暴力は帰ってくる
* * * * * * * * * *
島で暮らす中学生の信之は、同級生の美花と付き合っている。
ある日、島を大災害が襲い、
信之と美花、幼なじみの輔、そして数人の大人だけが生き残る。
島での最後の夜、信之は美花を守るため、ある罪を犯し、それは二人だけの秘密になった。
それから二十年。
妻子とともに暮らしている信之の前に輔が現れ、過去の事件の真相を仄めかす。
信之は、美花を再び守ろうとするが―。
渾身の長編小説。
* * * * * * * * * *
三浦しをん作品ですが、いつものちょっとコメディタッチを想像すると足元をすくわれます。
人の心の深淵をのぞかせる、重いストーリー。
この文庫の解説が吉田篤弘氏で、彼が完璧な読み取りをしているので、
私などのこんな駄文よりも
「是非そちらをお読みください」で、終わらせてしまいたいくらいです!
冒頭の島を津波が襲うシーンは、あの2011年3月の津波でヒントを得たのかと思ってしまいましたが、
本作の初出は2006年なんですね。
すばらしい作者のイマジネーション。
けれどここでは津波の恐ろしさを言いたいわけではなく、
こうして帰るころを失ってしまった信之たちの境遇を際だたせるため。
本作のテーマは、巻末にある
「暴力はやってくるのではなく、帰ってくるのだ。
自らを生み出した場所―――日常の中へ。」
という一文に現れています。
本作中にはその「暴力」シーンがいくつかあります。
輔(たすく)が父親から受けた虐待。
美花が山中から受けた暴行。
信之の殺人。
そしてまた、信之の妻が娘にした仕打ち。
信之は先には
「罪の有無や原動の善悪に関係なく、暴力は必ず降りかかる。
それに対向する手段は暴力しかない」と思っています。
しかしその対向する手段であったはずの暴力でも、
やがては帰ってくる。
日常的なもの、瞬発的なもの、場面はそれぞれですが、
どのような状況のものであれ、これらはいつかまた自分の身へ帰ってくるのだ・・・と。
それは時には理不尽ですらもあるのですが・・・。
さて、そうするとこの題名「光」は
なにを指すのだろうかと思うのです。
こんな荒みきった身の回りで、それでも差し込む光はあるのだろうか、
最後にはなにか希望が彼らの上にもたらされるのか
・・・と、期待しつつ読み進んだのですが、
そうではありませんでした。
最終行に
「美浜島は白い光に包まれ、やがて水平線の彼方へ消えた。」
とあるだけです。
吉田氏はこの「光」は「神」であると説いています。
たとえ人は知らなくても、神はそれを知っている。
言い換えればそれは自己の「罪の意識」なのかも知れないけれど、
それがあるからこそ人はつながりあえるのかもしれません。
ところで、三浦しをん作品で好きなのは男二人の関係性です。
いろいろな作品で主人公と準主人公二人の会話がなんともしびれるのですが、
本作では信之と輔。
この場合はあくまでも輔の一方通行に近い。
それもかなり倒錯し嗜虐的でもあるんですね。
20年ぶりに二人が会うシーンは信之の視線と輔の視線、双方の記述がありますが、
やはり輔の語りのほうがしびれます。
「光」三浦しをん 集英社文庫
満足度★★★★☆
光 (集英社文庫) | |
三浦 しをん | |
集英社 |
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島で暮らす中学生の信之は、同級生の美花と付き合っている。
ある日、島を大災害が襲い、
信之と美花、幼なじみの輔、そして数人の大人だけが生き残る。
島での最後の夜、信之は美花を守るため、ある罪を犯し、それは二人だけの秘密になった。
それから二十年。
妻子とともに暮らしている信之の前に輔が現れ、過去の事件の真相を仄めかす。
信之は、美花を再び守ろうとするが―。
渾身の長編小説。
* * * * * * * * * *
三浦しをん作品ですが、いつものちょっとコメディタッチを想像すると足元をすくわれます。
人の心の深淵をのぞかせる、重いストーリー。
この文庫の解説が吉田篤弘氏で、彼が完璧な読み取りをしているので、
私などのこんな駄文よりも
「是非そちらをお読みください」で、終わらせてしまいたいくらいです!
冒頭の島を津波が襲うシーンは、あの2011年3月の津波でヒントを得たのかと思ってしまいましたが、
本作の初出は2006年なんですね。
すばらしい作者のイマジネーション。
けれどここでは津波の恐ろしさを言いたいわけではなく、
こうして帰るころを失ってしまった信之たちの境遇を際だたせるため。
本作のテーマは、巻末にある
「暴力はやってくるのではなく、帰ってくるのだ。
自らを生み出した場所―――日常の中へ。」
という一文に現れています。
本作中にはその「暴力」シーンがいくつかあります。
輔(たすく)が父親から受けた虐待。
美花が山中から受けた暴行。
信之の殺人。
そしてまた、信之の妻が娘にした仕打ち。
信之は先には
「罪の有無や原動の善悪に関係なく、暴力は必ず降りかかる。
それに対向する手段は暴力しかない」と思っています。
しかしその対向する手段であったはずの暴力でも、
やがては帰ってくる。
日常的なもの、瞬発的なもの、場面はそれぞれですが、
どのような状況のものであれ、これらはいつかまた自分の身へ帰ってくるのだ・・・と。
それは時には理不尽ですらもあるのですが・・・。
さて、そうするとこの題名「光」は
なにを指すのだろうかと思うのです。
こんな荒みきった身の回りで、それでも差し込む光はあるのだろうか、
最後にはなにか希望が彼らの上にもたらされるのか
・・・と、期待しつつ読み進んだのですが、
そうではありませんでした。
最終行に
「美浜島は白い光に包まれ、やがて水平線の彼方へ消えた。」
とあるだけです。
吉田氏はこの「光」は「神」であると説いています。
たとえ人は知らなくても、神はそれを知っている。
言い換えればそれは自己の「罪の意識」なのかも知れないけれど、
それがあるからこそ人はつながりあえるのかもしれません。
ところで、三浦しをん作品で好きなのは男二人の関係性です。
いろいろな作品で主人公と準主人公二人の会話がなんともしびれるのですが、
本作では信之と輔。
この場合はあくまでも輔の一方通行に近い。
それもかなり倒錯し嗜虐的でもあるんですね。
20年ぶりに二人が会うシーンは信之の視線と輔の視線、双方の記述がありますが、
やはり輔の語りのほうがしびれます。
「光」三浦しをん 集英社文庫
満足度★★★★☆