たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2023年、畑仕事始め、白菜収獲

2023年01月11日 16時30分54秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日も、冷え込みはかなり厳しかったものの、日中は快晴となり、
そろそろ、畑が気になりだし
午後、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。
今日は、白菜、ホウレンソウ、コマツナを収獲するだけで引き上げてきたが、
2023年の畑仕事始め・・・かな?。

(1)白菜収獲3回目(残っていた白菜を全部収獲)

(2)ホウレンソウ収獲

(3)コマツナ収獲

戻ってから、白菜の保存と、妻は、何回目かの白菜漬けをし、
約2時間余り掛かってしまったが、
1件落着、
やれやれ、

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振り返り記事 「ブログ人 1周年」

2023年01月11日 09時16分35秒 | ブログ考

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、今から10年以上も前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で初めてブログを開設してからちょうど1年後になる日、2012年5月29日に書き込んでいた記事、「ブログ人 1周年」にアクセスが有ったことに気が付き、十年一昔・・・、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

ネットから拝借画像
原田泰治・ふるさとの原風景


振り返り記事
2012年5月29日の記事
「ブログ人 1周年」

昨年(2011年5月29日)、突然思い立って始めたブログ。今日で、丁度1年になりました。なんとも、気まぐれな、ごちゃまぜブログですが、ボケが迫りくる老人の「備忘録ブログ」と思し召して、どうかひとつご勘弁をお願いします。
ブログ1周年目、
五七五言葉遊び、ただ言葉を並べただけの、とても川柳等とは言えないものですが、お題「たけじいのブログ」で、作ってみました。

   退化する脳に鞭打ち記事アップ

   拘り(こだわり)無したけじいまんまの雑ブログ

   呆けぬ内記憶の限りを書くブログ

   あと幾年?最終章をブログと共(友)

   見直せば拙劣ブログまッいいか

   低語彙力アシスト座右に電子辞書

   日の目見たブログで初期の電子辞書


 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.83 「ひっちゃく」

2023年01月10日 20時29分33秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。

当時の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


No.83 「ひっちゃく」

「破る」といった意味合いで使ったり、聞いていたような気がする。

例えば

「ザシキノショウジ ヒッチャイタン ダレダネ」
(座敷の障子を破ったのは、誰ですか)

「オマン、カリタホン ヒッチャイテシマッテ ドウスルンネ」
(お前、借りた本を破ってしまって、どうするんだ)


振り返り記事
「オマン」 ⇨ ふっと思い出した故郷の言葉 No.50


 

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「別れの曲(ショパンの練習曲作品10第3番ホ長調)」

2023年01月10日 17時12分49秒 | 懐かしいあの曲

クラシック音楽にも超疎い爺さん、聴き馴染んでいる曲等、本当に指折り数えるほどしか無いが、その中の1曲に、ショパンの「別れの曲」が有る。数年前にも、ブログに書き留めた気もするが、なんとなくふっと思い出して懐かしくもなり、改めて、書き留め置くことにする。

今更になってネットで調べてみると
「別れの曲」は、1832年に、フレデリック・ショパンが、22歳の時、ピアノの練習曲として作曲した楽曲だった。正式には、「練習曲作品10第3番ホ長調」だが、1934年の、ショパンの生涯を描いたドイツ映画、邦題「別れの曲」に使用されたことから、日本では、「別れの曲」として定着している。映画の題名が、楽曲の通称として定着しているのは、稀有な例なのだそうで、「別れの曲」は、数多に編曲等がされ、映画やドラマ、舞台等でも使用されているようだ。
聴き馴染んでいるとは言っても、主に、さわりの甘い旋律部分が脳裏に焼きついているだけだが、中間部には、ピアノ独特の激しい要素も有り、とても練習曲とは思えない作品だと思う。

「別れの曲」 (YouTubeから共有)


(追記)
振り返り記事
2016年12月29日「これからタクシーで帰ります。わかりました」
👇
こちら


 

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五七五言葉を編んでボケ防止 2022年12月

2023年01月10日 14時07分28秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前まで、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始めたのも、やはりブログを始めてからのことだった。それが、4年前頃には、相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしているが、所詮 川柳の才能等無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしている。

(6年前、2017年1月27日のメジロ)


2022年12月に作った川柳(川柳もどき)


お題「暮れる」

   黄昏れて尚道遠い夫婦旅

   刈った田にポツンと案山子秋の暮れ

   暮らし方変わって三年また暮れる

   何もせず何も起こらず年が暮れ

   八十路過ぎ身体のケアで明け暮れる

   閃かず途方に暮れる締切日

   老い二人用事も無しで今日も暮れ

お題「待つ」

   長過ぎるスピーチ終わり目が覚めた

   二時間も待って診察たった五分

   王者にはじっと敵失待つ余裕

お題「名前」

   新学期先生困るキラキラ名

   ミイチャンと呼ばれる古希の同窓会

   キラキラの名簿で目立つ子と男

   お名前はとても聞けない友と会い

   久し振り会って名が出ず空笑い

折句「な・ま・え」

   涙拭き負けてなるかと笑顔見せ

   何も無いまっさらな地に描く夢

ラララ川柳「あ」

   あの人を諦め切れず後を追う

老楽川柳

   いつからか手抜き省略板につき

   探し物何探してるかも忘れ

   師は走り冬将軍も忙しく


ラララ川柳とは、
五七五の頭の文字が同じの文字にする川柳、
言葉遊び?・・ではあるが
これが、簡単なようで、なかなか難しい・・・、
言葉を探し出すだけでも至難、
頭の体操?にいいかも。
挑戦してみては、いかがでしょう。

例えば

   「あ」 あ◯◯◯◯あ◯◯◯◯◯◯あ◯◯◯◯

   「た」 た◯◯◯◯た◯◯◯◯◯◯た◯◯◯◯

 

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ポカポカ陽気に誘われて・・、

2023年01月09日 13時36分57秒 | 散歩・ウオーキング

当地、早朝の気温は、0℃前後だったようだが、
穏やかに晴れて、日中は、14℃前後まで上がったようだ。
体感的には、季節外れのポカポカ陽気となり、
こんな日に、家籠もりは、もったいない?・・・・、
ちょこっと、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約9,500歩。

途中、砲筒型大レンズ、カメラ、三脚を構えた数人のかたまりが有り、
狙っていたのは、ダイブを繰り返していたカワセミ、
その後ろから、そーっと、コンデジで、カシャ、カシャ・・・、
ピンボケばっかり・・・、
なんとか、数枚・・、
ダイブは、無理・・・、

 

カシャカシャカシャカシャ・・・、
一斉の連写の音を聞きながら、その場を後にした。

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成人の日

2023年01月09日 08時24分18秒 | 暮らしの記録

当地、今日の日の出時刻は、6時53分頃、
日の出前の朝焼け、西の空には、残月、
今日も、快晴の1日になりそうだ。

今日 1月9日は、国民の祝日、「成人の日」。世の中、三連休の最終日。
・・・だが、
毎年のこと、一瞬、「今日は、何の日?」と思ってしまう爺さんだ。
1948年(昭和23年)に制定された「成人の日」は、1999年(平成11年)まで、「1月15日」と決まっていて、2000年(平成12年)から、ハッピーマンデー制度により 「1月の第2月曜日」となり、すでに23年も経っているにも拘わらず、「成人の日=1月15日」と、刷り込まれている老脳とて、未だに、違和感が有り、戸惑ってしまう。 
早朝から、各地で 一部の若者(バカモノ)達が、騒いでいる様子が伝わってきて、遠い昭和の質素な「成人の日」が懐かしくもなる。

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五木寛之著 「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」(再)

2023年01月09日 05時27分00秒 | 読書記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、2016年12月22日に、ブログ・カテゴリー「読書記」に書き込んでいた記事、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
その頃はまだ、生まれて初めて、図書館に足を向け始めたばかりの頃で、どんな作者のどんな作品を読んでみたいのかの見当もついていなかった頃だったが、たまたま新聞の広告欄で見掛け、その気になり、手を伸ばした書だった気がする。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2016年12月22日の記事
五木寛之著「余命・・これからの時間をいかに豊かに生きるか」

図書館から借りていた、五木寛之著、「余命・これからの時間をいかに豊かに生きるか」(祥伝社)を、読み終えました。たまたま、先日、新聞の広告で見掛けた本で、その気になって手を伸ばしたものです。



84歳で、今尚、ご活躍されておられる五木寛之氏の、自らの生き方、逝き方等の考え方、人生観、日本人の4人に一人が65歳以上という、超長寿社会に生きる我々への指針、助言等、重く、深い内容が書かれています。
後期高齢者の爺さん、本書の随所に、同じような、似たような思いや考え方を見つけ、大いに共感、同感を覚えてしまいました。

▢目次
 第一章 「余命を前向きに考える」
 第二章 「人はどのように死んでいくのだろうか」
 第三章 「人には逝き時というものがある」
 第四章 「死を避けない。自分の逝く年を決めてみる」
 第五章 「死をイメージしてみる」

▢解説
「余命とは、余裕をもって、残された時間」・・から、書き出されています。
「あとがきにかえて」の中で、氏は、「私自身は、すでに平均寿命をこえて生きながらえています。もし、明日、世を去ったとしても文句はいえません。それどころか、今日まで、命ながらえたことを謙虚に感謝すべきだろうと思います」と、述べられ、「これから、なにをするかではなく これまで何をしたかをふり返ってみる。それが、何かに役立つとは思えない」・・・、「だが・・・・」と、続けます。
そして、「残された時間は、決して知ることはできない。しかし、それが、短かろうが長かろうが やがて終わることはたしかなことだ。そこを見つめるところから、あらたな余生が始まるのだ」
と、締めくくっておられます。

 

 

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心に染みる言の葉(再)

2023年01月08日 18時37分10秒 | 詩・エッセイ

一つ一つの名言が、心に染みます。
深ーい!、

「たった一つの名言があなたの生き方を変える」 (YouYubeから共有) 

             心が変われば、態度が変わる
             態度が変われば、行動が変わる
             行動が変われば、習慣が変わる
             習慣が変われば 人格が変わる
             人格が変われば 運命が変わる
             運命が変われば、人生が変わる

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多湖輝著 「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」(再)

2023年01月08日 17時00分18秒 | 読書記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、もう6年前、2017年4月18日に、ブログ・カテゴリー「読書記」に書き込んでいた記事、「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
6年前、2017年4月18日に、書き込んでいた記事
多湖輝著「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」

数年前のことですが、朝日新聞の「天声人語」で、心理学者の多湖輝の著書の中で紹介されたという、「教養と教育の話」を知り、そのことについて、書き込んだことが有りました。

   ★「教養(?)と教育(?)の有る人」 → 2015年3月13日の記事
   ★「手帳が頼りの日々」 → 2015年5月16日の記事

その著書とは、多湖輝著「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」(ボケる頭の使い方、ボケない頭の使い方)(日文新書)であることを後日知って、是非一度読んでみようと、ずっと思っていながら なかなか読めませんでしたが、先日やっとその気になり、図書館から借りてきて読んだところです。

(目次)

▢プロローグ(百歳でも笑い笑わせサクサク頭脳)
 〇「教養」と「教育」のある人はボケない?
 〇ワンパターンの生活は 頭もワンパターンにする
 〇独居老人は なぜボケやすいか
  ・・・・・・等々

▢第1章 「ボケ防止」に「笑い」はつきもの
 〇「笑い」こそ人類が編み出した老化防止の知恵
 〇長寿記録保持者と、ユーモアの関係
 〇自分の失敗談は、話す人も聞く人も頭が若返る
 〇料理する男はボケない
 〇ジョギングより散歩のほうが頭にはいい
  ・・・・・・等々

▢第2章 今すぐ始められる脳のトレーニング
 〇同じ頭でもボケる使い方、ボケない使い方がある
 〇やらなかった後悔より、やった後悔の方が脳にはいい
 〇計画は「いい加減」なほうが いい「加減」になる
 ・・・・・・等々

▢第3章 脳を若返らせる生活習慣
 〇ものの名まえも 「あれ」「それ」をやめる
 〇出かけなくても服装は毎日変える
 〇星や花の美しさに感動したら、その名を調べてみる
  ・・・・・・等々

▢第4章 ボケない頭を作る「食事術」
 〇食事は出来るだけ大勢でしたほうが体にも頭にもいい
 〇食べるのが面倒なものを意図的に食べる
 〇酒は話や歌の「潤滑剤」として飲む
  ・・・・・等々

▢第5章 脳にいいこと、脳に悪いこと
 〇前頭葉、側頭葉に血が流れるとボケない
 〇側頭葉に血を送るには 「記憶」を文書化する
 〇認知症は ふだんの頭の使い方で防げる
  認知機能予備力を高める要件、
 ①有酸素運動をする(少し息が切れる程度の運動、例えば早歩きの散歩等)
 ②野菜をたくさん食べる食生活をする。
 ③自分の趣味に合わせた知的活動をする(楽しい会話をするとか、コーラスに参加する等)
  三要素を満たしている 社交ダンスが もっとも効果があるのではないか・・・・。
  ・・・・・等々

朝日新聞の「天声人語」で紹介された「教養と教育の話」は、本書の「プロローグ」の1節から引用されたものでした。

目次、項目を 並べてみただけで、ほとんど内容がわかってしまう程ですが、
さーて、皆さん、自分に照らしてみて、どうでしょうか。


以後も、当ブログで、頻繁に使っている言葉
「キョウヨウ無し、キョウイク無し」
「キョウヨウ」とは「教養」に非ず、「キョウイク」とは「教育」に非ず
(今日は、特に「用」は無し、特に「行く」所も無し)
の発生源?は、
多湖輝著、「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」、
だったことになる。

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