たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

キンギョソウ(金魚草)

2021年12月16日 11時34分11秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

ブログを始めてからのこと、猫額庭で咲く花達や散歩・ウオーキングの途中で見掛ける花達をやたら撮り、ブログに載せることが習慣になってしまっている爺さんであるが、まるで草花に疎く、どれもこれも「君の名は?」。知らない花、忘れてしまった花の多さを痛感している。その都度、相互フォロワー登録している方々から教えてもらったり、ネット等で調べたりしてきたが、教えてもらっても、調べても そのそばから忘れてしまう老脳。記憶補助ツールとして、知った花名、分かった情報を ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。
花に詳しい人からは「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と言われそうだが、花に疎い爺さんにとっては、新情報、新知識。「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になている。

先日、ある方のブログを拝見していて、「あっ!、これだ!」という花があった。今年、2021年11月8日の散歩・ウオーキング途中に花壇で見掛け、撮っていた「キンギョソウ」だ。その時はまだ、半信半疑、「君の名は?」だったが、どうも間違いなさそうなので、改めて写真を引っ張り出し、書き留め置くことにした。

2021年11月8日に撮っていた「キンギョソウ」


キンギョソウ(金魚草)

オオバコ科、キンギョソウ属、一年草または多年草、
    別名 スナップドラゴン、アンテリナム
原産地 南ヨーロッパ、北アフリカ、地中海沿岸
草丈 20cm~1.2m
花色 白色、ピンク色、赤色、黄色、紫色、オレンジ色、クリーム色、他
開花時期 3月頃~6月頃、9月頃~11月頃、
     四季咲きも有り、冬季開花する品種も有る。開花期間が長い。
花言葉 「おしゃべり」「でしゃばり」「おせっかい」


 


12月第3水曜日、

2021年12月15日 21時57分03秒 | スイミング

腰、痛!、左腿、痛!、首、痛!
身体、だるーい、おもーい、
散歩・ウオーキングも休んで(サボって)しまい、
1日中家籠り、動いていないし、
スマホの歩数計見ると、1,000歩足らず
いかん、いかん、
こんな日には、泳いでくるべし・・・、
リハビリのつもりで・・・、
やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し
先程、戻ってきたところだ。

今日は、12月第3水曜日、
ベテランのE指導員による平泳ぎ中心レッスン
毎度のこと、基本、基本の繰り返しだったが、
特に、平泳ぎのストロークの姿勢、手の位置、頭の位置を
チェックされた。
M4グループ、今日の出席者は、女性8人、男性2人、
2レーン使用、ソーシアルディスタンス
指導員は、マウスシールド着用、

平泳ぎのストローク(YouTube) → こちら

毎度のこと、出掛けるまでは、
なかなか重い腰が上がらない爺さんだが、
いざプールに入ってしまえば、
いつもの調子になり、
レッスン終了後も、例によって居残り 
疲れを知らない?ベテラン女性陣の後ろにくっついて
5秒間隔スタート 
クロール 50m×10本、4種目 25m×4本、
喘ぎながらも、なんとか泳ぎ切って引き上げてきた。
泳いで帰ってくれば、
程好い疲労感とそれなりのすっきり感、
遅い夕食に1杯のビールで、
いい気分になっているところだ。
バタン!キュー、熟睡出来そうだ。

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「グリーン・フィールズ(Green Fields)」(再)

2021年12月15日 15時31分08秒 | 懐かしいあの曲

今日の当地、朝の気温は、0℃前後と厳しい冷え込みだったが、快晴、
日中、冷たい風は有るものの陽射しは強く、14℃前後まで上がり、
体感的には、温かく感じる日になっている。
「キョウヨウ無し」(今日は特別な用は無し)
昼下がり、眩しい冬晴れ?の庭を眺めながら、またまた、古いCDを引っ張り出して、聴いているところだ。久し振りに、オールディーズ。

昭和30年代から40年代頃、さかんにラジオから流れていたアメリカン・ポップス。どれもこれも懐かしい曲ばかりだが、その内の1曲、ブラザーズ・フォアの「グリーン・フィールズ」も脳裏に焼き付いている曲の一つだ。

今更になって、ネットで調べてみると
「グリーン・フィールズ(Green Fields)」は、元々は、1956年(昭和31年)に、シンガーソングライターグループ、イージー・ライダーズ(The Easy Riders)のメンバーが作詞、作曲し、発表した楽曲だった。1960年(昭和35年)に、アメリカのフォークグループ、ブラザーズ・フォア(The Brothers Four)が取り上げ、発表したことで、一躍世界的に大ヒット、ブラザーズ・フォアの代表曲の一つになっているという曲だ。
旋律の美しさから、インストゥルメンタルとして、ビリー・ヴォーン、ロジャー・ウイリアムス、パーシー・フェイス等、数多の楽団にも演奏されている。

ザ・ブラザーズ・フォアの「グリーン・フィールズ」 (YouTubeから共有)
 

ビリー・ヴォーン楽団の「グリーン・フィールズ」 (YouTubeから共有)

 

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寒波来ても来るな六波年の暮れ

2021年12月15日 10時36分32秒 | 暮らしの記録

12月15日、2021年(令和3年)も残すところ、半月となってしまった。加齢と共に、時の過ぎ行く速さが加速しているのではないかと錯覚もしてしまうが、時は正確。砂時計の砂が残り少なくなっている後期高齢者にとっては、1日、1週間、1ケ月、1年が 愛おしい。
ここにきて、全国的に、新型コロナウイルス新規感染者数が激減してはいる状況ではあるが、新たな変異株、オミクロン株の感染拡大の懸念もまた高まっている師走である。

(NHKニュースより)

世界各国の新規感染者数の推移を報道で見る限り、いかに万全の水際対策をしているとは言え、見えない敵のこと、日本だけがこのまま収束するとは、どうしても考えにくい。このグラフに、第6波が描かれてしまうのかどうか、誰しも懸念するところだと思われる。昨年、一昨年の年末年始を、じっと我慢で過ごした年寄り、来る年末年始、是非、「再拡大」等という報道を聞かずに過ごしたいものである。

波来てもるな六年の暮れ


想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その5 (再)

2021年12月14日 17時45分40秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。


今から5年前2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアー「カナディアン・ロッキーと紅葉のメープル街道」に申し込み、カナダを訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。


「紅葉のカナダ・メープル街道」その5
「滞在時間わずか1時間半、カナダの首都オタワ市内観光」

(ネットから拝借画像)

前日、モントリオールからオタワの宿泊ホテルに到着したのは、21時頃だったが、その日の集合出発時間が8時とあって、モー二ングコールは、早朝5時。ハードスケジュールが続く。その日は、先ずは、「オタワ市内観光」・・・とは言っても、「カナダ議会(国会議事堂)」「ニドー運河の一部」2ケ所だけの観光で、その滞在時間は わずか1時間半、慌ただしい観光だった。


オタワ

オタワは、カナダ南東部オンタリオ州に有る、広域園の人口が約120万人のカナダの首都だ。
トロント、モントリオール、カルガリーに次ぐ、カナダでは、4番目の都市だが、立法行政機関が集中する政治都市だ。1920年に、軍事目的で、リドー運河が建設された際、バイタウンと言う小さな村が出来、その村がオタワの母体なんだそうだ。1850年代、カナダの首都を決定するについては、イギリス系移民圏のトロント、キングストン、フランス系移民圏のケベック、モントリオールが、激しく対立するという歴史的背景もあったようだが、1858年、ビクトリア女王の決断で、イギリス系移民圏とフランス系移民圏の、丁度中間に位置する、当時、人口約2万人だった オタワが首都に選定されたという。オタワ中心部には、近代的な建物が並んでいるが、直ぐ隣りには、林や森等が有ったり、都会と自然が共存している理想的な都市とも言われているようだ。


(1)カナダ議会(国会議事堂)

「カナダ国会議事堂」は、イギリス統治時代の1857年に建造された、ネオ・ゴシック様式の建物。国会議事堂前の広場は、およそ国の重要機関らしくなく、のんびりしており、市民の憩いの場になっているようだ。広々とした芝生の上をリス達が走り回っており、リスに限らず、アライグマ等 野生動物が、日常的に、街の中に現れていると説明された。

 


(2)リドー運河

「リドー運河」は、首都オタワと古都キングストンを結ぶ、全長約202kmの長い運河で 1832年開通以来190年近く、ほとんど当時のまま使われているのだそうで、2007年には、オンタリオ州初の世界遺産に登録されている運河だ。高低差が有るため、ロックシステムと呼ばれる水門が400以上も有り、水門の開け閉めは、現在でも、「ロックマスター」と呼ばれる人達の手動で行われているのだそうだ。冬季は、運河の水は凍ってしまい、天然のスケートリンクになり、「世界一長いスケートリンク」として、ギネスブックに登録されているという。


バス車窓から撮った、オタワの市街風景


9時45分頃には、再び国会議事堂前に集合、次の目的地「アルゴンキン州立公園」に向かって出発。移動距離は、約260km、所要時間、約4時間、バスは疾走、
途中、大型バスが立ち寄れる施設はほとんど無く、休憩したのは1ケ所だけだった気がする。


ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(5)
カナダの首都オタワ市内観光
👇
こちら


(つづく)


「中学生日記より」その52(再)

2021年12月14日 10時32分48秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その52 「臨時ニュース」

昭和30年(1955年)12月8日、木曜日、天気 雨、
起床 6時、

1限目、社会、学期末テスト(試験)
2限目、保体、学期末テスト(試験)

宅) 10時40分

1、社会は、多分よかったが、保体は、まったくめんくらった。
2、雪が たらい?(平らな)草わら(草むら)などに積もっているのを見た。
3、昨日8時半ころ、臨時ニュースで、日本を入れる(含む)18ケ国が
  国連へ入ることが決まったそうだ。
4、さっそく、「次郎物語」の感想文2枚以上提出と出された(をするよう言われた)
5、二十年(昭和20年)の今日、こちらへ来たそうだ(東京からここへ疎開してきた日なのだそうだ)

この日は、学期末テスト(試験)2科目で終わったため、午前10時40分には、家に帰ったようだ。「社会」は、なんとか出来たようだが、「保健体育」のテストは、山が外れた?のか、珍紛漢紛だったようだ。
前日の日記に、夜、その年の初雪が降ったと書いて有り、草むらにうっすら雪が積もっていたようで、大雪ではなかった様子だ。
前日の夜、ラジオの臨時ニュースで、日本の国連加盟が決定したことを知ったようで、当時としては、大ニュースだったのだろう。実際の加盟は、昭和31年(1956年)だったようだが、そんな時代だったか・・・とつくづく思う。
前日、隣り町の映画館に出掛けて観た「次郎物語」、早速、その感想文を提出するよう言われたようだ。2枚ということは、原稿用紙2枚・・ということだと思う。
12月8日は、M男の家族が、東京から、M男の父親の郷里の山村に疎開し、そのまま定住して10年目になる日だったようだ。終戦から「もう10年」「まだ10年」、いろいろな思いが交錯した家族の話を、かいま聞いたのだろう。


ミヤコワスレ(都忘れ)

2021年12月13日 21時52分24秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

季節外れの花だが、すっかり忘れていた花で、「ミヤコワスレ(都忘れ)」の古い写真が、外付けHDに有り、改めて引っ張り出してみた。写真を見ると、記憶が蘇ってくる。何年か前に、隣家のAさん宅の庭で咲いていた「ミヤコワスレ」、お願いして撮らせてもらったものだが、草花に疎い爺さん、もちろん、その時初めて知ったる花だった。花名がなんともいい感じに聞こえ、印象に残ったものだったが、やっぱり忘れてしまっており、また、思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにする。


ミヤコワスレ(都忘れ)

キク科、ミヤマヨメナ属、多年草
   別名 「ノシュンギク(野春菊)」「アズマギク(東菊)」
      「ミヤマヨメナ(深山嫁菜)」
   和名の「ミヤコワスレ(都忘れ)」は、鎌倉時代の承久の乱(後鳥羽上皇
   が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げ敗れた兵乱)により、佐渡に流された
   順徳天皇が、この花を見ると都への思いを忘れると話されたことに由来し
   ている。
原産地 日本、
草丈 20cm~50cm
花色 紫色、青色、白色、赤色、ピンク色等
開花時期 4月頃~6月頃
花言葉 「しばしの慰め」「別れ」


 

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逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

2021年12月13日 11時27分35秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その10

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり

出典
拾遺集(巻十二)

歌番号 
43 

作者
権中納言敦忠

歌意
あなたに逢って、共に一夜を過ごした後の
いよいよ募る今の心に比べると、
逢う以前の恋のせつない気持ちは、
物思い等とは言えない程のものであったことよ

相愛の男女も、別々に住まなけらばならなかった時代の、
募る恋心の切なさを表現した歌

 注釈
「逢ひ見てののちの心に」
「逢ひ見る」は、男女が深い関係になる意。
「のちの心」は、深い関係になった後のますます高まる恋心の意。
「昔は物を思はざりけり」
「昔は」は、相手と深い関係になる前の意。
深い関係になる前も、当然物思いしていたはずであるのに
契を結んだ後の今のますます増してくる恋情と比べると、
物思いしていた内には入らない、
それほど今の思いは激しいという意。


権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)
藤原敦忠のこと。左大臣藤原時平の三男。三十六歌仙の一人。
管弦の道にも通じ、琵琶の名手だった。
醍醐、朱雀、両朝に仕え、26歳で左近少将となり、
37歳で従三位・権中納言になったが、翌年没している。
「大鏡」の記述によると、敦忠は、父親時平が悪計をめぐらし、
菅原道真を九州に追放したことを嘆き、
「われ命短き族なり。必ず死なむず」と、
父親の罪の罰として自分の短命を予想していたという。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


鬩ぎ合い冬将軍が陣を敷き

2021年12月13日 09時43分35秒 | 暮らしの記録

(日本気象協会 tenki.jp より)

天気予報によると、今日は、西高東低の冬型気圧配置が強まり、寒気が流れ込むため、北海道や東北の日本海側を中心に、積雪、猛吹雪、大荒れになるようだ。太平洋側は、概ね晴れるようだが、次第に冷たい風が強まるという。師走も中旬、いよいよ冬将軍が本気になって攻めてくる候となった。

鬩ぎ合い冬将軍が陣を敷き

「北風小僧の寒太郎」(YouTubeから共有)

 

 


12月12日、あっという間に日が暮れて・・・、

2021年12月12日 17時03分01秒 | 暮らしの記録

当地、今日の日の入り時刻は 16時30分頃。
あっという間に日が暮れて・・、

我が家の遅い夕食までには、まだまだ時間有り・・、
夜が長い・・、