たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ビワ(枇杷)

2021年12月20日 12時15分39秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

ブログを始めてからのこと、猫額庭で咲く花達や散歩・ウオーキングの途中で見掛ける花達の写真をやたら撮り、ブログに載せることが習慣になってしまっている爺さんであるが、そんな大量の写真は、とりあえず、取捨整理もせず外付けHDに送って保管してある。最近になって、不要な写真をどんどん削除すべく、覗くことも有るが、いい加減な性分、直ぐにも、「急いでやることもあるまい」等と頓挫している有様。
先日、「ビワ(枇杷)の花は、11月頃~12月頃に咲く」等という話を聞いて、10年位前に、我が家の猫額庭のフェンス際で大木に成り過ぎて、伐採してしまったビワ(枇杷)のことを思い出し、その頃に撮った写真が残ってないか、探し回ってみた。有った。でも、実の写真だけで、花の写真は見当たらない。多分、まだその頃は、それほど花に興味関心が無くて、撮っていなかったのかも知れない。そのビワ、妻に質すと、若い頃に、勤務先の同僚から貰ったビワの種を庭に蒔いたら、発芽、生育、あれよあれよと言ってる間に大木になってしまったのだ・・と言う。
「ビワ(枇杷)」について、今更になって、ネットで調べてみた。

10年前、2011年6月24日に撮っていた猫額庭のビワ(枇杷)
2階の高さにまで達し、枝葉が隣家の敷地に張り出し始めたことで
やむなく伐採することになった直前の様子のようだ。

ネットから拝借したビワ(枇杷)の花の写真

今年、2021年6月17日、散歩・ウオーキングの途中で見掛けて撮っていたビワ(枇杷)の実


ビワ(枇杷)

バラ科、ビワ属、常緑高木
    実の形が楽器の琵琶に似ていることから付けられてというのが主説。
原産地 中国
    日本には、古代に渡来。
    葉を煎じたものが、咳止め、利尿等に効果が有り、民間薬として
    利用されてきた。
樹高 2m~10m
   「枇杷は、庭に植えるものではない」等という迷信があるが、
   「ビワは、大変な高木になり、葉も大きいため、日光を遮ってしまい、
   健康に良くない。日陰の家になってしまい縁起が悪い」等ということが
   由来のようだ。
花色 白色
開花時期 11月頃~12月頃
     芳香を放つ。
     初夏、6月頃には、黄色の実が熟する。
花言葉 「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」「内気」
    「ひそかな告白」「静かな思い」


枇杷の木に 枇杷の花咲く 冬至かな   北原白秋

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天気晴朗なれど、今冬一番の冷え込み

2021年12月19日 17時08分58秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

ブルッ、ブルッ、
関東西部山沿いの当地、今日は、一日中、晴天だったが、
最低気温 -3℃前後、最高気温 6℃前後、
今冬一番の冷え込みだったようだ。

もう、1週間も行ってないし・・・、
大根、白菜、小松菜・・そろそろ採ってこないと・・・、
ということで、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
Go To 畑! と相成った。

(1)大根4本、白菜3個、小松菜 収穫

丸々太って・・・、
ヨッ!、ダイコン役者
いつもだと、スが入ることが多いが
今年は、どういう分けか、まとも?

隣りの畑に、収穫にやってきたFさんの奥さんから、
「食べて・・」と、ホウレンソウをいただいてしまい・・

お返しに、白菜1個を、お裾分け・・・、

まるで 物々交換・・やね。

ウチのホウレンソウ、一度種蒔き発芽に失敗して
だいぶ遅く、再種蒔きした関係で
まだまだ収穫出来る状態でなく、
サンキュー! である。

Fさんはまた、今年、白菜を作っておらず
大喜びしてもらい・・。


「中学生日記より」その53(再)

2021年12月19日 07時32分07秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その53 「正月、花かるた、停電、みかん」

昭和31年(1956年)1月2日、月曜日、天気、雪、
起床 6時20分、就床 10時10分、

1、僕への年賀状は・・・・、
  田中徹雄様からだけだった。
2、母と弟が、町へ行って、花かるたを買って来た。
3、夜、さっそく、花かるたをやった、
4、雪が、5cmくらい(位)つもった(積もった)が、またなくなった(消えた)。
5、1つや全部の書きそめが、集まった、
6、9時半ごろ(頃)、電気がきえた(消えた)、
7、昼前も遊んで、、勉強はしなかった、
8、父は、2時ごろ(頃)帰ってきて、櫂夫の家へ行った。
9、しょうじとさとみが、オケヤに来て、佳子にみやげ(土産)をくれた(いただいた)、

1、中学生のM男は、毎年、父母も出しているような親戚や、校長、教頭、担任の先生等に年賀状を出していたと思う。2日に届いたM男宛の年賀状は、当時、神奈川県に在住していた叔父からの1通だけだったと書いて有る。
2、子供達が近所の家に遊びに行ったり来たりするのは当たり前だった時代だったが、「百人一首かるた取り」と同様、正月限定で、大人がやるような「花かるた遊び」も流行っていた気がする。もちろん 博打とは無縁、数分で終わる単純な絵合わせゲームのような感覚の遊びだったが、M男の家にはまだ「花かるた」は無かったようだ。その日、母親と弟が隣り町に出掛け、買ってきたと書いて有る。多分、家族でも遊べるものだったので、父母も賛同し、買ったのだと思う。
3、早速、夕食後、家族で遊んだようだ。堀り炬燵に集まって、アカタンだ、、アオタンだ、イノシカチョウだ、スベか・・・・、点数の数え方、どうだったけな?。マッチ棒でやり取りし。負けず嫌いの母親も、加わって。

アカタン(ネットから拝借イラスト)

4、前夜から未明にかけて、5cm程積った雪、解けて消えてしまったと書いて有る。どうも、その年の正月は、珍しく雪が少ない正月だったようだ。
5、毎年、冬休み(正月休み)の宿題の一つに「書き初め」が有ったが、休み明けに学校へ提出する他に、集落の子供のいる家へ、お互い配り合う習慣が有った。各家では、子供の書き初めが届くと、茶の間の梁に並べて貼り、年始で訪れる客人の品評、話題にしていたのだ。
6、9時半頃(多分、夜の9時半頃だと思われるが)停電したようだ。
当時の北陸の山村、特に冬季には、停電は日常茶飯事、ろうそく(蝋燭)の用意怠り無しだった。かるた取り等している最中等に停電ともなれば、それでお開き、寝るしかなくなる。
7、書き初めの他にも宿題出されていたはずだが、正月三ケ日は、勉強はしないで良い?というルールがあったのかも知れない。
8、2日は 毎年、父親が、勤務先や親戚への新年の挨拶回りの日だったが、のんびりしていた時代 訪れた各家で必ず招き入れられ、上がり込むため、数軒だけでも、1日仕事だったような気がする。午後2時頃、いったん帰ってきたが、また、父親自身の同級生の家に出掛けたようだ。
9、オケヤとは、父親の生家(本家)の屋号。当時は、村落の家を呼ぶ時は、名字ではなく、屋号で呼び合っていた。父親の兄弟姉妹は7人で、正月には、実家(本家)に集まることが習慣だったが、その正月も、叔父、叔母、従兄弟達が泊まり掛けでやってきたのだと思う。


蛇足

子供の頃の正月の情景を思い浮かべる時、様々な情景が炙り出てくるが、「炭火の掘り炬燵の上にみかん」の情景も、その一つになっている。当時、暮らしていた北陸の山村の集落には、当然、八百屋等食料品店等は無く、普段、野菜類を買って食べることはもちろん、みかんやリンゴ等の果物を、デザートやお茶受けに食する等という習慣がまるで無い生活環境だったが、正月は特別で、たいがいの家では奮発し、みかんを買っていたように思う。記憶曖昧だが、年末に農協が注文を取り、一括購入し、各家に配達していたのだと思うが、ダンボール箱等無かった時代、「木製のみかん箱」で届いた。当時のM男には、「みかんは、正月に食べる果物」というイメージさえ持っていたような気がする。

数年前に実家を解体する直前、
財物整理廃棄処分中に物置で見付けたみかん箱、
懐かしさの余り、写真を撮っていた。

1箱に何個詰められていたものか不明だが、ふんだんに食すること等出来るものではなく、上がり込んだ客人のお茶受けに、遊びに集まった近所の子供達のおやつに出されたものだ。百人一首や花かるたの勝者の賞品?にもなったような気がする。

 

 

 

 

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「とんで来たサンタ・クロース(?Donde Esta Santa Claus?)」(再)

2021年12月18日 14時07分17秒 | 懐かしいあの曲

2021年(令和3年)も、残すところわずかになり、
毎年、年末年始とても、日頃とさほど変わらない老夫婦の暮らしではあるが、
気分だけは、なんとなく忙しなくなる時期だ。
昨日は、全国各地で、今冬一番に冷え込み、
北海道や東北、北陸の日本海側等では、吹雪や積雪、
いよいよ冬本番を迎えている。
当地、今日は、快晴、
日中、13℃前後になるようだが、風は冷たい。

今朝方、「クリスマスローズ」について、ブログに書き込みながら、
ふっと思い浮かんだクリスマスソングが有る。
もう何年も前に書き込んでいた曲を思い出して、コピペ、リメイクしてみた。


いつ頃、どこで、入手したのかの記憶も無くなっている古いレコード盤が、
未だに廃棄処分出来ず、ダンボール箱に詰め込んで有り、
それ程の枚数が有る分けでもないが、最近になってからのこと、
手持ち無沙汰な時間等に、時々引っ張り出して聴くようになっている。

その中の1枚に、45回転のドーナツ盤レコード、マーティー・ゴールド児童合唱団「とんで来たサンタクロース(?Donde Esta Santa Claus?)」が有る。長男、次男が まだ幼児の頃、クリスマスの頃になると、よくかけて聴いていた曲だ。さすがに、最近になってからは、このレコードに針を落とし聴くことは無くなっているが、この時期になると、思い浮かんでくるメロディ、リズムである。どれだけかけて聴いたものか、溝がかなり磨り減り、キズも有り、レコードジャケットも無くなって裸のレコード盤、多分40年以上前のものだろう。
今更になってネットで調べて見ると
邦題「とんで来たサンタクロース」は、原曲「ドンデ・エスタ・サンタクロース」というフレーズが、「トンデ・キタ・サンタクロース」に聞こえたことから付けられたようだ。

 

「とんで来たサンタクロース」・マーティー・ゴールド児童合唱団 
(YouTubeから共有)


Shall We Dance !
チャ、チャ、チャ ♪


クリスマスローズ

2021年12月18日 09時56分45秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

猫額庭で、毎年、冬から春先にかけて咲く、鉢植えの「クリスマスローズ」が有るが、草花に疎い爺さん、この花名を知ったのも、ブログを初めてからだったような気がする。外付けHDに残っている「クリスマスローズ」の写真で、一番古い写真は、9年前、2012年3月30日に撮っていたものなので、その頃だったのかも知れない。今更になって、妻に質すと、10年程前に、義姉からもらってきた「クリスマスローズ」のようだ。その後ずっと絶えることなく花を咲かせており、「花の写真を撮るだけ係」の爺さん、毎年、カシャ、カシャ撮ってきたが、そんな古い写真を何枚か引っ張り出してみた。

9年前、2012年3月30日に撮っていた「クリスマスローズ」
枝葉がまだ若々しい感じがしている。

2014年4月7日            2020年3月15日

 

2020年3月15日

2021年2月8日            2021年3月11日

 

2021年2月19日                 2021年3月17日

 

2020年3月16日に散歩・ウオーキングの途中で撮っていた
黒色の「クリスマスローズ」

クリスマスローズの種子

2017年4月20日

 

2020年4月4日

2020年4月4日                2021年3月23日

 


クリスマスローズ

キンポウゲ科、クリスマスローズ属、常緑性多年草
    花名「クリスマスローズ」は、冬季、クリスマスの時期に、
    バラのような美しい花を咲かせることから付けられたものだが、
    「薔薇」とは全く異なる。
    別名「ユメシャクナゲ(夢芍薬)」
      「ハツユキオコシ(初雪起こし)」
      「レンテンローズ」「ヘレボラス」
原産地 ヨーロッパ、西アジア
草丈 30cm~60cm
花色 白色、ピンク色、紫色、赤色、黄色、緑色、青色、黒色等、
   20種以上有る。
開花時期 12月頃~4月頃
花言葉 「追憶」「私を忘れないで」「私の不安を和らげて」「慰め」
    「スキャンダル」「中傷」


クリスマスローズに纏る伝説

イエス・キリストが誕生した時、
羊飼い達と一緒に、
マデロンという少女も、祝福に駆けつけたが、
貧しかったマデロンは、何も贈る物が無く、
泣き出してしまった。
すると天使が舞い降りてきて、地面に触れると、
そこにクリスマスローズが現れ、
マデロンは、それを摘んでキリストに捧げた。





想い出の旅アルバム 「紅葉のカナダ・メープル街道」 その6 (再)

2021年12月17日 20時55分24秒 | 旅行記

つい数年前まで自営業を続けていて、時間的、精神的、経済的余裕も無く、海外旅行どころか、国内旅行も、夢のまた夢だった気がする。我が家にとっては、せいぜい、子供を連れて、夫婦のどちらかの実家を訪ねるのが旅行であって、夫婦で観光旅行等、片手で指折り数える程しか出来なかったものだ。完全に仕事を辞めてからは、時間的、精神的余裕は出来たものの、今度は、気力、体力減退、旅行意欲も薄れてしまい、さらにコロナ禍で、すっかり出不精になってしまっている。夫婦にとって、そんな貴重な旅の写真は、以前 「デジブック」にしていたが、すでにそのサービスが終了しており、写真は、再び、外付けHDに眠ってしまっている。


今から5年前、2016年10月、まだまだ自営業を続けていた頃だったが、すでに、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっており、清水の舞台から飛び降りる思いで、旅行会社の格安ツアー「カナディアン・ロッキーと紅葉のメープル街道」に申し込み、カナダを訪れたことが有った。旅行記は、当時、ブログにも書き込み、写真は、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」がすでに終了してしまっており、ブログ記事をコピペ、リメイク、古い写真を改めて引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。


「紅葉のカナダ・メープル街道」その6
「オンタリオ州のアルゴンキン州立公園ミニハイキング」

(ネットから拝借画像)

オタワ市内観光終了後、バスで、およそ3時間30分、オンタリオ州の「アルゴンキン州立公園」のビジターセンターに到着した。そそくさと屋外ベンチで弁当昼食した後、トレッキングコースの一つ、「ルックアウト(Lookout)コース」のミニハイキングだった。


アルゴンキン州立公園

「アルゴンキン州立公園」は ローレンシャン高原の南方にあり、オンタリオ州、マスコーカ地方に位置するオンタリオ州の州立公園。面積は 7,653,45k㎡。静岡県や宮崎県、熊本県等とほぼ同じ広さをもつ、オンタリオ州最大の自然公園だ。
公園内には、2,400以上の湖沼が有り、1,200kmに及ぶ川が流れており、距離、所要時間、難易度の異なる15以上トレッキングコース、ハイキングコースが設けられている。州内でも最も人気の有る公園の一つだが、世界中から、自然愛好家やハイカーが訪れており、公園内は、大自然をそのままの姿で保全するべく配慮されており、人工物を持ち込まず、動物植物等自然物は持ち出さず、「リーブ・ノー・トレーズ(後を残さず)」が、徹底されている。


(1)「ルックアウト(Lookout)コース」ミニハイキング

「ルックアウト(Lookout)コース」は、15以上有るトレッキングコース、ハイキングコースの一つ。所要時間、約1時間、高低差の少ない周回コースで、ミニハイキングコースだ。各所で、現地トレッキングガイドのジョニーさんによる植物、動物の解説を聞きながらも、集合時間があるため、のんびりは出来ず、どうしても急ぎ足になる。コースの中間地点には、1枚岩の展望台があり、しばし休憩、紅葉の絶景を満喫出来た。

1枚岩の展望台から眺められる景色は、アルゴンキン州立公園のほんの一部。ジョニー氏が広げた大きな公園地図上で、親指の先端程の範囲しか見えていないのだという。公園の広大さが分かる。

ミニハイキングを終えて、「ルックアウト(Lookout)コース」入口に集合、16時頃、バスは、一路トロントに向かって出発した。快適に疾走するバスでも、広大なアルゴンキン州立公園を抜け出るまでが長く、バス車窓からは見事な紅葉風景が走馬灯のように見られ、その都度、歓声が上がっていた。
移動距離、約270km、所要時間、約3時間で、トロントの宿泊先ホテルに到着したのは、19時30分頃だった。夕食は、ホテル内のレストランでチキン料理だったが、その日もハードスケジュールの1日だった。


ZUISO
紅葉のカナダ・メープル街道(6)
アルゴンキン州立公園ミニハイキング
👇
こちら


(つづく)


思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり

2021年12月17日 11時29分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その11

思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙なりけり

出典
千載集(巻十三)

歌番号 
82 

作者
道因法師

歌意
恋人に逢えず(冷淡にされ)、このところ、思い悩んでいるが
それでもまあ、命だけは今までつないでいるのに、
このつらさに耐えきれないのは涙で、後から後から
こぼれ落ちることよ、

苦悩がどんなに深くても、なんとかそれに耐えて生き長らえているが、
涙の方は、ついつらさに耐え切れず、もろくもこぼれ落ちるものだという
恋の悩み、つらさをアッピールしている歌。

 注釈
「思ひわび」は、恋人に冷たくされたのを思い悩んで、の意。
「さても」は、「さ(然)ありても」が詰まった言葉、
そうであってもやはり、の意
「憂きに」は、「憂し」の連体形、つらいことに、の意。
「こと」が、省略されている。


道因法師(どういんほうし)
俗名藤原敦頼(ふじわらあつより)のこと。崇徳天皇に仕え、従五位上右馬助までなったが、出家して延暦寺に入り、道因(どういん)と称した。歌道への執着心が強く、90歳になっても歌合(うたあわせ)に出席し、「秀歌を詠ませ給え」と住吉神社に祈願したという。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 


「ぼけたらあかん長生きしなはれ」

2021年12月17日 06時12分50秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

昨日、相互フォロワー登録している「けいのブログ」様のブログを拝見していて、「あっ!、これ!、おもしろーい!」と思ってしまった詩?が目が付いた。見ても、聞いても、知っても、直ぐ忘れてしまう爺さん、忘れない内に、ネットで調べてみると、この詩?の作者は、石川県小松市の真言宗自生山那谷寺の元貫主だった故・天牛将富で、この詩?に作曲家の遠藤実が曲を付け、歌手の杉良太郎が唄っていることも分かった。流し目の杉良太郎の熱狂的ファンだったら、知っている曲なのかも知れないが、初耳。「へー!、そーなんだ」、目から鱗・・である。七五調で小気味良く、超高齢化社会の人生訓のようでも有り、思わず笑えてくるシルバー川柳の世界でもある、「ぼけたらあかん長生きしなはれ」、書き留め置くことにした。

「ぼけたらあかん長生きしなはれ」
作詞 天牛将富、作曲 遠藤実、唄 杉良太郎

歳を取ったら 出しゃばらず
憎まれ口に 泣き言に
人の陰口 愚痴言わず
他人のことは 褒めなはれ
聞かれりゃ  教えて上げてでも
知ってることでも 知らんふり
いつでも阿呆で いるこっちゃ

勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話に なる身なら
若いもんには 花持たせ
一歩下がって 譲るのが
円満にいく コツですわ
何時でも感謝を 忘れずに
どんな時でも 「へえおおきに」

お金の欲を 捨てなはれ
なんぼゼニカネ 有ってでも
死んだら 持っていけません
「あの人はええ人やった」
そないに人から 言われるよう
生きてるうちに バラまいて
山ほど徳を 積みなはれ

というのは それは表向き
ほんまはゼニを 離さずに
死ぬまでしっかり 持ってなはれ
人にはケチやと 言われても
お金が有るから 大事にし
みんなべんちゃら 言うてくれる
内緒やけれど ホンマだっせ

昔のことは みな忘れ
自慢話は しなはんな
わしらの時代は もう過ぎた
なんぼ頑張り 力んでも
体が言うこと ききまへん
あんたはえらい わしゃあかん
そんな気持ちで おりなはれ

わが子に孫に 世間様
どなたからも 慕われる
ええ年寄りに なりなはれ
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに
何かひとつの 趣味もって
せいぜい長生き しなはれや

「ぼけたらあかん長生きしなはれ」 (YouTubeから共有)

 

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昼下がり重い腰上げ爺散歩

2021年12月16日 16時40分55秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、晴時々曇、
風がほとんど無かった分、体感的には温かく、
散歩・ウオーキングにはもってこいの日だった。
午前中は、病院往復で終わってしまったが、
歩け!、歩け!、やおら重い腰を上げ、
昼下がり、近くをちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で 約7,700歩。

センダン(栴檀)の実(種)

ダイサギが、のーんびり

いたいた、カワセミ
だいぶ遠くで、コンデジの望遠、手持ち撮影 トリミング = ピンボケ

ハクセキレイ・・・かな?

 


どっちもどっち・・・やけど、

2021年12月16日 13時22分23秒 | 暮らしの記録

朝一番、定期検査予約有りの妻を車で病院へ送り、一旦帰宅したが、その帰途、ある交差点で有った話。
信号青で、発進したが、前の前の白い乗用車がなかなか加速せず、ノロノロ運転、
前の青い乗用車は、その車にピタッとくっついて、エンジンを空ぶかし、
明らかにイライラしているのが分かったが、
その先、しばらくは、信号が無い、片側一車線、追い越し禁止道路、制限時速40km
案の定、前の青い乗用車(多分、運転手は若者だと思われるが)、
対向車が無いことから、サッと対向車線を走り、白い乗用車を追い越した。
白い乗用車の運転手は、チラッと見えた限りではかなり高齢ドライバー?。
「爺さん、トロトロ運転してるから、追い越されたじゃないか」と
思った瞬間、
今度は、その白い乗用車が急加速、猛スピードで、随分先を行く青い乗用車を追いかけ、
あっという間に追い付き、ピタッと後ろにくっついて、2台がつるんだまま、走り去って行った。
絵に書いたような「やられたらやりかえす」、「煽り運転」である。
もし、「煽り運転」されて、頭に来た、青い乗用車の運転手が、急ブレーキを掛けたりすれば、
追突事故になるかもしれないし、降りてきて、口論、喧嘩になるかも知れない・・・等と、
思ってしまったが、2台の車は、あっと言う間に見えなくなってしまったので、
その後は、どうなったかは分からない。
一瞬の「許せない!」「ムカつく!」という感情から、「カッ!となって」、即、行動に移してしまう人って、やはりいるもんだなと、つくづく感じてしまった。
どっちもどっち・・・やけど。
鈍感で、のほほんと生きている爺さんには、どうも解せないシーンだった。

(ネットから拝借イラスト)

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