるで月のせいであるように
恨みがましい様子の意味になる。


西行法師(さいぎょうほうし)
俗名 佐藤義清(さとうのりきよ)。
その祖は藤原秀郷で、代々、北面の武士の家柄に生まれた義清も、鳥羽上皇の北面の武士として、左兵衛尉(さひょうえのじょう)となったが、23歳で出家し、諸国を行脚、仏道修業と歌作に専心した。藤原俊成と並ぶ、平安時代末期の代表的歌人で、新古今集には、最多の94首が入集されている。山部赤人以来の自然歌人として、後世、宗祇、芭蕉等から、範とされた。家集に「山家集」が有る。


川柳

西行の涙は月に呆れられ

西行は、月を見ていると悲しく涙が出ると言ったが、
月にしてみれば、「お前を泣かすような顔かよ!」と呆れ返った・・の意。
立場を逆にした句。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


読めない書けない難漢字 No.42

2021年12月27日 10時27分33秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

普段、会話や文章で、あるいはテレビやラジオ等で、ごく普通に使われている言葉で、誰でも知っている言葉の中にも、いざ、咄嗟に漢字で書けと言われると、「???」となってしまう言葉が結構有るものだ。
もちろん、漢字検定何級、漢字クイズ王なる人達にとっては、御茶の子さいさいなのかも知れないが、一度や二度、聞いても、教えてもらっても直ぐそのそばから忘れてしまう類の爺さんは、たまたまそんな漢字に出会うと、「へー!、そうなんだ・・」、その都度、目から鱗になってしまう。
今は、有難い世の中、漢字不勉強で語彙力の無い爺さんでも、PCやスマホの漢字変換ソフトのおかげで、ブログ等には、読めない、書けない難漢字でも、平気で、知ったかぶりして書ける時代だが、「じゃ、実際、自分で読んでみろ、書いてみろ」と、問題に出されたら、降参してしまうこと多しだ。

「寒さのため手足が凍えて思うように動かなくなること」「かじかむ」と言うが、昨日のブログ書き込みで、無意識に漢字を使っていたことに気が付いた。
昭和20年代、30年代、北陸の山村で暮らした子供の頃、冬季の暖房といえば、学校等には、薪ストーブ、後に石炭ストーブが有ったりしたが、一般の家庭は、炭火の、後に豆炭の「掘り炬燵」と「火鉢」位しかなかった。大人も子供も、何枚の重ね着し、綿入れの半纏等を羽織ったり、厚い靴下を履き、毛糸の手袋をしたりしていたが、朝昼晩、手足がかじかみ、アカギレシモヤケにも悩まされたものだった。最近の暮らしでは、ほとんど、かじかむ、アカギレ、シモヤケ等という言葉も使うことが無くなっているが、昨日は、思わず使ってしまった。PCやスマホでは、実際には、書けない漢字も、サラッと変換されて使えてしまい、後ろめたくもなる。

(ネットから拝借イラスト)











(漢字)

悴む

拡大してみると

悴む

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晴れたけど、寒い!、寒い!

2021年12月26日 18時32分22秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、朝から快晴、洗濯日和だったが、
日中の気温は上がらず、冷え冷え、
午後になってから、ちょこっと近くを歩いてきたが、
寒い!、寒い!、
コンデジ持つ手が悴んで・・・。
花鳥に名を尋ねつつ爺散歩
スマホの歩数計で、約6,500歩

この寒い今時、咲く花、「君の名は?」

「君の名は?」
ブーゲンビリア・・かな?

 

今日もいたいた、カワセミ
かなり遠くにいたが、近くの橋脚に移動
モデルになってくれた。

 

カルガモ
食事に大忙し!

オオバン

マガモのオス

ダイサギ


「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その34

2021年12月26日 10時45分26秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等は、かなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その34

第267段 「世の中に、なほいと心憂きものは」
他人から受ける愛と憎しみについての随想の段。清少納言は、常に他人から愛され、目立つ存在でありたいと願っていた女性だったのだろうか。人に憎まれるということは、「いと心憂き」ことと述べている。一方、現実には、愛される人と嫌われる人が存在している分けで、そのことは、「いとわびしきや」と受け止め、親や仕える主人や仲間等みんなに愛されることを、「めでたきこと」として、夢見ている。

      

この世の中で一番つらくて憂鬱なことは、人に憎まれることでおます。
どない偏屈サンかて、憎まれるのを、自ら望む人はおまへん。
せやけど、宮仕えでも、家族やお友達の間でも、
かわいがられるのと、そうでない者が、でけてしまうのは、寂しいことや。
これは、家柄もよく恵まれた人やったら言うまでもあらへんし、
下々の者かて、親などかわいがる子は、人の目を引いて、
粗末にはされへんどす。
見栄えのする子が、ちやほやされるんは、当たり前やし、
どういうこともあらへん子かて、親なればこそ、いとしく思うものや・・・。
何はともあれ、親にも、仕える主君にも、語り合えるすべての人にも、
人に愛されるということほど、めでたいことはおまへんどす。


原文だよーん

世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。誰(たれ)てふ物狂(ものぐる)ひか、我(われ)人にさ思はれむとは思はむ。されど、自然に、宮仕へ所にも、親、兄弟(はらから)のなかにても、思はるる。思はれぬがあるぞいとわびしきや。よき人の御(おほん)ことはさらなり、下衆(げす)などの程も、親などのかなしうする子は、目立て耳立てられて、いたはしうこそ覚ゆれ。見るかひあるはことわり、いかが思はざらむと覚ゆ。異なることなきは、またこれをかなしと思ふらむは、親なればぞかしとあはれなり、


(注釈)

世の中で、何と言っても、大変つらいものは、人に憎まれるということであるだろう。一体、どんな変わり者が、自分は人に憎まれたいと思うだろうか。そんな人はいない。だけど、自然と、宮仕えの場所でも、親兄弟の間でも、愛される、愛されないということが有るのは、実に情けないものだ。身分の高い人の場合はもちろんのこと、下衆等の身分でも、親等がかわいがっている子は、他人に注意注目されて、大事にすべきもののように思われる。そういう子が世話のしがいが有る場合は当然で、また、格別のこともない子は、またこれをかわいいと思うようなのは、親だからだなあと思うと身に染みることだ。


2021年泳ぎ納め

2021年12月25日 21時54分34秒 | スイミング

(NHKテレビ、天気予報から拝借)

天気予報によると、今夜から明日に掛けて、
日本列島付近に、数年に一度の強い寒気が流れ込み、
日本海側を中心に、大雪になる恐れがあるようで、
厳重な警戒が呼び掛けられている。
当地も、今日は、朝方まで降った雨は止み、
日中、晴れ間も見えたが、雲の多い1日で、
夕方からは、一段と冷え込んできた。
寒!、寒!
足、痛!、腰、痛!、体調もイマイチ・・・、
今日は、ほとんど動いていなかったが、
いかん!、いかん!、
こんな日こそ、泳いでくるべし・・・、
炬燵に入ってしまえば、おしまい、
尻に鞭を入れ、やおら重い腰を上げ
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程帰って来たところだ。


今日は、12月第4土曜日、
孫娘のようなU指導員によるバタフライ中心のレッスン日
毎度のこと、基本、基本の繰り返しだったが、
特に、ストロークの姿勢をチェックされた。
今日のM4グループの出席者は 女性10人、男性3人。
レッスン終了後は、例によって居残り、
疲れを知らないベテラン女性陣の後ろにくっついて
(60代、70代のおば(あ)ちゃんばかり?だが、皆さん元気)
5秒間隔スタート、クロール 50m✕10本
4種目 25m✕4本
なんとか泳ぎ切って引き上げてきた。
12月27日から1月3日までは、年末年始休館になるため 
今日が、2021年最後のレッスン日。
泳ぎ納めだ。

新型コロナウイルス、オミクロン株の市中感染が始まっており
年末年始に、第6波の懸念も有りだが、
来る2022年も、
施設や店舗に「休業要請」とかが出るような事態に
ならないことを願うばかりだ。

文字通り、裸の付き合い?、
細く長く続いている泳友たち、
「来年もよろしく・・」を、
言い合って退散した。

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脳トレのつもりでひねる五七五 2021年振り返り・その1

2021年12月25日 13時43分29秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、4年前頃に、相互ブログフォロワー登録しているのびた様からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ、所詮、川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、今年1年間に作った「折句」を、振り返ってみた。

川柳で「折句」とは、五七五の頭に、出題のされた3文字を置いて詠む句のことで、2~3年前までは、テレビ番組「笑点」等を見て笑っていただけで、自分でやること等、考えもしなかったものだが、いざやってみると言葉探し等、難しい反面、結構、面白いことも分かった。


今年(2021年)1年間に作った「折句」


折句「お・も・ち」

    おめぇさん耄碌するにゃちと早ぇ

折句「よ・け・る」

    嫁さんに煙たがられて留守居番

折句「き・せ・つ」

    君偲び切なさ募る月の夜

    気が滅入る世間の風の冷たさよ

    君恋し背伸びして待つ通学路

折句「さ・く・ら」

    サドンレス組んず解れつ埒明かず

折句「れ・き・し」

    冷淡に拒否されガクッしょぼくれる

折句「あ・や・め」

    あの方にやさしく抱かれメロメロに

    アスリートやっぱり目指すメダリスト

折句「ま・い・く」

    負けました今じゃあんたに首ったけ

折句「も・じょ・か」

    盛り上がる女子会話爺蚊帳の外

折句「か・あ・ぶ」

    かっこいいあの人実は無精者

    鍵掛けず開けっ放しの不用心

    カアチャンの慌てる姿不格好

折句「か・れ・い」

    監督も連敗すりゃあ胃が痛む

    叶えたい練習の虫いつか夢

折句「か・わ・も」

    かあさんも若い頃にはモテたんよ

    神頼み分かっちゃいるがもう一度

折句「は・な・れ」

    流行る店馴染みの顔の列が出来

    はっきりと名前を言って礼をしろ


数年前から投句するようになっている、鹿児島のコミュニティFMぎんがの「てんがら川柳五七五」。今年1年間に投句した「折句」の内の何句かが、撰者の石神紅雀様春田あけみ様から選ばれて、
   爺さんもおだてられりゃ木に登る
の気分になったものだが、それに輪を掛けて、長年「てんがら川柳」に携わっておられる、相互フォロワー登録している村永チトセ様が描く己書色紙を、その都度いただき、川柳の才無し初心者の爺さんには、まるで、宝物?、表彰状?、勲章?にもなっている次第、改めて、感謝しているところだ。

村永チトセ様ご本人からご承諾をいただいたので掲載させていただくことにした。

 

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「ママがサンタにキッスした(I Saw Mommy Kissing Santa Claus)」

2021年12月24日 21時14分00秒 | 懐かしいあの曲

12月24日、金曜日、クリスマス・イヴ、
繁華街のイルミネーションや賑わいの映像等を、横目で眺めながら、
普段とまるで変わらずの静かな老夫婦の夜である。
せめて、YouTubeでクリスマスソングでも聴いてみるか・・・・。
なんとなく聞き覚えの有る曲がワンサカ有るが、その中の1曲、
「ママがサンタにキッスした」。
今更になってネットで調べてみると
「ママがサンタにキッスした」は、1952年(昭和27年)に、当時13歳だったジミー・ボイド(Jimmy Boyd)が録音し、大ヒットした、トミー・コーナー 作詞・作曲のクリスマスソング、原題、「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」だった。世界各国で、翻訳され、世界中で歌われており、日本では、後藤久美子、弘田三枝子、天地真理、天童よしみ、鈴木雅之等が歌っているようだ。

ジミー・ボイドの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」 (YouTubeから共有)

少年少女合唱団みずうみの「ママがサンタにキッスした」 (YouTubeから共有)

 

 

 

 


ウスゲショウ(薄化粧)

2021年12月24日 17時48分24秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

当地、今日も快晴、
早朝の気温こそ、0℃前後と冷え込みが厳しかったが、
日中は、風も無く、体感的には、やや温かくも感じられた。
毎週金曜日は、食料品等のまとめ買いのお抱え運転手?兼ポーター?、
午後になってスーパーに出掛け、ついでに、その周辺をちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約8,500歩。

花壇の水仙が、もう咲いている。

 

なにやら、きれいな葉?の植物、
多分、初めて見掛けるような気がして、
「君の名は?」

帰ってからネットで調べてみると、
「ウスゲショウ(薄化粧)」という多肉植物であることが分かった。
春には、黄色の花が咲くようだ。
名前が、なんともいい感じ!
春になったら、また 通ってみたい。

(ネットから拝借した花の画像)


ウスゲショウ(薄化粧)

ベンケイソウ科、マンネングサ属、多肉植物、
    和名「薄化粧」は、葉が紅葉して、薄化粧したように、
    うっすら、淡い赤色、ピンク色に色づくところからつけられたもの。
    肉厚の葉を幾重にも重ね、葉だけでも花のような多肉植物。
    別名 「セダム」、「パルメリ」
原産地 メキシコ
草丈 10cm~30cm、
花色 黄色
   茎の先をヒューッと伸ばし、ロゼット状の花を咲かせる
開花時期 2月頃~6月頃
花言葉 「静寂」「落ち着き」「私を思って下さい」「記憶」
    「枯れることのない愛」「星の輝き」