たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

難波潟 短き芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや

2021年12月24日 10時12分32秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その13

難波潟 短き芦の ふしの間も
逢はでこの世を 過ぐしてよとや

出典
新古今集(巻十一)

歌番号 
19 

作者
伊勢

歌意
難波潟に生えている芦の短い節と節の間のような
ごく短い時間でさえも、あなたにお逢い出来ずに
この世を過ごしてしまえとおっしゃるのですか

前半で、風景の美と寂しさを描写し、
後半で、男性への恨みをの訴えている作品である。

注釈
「難波潟」は、「難波江」とも言う。現在の大阪湾の一部。
干潮の時は干潟になり、芦の名所だった。
「ふしの間も」は、節と節の間ということで、
短い時間を比喩している。
「逢はで」は、「逢わないで」の意。
「この世」の「世」は、「世の中」「男女の仲」の意。
また、芦の節の中間を「よ」と言っていて、芦の縁語でもある。
「過ぐしてよとや」の「てよ」は、「・・してしまえ」の意。
「や」は、疑問の係助詞で結びが省略されている。


伊勢(いせ)
生没年未詳だが、900年前後の女流歌人。三十六歌仙の一人。
父親が伊勢守藤原継蔭だったことから「伊勢」と呼ばれた。
宇多天皇の后七条に仕え、後に宇多天皇の寵愛を受け皇子を生んでいることもあり、「伊勢の御(いせのご)」とも呼ばれた。
容貌、心情の美しい女性で、宮仕えの過程で多くの男性に愛されたと言われている。家集に「伊勢集」が有る。


「三十六歌仙」とは
平安時代に、藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ三十六人の歌人のこと。

柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持、猿丸太夫、僧正遍昭、小野小町、在原業平、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、藤原兼輔、藤原敏行、壬生忠岑、坂上是則、藤原興風、源重之、大中臣頼基、源公忠、平兼盛、小大君、中務、藤原元貞、伊勢、源宇干、斎宮女御、藤原敦忠、藤原高光、源信明、清原元輔、大中臣能宣、藤原仲文、源順、藤原清正、壬生忠見、藤原朝忠、素性法師、


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


ふっと思い出した故郷の言葉 No.63 「どいやん」

2021年12月23日 17時37分31秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し(ブログ カテゴリー)「懐かしい故郷の方言」に 書き留め置くことにしている。

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「味噌作り」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


No.63 「どいやん」

「どうなんですか」、「どうしてですか」の意で、
聞いたり、話したりしていたような気がする。

例えば

「オマン シゴトモセント ドイヤンネ」
(あなた、仕事もしないで どうしたんですか)

「レンラクコンソイ、ドイヤンカ ワカランワネ」
(連絡が来ないので、どうなんだが 分かりませんよ)

コメント (2)

「ウインター・ワンダーランド(Winter Wonderland)」

2021年12月23日 13時41分32秒 | 懐かしいあの曲

今年も、とうとう、「もういくつ寝るとお正月・・・」になってしまった。
毎年、歳末も、クリスマスも、正月も、さして変わらぬ老夫婦の暮らしではあるが、伝わってくるムードだけは、楽しんでいる。
クリスマス・ソングと呼ばれる曲が、新旧、数多有るが、先程、「雪景色」の写真を見ていて、ふっと思い浮かんだ曲が有る。
「ウインター・ワンダーランド」だ。
今更になってネットで調べてみると、
「ウインター・ワンダーランド(Winter Wonderland)」は、1934年(昭和9年)に、作詞 リチャード・バーナード・スミス、作曲 フェリックス・バーナード、でリリースされたポップス曲だった。リチャード・ヒンバーが初録音した後、ビング・クロスビー、ペリー・コモ、トニー・ベネット、カーペンターズ等、200人以上のアーチストにカヴァーされ、冬のロマンスを描いた曲のため、クリスマス曲として定着した曲だという。日本でも、和訳され、邦題「すてきな雪景色」として、クリスマスの頃やスキー場等のBGMとして使われているようだ。

トニー・ベネット(Tony Bennett)の「ウインター・ワンダーランド」  (YouTueから共有)

クラウン少女合唱団の「ウインター・ワンダーランド(すてきな雪景色)」 (YouTubeから共有)


「トンネルを抜けると・・・」(再)

2021年12月23日 10時26分51秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とは、川端康成著「雪国」の有名な書き出しだが、北陸の山村、雪国で育った爺さんは、毎年、冬になると、「トンネルを抜けると、そこは天国のような青空が広がっていた」という思いを、何度か味わったことを思い出す。

昭和30年代半ば、中学生、高校生の頃の話、何回か上京したことが有ったが、当時は、まだまだ、車社会とはなっておらず、北陸からは、信越本線か上越本線の普通列車を利用するしか無かった。夏場の場合は、ほとんど記憶がないが、冬場、(記憶曖昧、イメージではあるが)、例えば、猛吹雪の中、長靴、厚手のオーバーコートで、真っ白になって、最寄りの駅に駆け込み、雪を払い乗車、列車は、しばらく日本海沿い、暗い空、白い世界を走るが、新潟県と長野県、群馬県の県境のトンネルを抜け、峠を越え、太平洋側に出るやいなや、眩しい日射し、真っ青な空、全く違った世界に変わり、着込んでいた衣類が場違いに映り、ばつが悪そうにバックにしまいこんでいた自分がいた。こんなに狭い島国日本で、どうしてこんなに気候のギャップが大きいのか、恨めしく思ったものだった。

西高東低、冬型の気圧配置が強まると、北西からの冷たく強い季節風が、日本海でたっぷり水分を含んで、日本列島の背骨にぶつかり、大雪を降らせ、水分の無くなった空っ風が、太平洋側に吹き降ろしてくるという大自然の摂理。北陸等、日本海側では、11月頃から3月頃までは、雲ひとつ無い大快晴が何日も続くということ等、滅多に無く、朝快晴でも、あっという間に天候が変わってしまう、油断出来ない日が春先まで続くのだ。

昭和30年代、40年代頃の実家周辺の冬景色
根雪になると道路は除雪せず、かんじきで踏んだ一本道を通行していた。

雪国の人は、粘り強い、辛抱強い、我慢強いと良く言われる。それは、気候風土が心身に影響を与えているのかも知れない。特に、冬は雪との戦い。朝起きると、先ず、雪かきをしなければならない。屋根雪下ろしもしなければならない。勤務先でも、除雪してから仕事ということになる。最近は、除雪車の普及や、融雪道路の整備といった雪対策、凍結対策が行われ、通勤通学移動もマイカーで、昔より、個人の負担は、天と地程の違いで少なくなっているのかも知れないが、暮らしの周辺は、やはり自分達で対処するしかなく、老若男女、それぞれ、大変であることは、変わっていないと思い、北海道、東北、北陸の日本海側等の大雪のニュースを聞く毎に、そのご苦労に思いを馳せてしまう。冬の旅行先で、素晴らしい雪景色に出会って「ワッ!きれい!」と感動したり、スキー場で雪を楽しむ大都会の観光客や行楽客と、昔、雪国で育った者、現在、雪の中で暮らす者とでは、雪への思いは、根っこではちょっと違うのではないかと思っている。

今年も、そろそろ、北海道、東北、北陸等の大雪、猛吹雪の雪情報が届き始めているが、見聞きする都度敏感に反応、郷里の積雪風景や知人友人親戚等の雪と格闘する日常の様子までが思い浮かんでくる。冬本番は、まだまだこれからだ。

長い冬、じっと春を待ち続ける分、3月頃、黒い土手が見え始め、雪解け水が、ちょろちょろ流れ始める頃には、なんとも言えない喜びがあふれてくる。雪国の人、雪国で育った人には、分かるし そうでない人には、分からない喜びだと思う。郷里を離れ、滅多に雪の降らない首都圏に住んで50年以上になるが、子供の頃の雪国の季節感、心情を、未だに持ち続けている爺さんである。

目に見えない敵、新型コロナウイルスの感染が全世界に広がり、長いトンネルに入ってしまっているような閉塞感有りの暮らしが続いているが、せめて、出口の明りを見せて欲しいものだ。

「冬来たりなば 春遠からじ」

 


想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その7 (再)

2021年12月22日 15時32分02秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。


今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアー「カナディアン・ロッキーと紅葉のメープル街道」に申し込み、カナダを訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、ブログ記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。


「紅葉のカナダ・メープル街道」その7
「ナイアガラ・オン・ザ・レイク街中散策とワイナリー立ち寄り」

(ネットから拝借画像)

前日、アルゴンキン州立公園ミニハイキングを終えて、トロントの宿泊ホテルに到着したのは、19時30分頃で、その後に夕食、連日のハードスケジュールでかなり疲労がたまっていたはずだが、その日も、朝8時に、宿泊ホテルを出発。いよいよ、ツアー最終目的地、「ナイアガラ」に向かった。トロントとナイアガラは、直線距離では、80km程度だが、先ず、バスは、クイーン・エリザベス・ハイウエイを走り、移動距離、約140km、所要時間、約2時間の「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」ヘ。
出勤時間にあたる片側4車線のハイウエイには、「ダイヤモンド・レーン」という、バスや2人以上乗車の車両優先車線が設けられていて、渋滞が発生しないよう工夫されている。同地方は霧が発生しやすい地形で、事故を軽減するため、昼夜共、走行車はライト点灯が義務付けられているそうだ。


(1)トロント

カナダの経済、文化の中心都市、人口、約470万人、カナダ最大都市だ。国際色豊かな都市だが、ツアーには、トロント市内観光等は組み込まれておらず、残念ながら宿泊と通過だけ。


(2)ナイアガラ・オン・ザ・レイク

トロントからバスで約2時間、オンタリオ湖に流れ込むナイアガラ川の河口に有り、かってイギリスの植民地時代、アッパー・カナダの総督官邸が置かれていたこともあり、1840年代に建てられたイギリス風の歴史有る建物が今も尚多く現存している、静かで情緒有る街だ。
街の中心を走るクイーン通りを中心に、街中散策。

 


(3)ワイナリー「シャトル・シャルムス」

「ナイヤガラ・オン・ザ・レイク」周辺一帯は、見渡す限り、葡萄だ。
60以上のワイナリーが有り、カナダの全ワインの約85%を生産しているのだそうだ。
そんなワイナリーのひとつ、「シャトル・シャルムス」に立ち寄り。
試飲場が設けられており、白ワイン、赤ワイン、アイスワインの試飲が出来る。

ワイナリー「シャトル・シャルムス」の周辺一帯は、オーナー(社長)の所有地なんだそうで、その社長の豪邸も見える。

ワイナリーには、お土産コーナーも有り、初めて知った「アイスワイン」、ミニサイズを、話の種に買い求めた。


(4)アイスワイン

完熟した葡萄の実を、敢えて秋に収穫せず、-8℃以下の厳冬期の真夜中から早朝に、一房づつ 手摘みし、凍ったまま一気に圧力を加え、搾ると、葡萄に残った僅かな水分は、氷のままで、氷点下でも凍らない果汁だけが、ほんの僅か得られ(一房の葡萄から、スプーン1杯程度)、その果汁を、通常のワインの8倍もの時間(6ヶ月近く)をかけて発酵させるという、想像を絶する過酷な労力で造られたワインのこと。生産性が悪いこと、稀少価値が高く、高価なワインということなるが、一般的なワインとは、甘さが断然違う。「アイスワイン」という名称は、例え同じような製法で造られていても、ドイツやオーストリア等カナダ産以外では、名乗ることが出来ない国際登録商標なんだそうだ。


ワイナリー「シャトル・シャルムス」の滞在時間は、わずか30分。11時45分頃には集合、出発、いよいよ、ツアーのフィナーレ、「ナイアガラの滝観光」へと、向かった。


ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(7)
ナイアガラ・オン・ザ・レイク街中散策とワイナリー立ち寄り
👇
こちら


(つづく)

 


「冬至 冬中 冬始め」

2021年12月22日 09時27分33秒 | 暮らしの記録

今朝7時15分頃の月、西北西、月齢 17.8

当地 今日の日の出時刻は 6時49分頃、日の入時刻は 16時33分頃、日長時間は 約9時間44分。今日は 「二十四節気」のひとつ「冬至」。北半球では、1年で最も日長時間が短い日だ。「二十四節気」とは何?も分からなかった子供の頃に教えられ、「夏至」と共にしっかり覚えた日でもある。「二十四節気」とは 節分を基準に1年を24等分して約15日毎に分けた季節のこと。例えば「冬至」も、最初の1日、12月22日だけを指す場合と、その日から約15日間を指す場合が有る。今回の場合、12月22日~1月4日までが、「冬至」ということになる。あまり馴染みのないように見えるが 現在でも 季節季節の変わり目の挨拶等に、無意識に使っていることが多い気がする。
   「冬至 冬中(ふゆなか) 冬始め」
という、冬至の頃からが、本格的な冬の厳しい寒さになるという意味合いの諺が有る。
「冬至」の日には、地方によっては、小豆粥やかぼちゃを食べたり、冷酒を飲み、柚子湯に入り 身体を温める風習があるという。

(ネットから拝借)

寒さは、ますます厳しくなっていくが、今日を境に、日長時間は、次第に長くなっていく。
冬来たりなば 春遠からじ
今度は、春を待ち侘びる心情が、強くなってくる。

 

 

 

 


水鳥も忙(せわ)しい師走昼下がり

2021年12月21日 18時01分51秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日も、快晴、
午後になってから、ちょこっと近くを歩いてきた。
鳥にも疎い爺さん、苦手な鳥撮り散歩、
オートフォーカス、ピント合わせいい加減、手持ちコンデジ、

マガモ(真鴨)・・かな?
10数羽の集団で忙しく食事中、

カワセミ(翡翠)

狙い定めて、ドボーン!、ダイビング、
お見事、大物ゲット、
どんなもんだい!

ちょっと大き過ぎ?、飲み込めず、四苦八苦?
遠過ぎて、肉眼では見えず、カシャ、カシャ、撮ったら、写っていた写真。

オオバン(大鷭)・・・かな?
目まぐるしく動き回り、水中の水草をゲット、


来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ

2021年12月21日 13時49分09秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その12

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

出典
新勅撰集(巻十三)

歌番号 
97 

作者
権中納言定家

歌意
いくら待っていても来ない恋人を待っている私は
松帆の浦の夕凪時に焼く藻塩が火にこがれるように
恋人を慕って身も恋いこがれてせつないことよ

注釈
「まつほの浦」は、「松」と「待つ」の掛詞。
「松帆の浦」は、淡路島の北端に有る海岸名。
「夕なぎ」は、夕方の無風状態のこと。
「焼く」は、昔の製塩法ことで、海水を何度もかけた海藻(藻塩草)を
天日で乾かし、それを焼いて水に混ぜ煮詰めていくこと。
「身もこがれつつ」は、私のこの身も、藻塩が焼け焦げるように、
恋いこがれているの意。

「万葉集」(巻六)の長歌に、
「・・・淡路島、松帆の浦に、朝凪に、玉藻刈りつつ、夕凪に
、藻塩焼きつつ、海少女(あまおとめ)、ありとは聞けど・・・」があり、
その歌を本歌にした「本歌取りの歌」
「本歌取りの歌」とは、元の歌の趣を利用して、一段と内容を深めた歌のこと。
序詞掛詞縁語を自在に使って、
来ぬ人を待ちこがれる女性の心情を、
藻塩を焼く松帆の浦という幻想的風景の中で表現している。
和歌史上最高の歌人と言われる藤原定家の面目躍如たる歌と言えるだ。


権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)
新古今時代の代表的歌人、藤原定家(ふじわらていか)のこと。藤原俊成の子。
「小倉百人一首」の撰者「新古今集」「新勅撰集」の撰者
正三位・権中納言まで進み、和歌所寄人(わかどころよりうど)となった。
歌論書「近代秀歌」「毎月抄」、日記「名月記」、家集「拾遺愚草」等が有る


川柳

来ぬ人は花と風との間(あひ)に見え


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


冬至前あっという間に今日も暮れ

2021年12月20日 16時54分30秒 | 散歩・ウオーキング

1年で最も日長時間が短い候、
今日も、あっという間に日も暮れて。
午前中、2ケ月毎の定期検査で、病院往復したが、歩いておらず、
ちょこっとでも、歩くべし、
気温は上がらず、風も冷たいけど、雲一つ見えない快晴。
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約8,000歩。

モズ(百舌鳥)・・かな?

君の名は?

当地、今日の日の入時刻は 16時33分頃、
今夜から明朝に掛けては、放射冷却で
一段と冷え込みが厳しそうな空模様だ。

コメント (6)

「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その33

2021年12月20日 16時10分59秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「清少納言のきつーい一言」・まんがゼミナール「枕草子」 その33

第262段 「文ことばなめき人こそ」
清少納言は、言葉や文字に対して、非常に関心が高く、流行語等の使用を嫌い、敬語の秩序を乱すことには、格別耳ざとい女性だった。下賤な階級の無教養な者が、粗雑な言葉遣いをしたり、敬語の使い方を間違えたりするのは許せるが、手紙を書くような知識階級の者が、失礼な言い方をしたり、敬語の使用のいい加減なのは、許せないとしており、世人を軽く見ている精神のなすわざだと、厳しく警告している文明批評の段。

「あれ!、ンま!」
手紙に敬語を省いてしまった人は、ほんま、憎たらしでおます。世の中を見くびって。書き流してある言葉遣いが憎うおます。
「な、何や!、ええ加減なこの文は」
「礼儀をわきまえへん手紙もろたときは、当たり前やけど、人に来たのさえ、憎らしい」

かというて、さほど敬うことでけへん人に、あまりかしこまった手紙をあげるのも、おかしなことどす。
差し向かいの話のとき、言葉遣いの乱暴なのも、片腹痛くおます。田舎びた者がそのような調子なのは、愚かなのやから、笑い草でよろしおすが。
「あのさあー!」「ムッ!」
一家の主人に対して、ぞんざいな言葉を遣うのも、ほんま、よろしおまへん。
「エヘヘヘ!」「イヒヒヒッ!」
敬語の使い方がいい加減な人には、あな、わろし。愛想おまへんな。どないして言葉遣いが乱暴でおますのや・・・。
「あの、道隆が、さあー」
殿上人など、偉い人たちの本名を無神経に言うのは、礼儀に反することなのどす。
「そのお方、やんごとなき君・・・」「ワテのことでおますか?」
それと反対に、女房の局の下働きにさえも、あの殿方は、ワテを「あの君」と呼ばれはった。ええお方や!、上品なお方や!、
「左大臣」「右大臣」「大納言」「大蔵卿」「春宮大夫」
殿上人や若者たちの名を呼ぶときは、帝やお后の御前以外は、官名のみを言うのが、習わしでおます。


原文だよーん

文(ふみ)ことばなめき人こそいと憎けれ。世をなのめに書き流したることばの憎きこそ。さるまじき人のもとに、あまりかしこまりたるも、げに、わろきことなり。されど、わが得たらむはことわり、人のもとなるさへ憎くこそあれ。大方(おほかた)、さし向かひてもなめきは、などかく言ふらむと、かたはらいたし。まいて、よき人などを、さ申す者は、いみじうねたうさへあり。田舎(ゐなか)びたる者などのさあるは、をこにていとよし。


(注釈)

手紙の言葉遣いのぶしつけな人は、実に憎らしい。世間をないがしろにしたように書き流している言葉が憎らしいのだ。かしこまる必要の無い人のところへ、あまりかしこまった言葉を使うのも、本当によくないことだ。しかし、ぶしつけな手紙を自分でもらったような時は当然のこと、人のところに来たのまで憎らしい。そもそも、対談の場合でも、言葉が無礼なのは、どうしてこのように言うのだろうと、はたで聞いても聞くにたえない。まして、身分の高い人などのことを、そのように申し上げる者は、ひどく腹立たしいとまで感じる。ただし、田舎じみた人などが言うのは、馬鹿げていて、まことによい。