映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「光の犬」松家仁之

2018年03月22日 | 本(その他)

全く心の通い合わない家族ではあるけれど

光の犬
松家 仁之
新潮社

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北の町に根づいた一族三代と、そのかたわらで人びとを照らす北海道犬の姿。
信州・追分に生まれ、助産婦となって道東の町・枝留にやってきた祖母。
戦前に隆盛をきわめた薄荷工場の役員である祖父。
川釣りと北海道犬が趣味の生真面目な父。
子どもたちを頼みに生きる専業主婦の母。
幼なじみの牧師の息子と恋をする歩。
レコードと本に没頭する気難しい始。
いずれも独身のまま隣に暮らす、父の三姉妹。
祖母の幼少時である明治期から、50代になった始が東京から帰郷し、
父母と三人のおばたちの老いにひとり向きあう現在まで、
100年にわたる一族の、たしかにそこにあった生のきらめきと生の翳りを、
ひとりひとりの記憶をたどるように行きつ戻りつ描きだす、新作長篇小説。

* * * * * * * * * *

松家仁之さん、4作目。
(あ、3作目をまだ読んでません!)
「沈むフランシス」と同じ、北海道のさびれた地方都市・枝留(えだる)が舞台。
駅の近くに大きな岩があるというところから、
おそらく「遠軽(えんがる)」がモデルと思われます。
が、「沈むフランシス」とは違って、これは家族の物語。
ほぼ百年に渡る3代の家族のことが、
視点を変え、時を行きつ戻りつしながら語られていきます。
北海道の100年、といえば開拓の物語か、
あるいはまた、時代の流れに翻弄されつつも生き抜く家族の物語なのか・・・?
否。


物語の最終局面、50代の始は東京で大学教授を勤めていたのですが、
思うところがあり、故郷の枝留の実家に戻ってきます。
そこにいるのは老いた両親と、二人のおば。
助産婦をしていた祖母は、始が生まれる前に亡くなっていて、
妹は30代ですでに亡くなっている。
もう一人いたおばも、認知症の末、老人施設で亡くなっています。
始自身も結婚はしているのですが子どもはなく、仕事を持つ妻とは別居状態。

このような状態になるまでの道のりを詳しく描いたものが、
すなわちこの本のストーリーです。
この家では北海道犬を飼っていて、入れ替わり4匹。
誰もがこの家族とともにありながらも
分かり合えない孤独を抱えている家。
そんな家族に常に寄り添うようにして犬がいたわけです。
犬は乳離が済めばもう「家族」の概念は持ちません。
自分一匹だけで生きていくのみ。
母犬を思い出すことなど(多分)ないでしょう。
けれど終盤、始は思う。
人は一人で生きていく事はあるかもしれないけれど、
生まれたときと死ぬときは誰かの手を借りなければならない。
孤独死などという言葉もあり、死ぬときは一人ということもあるのでは?
と思うところでもありますが、
それにしても、お弔いやお墓のこと、自分ではどうにもできませんからね。
ましてや、認知症や寝たきりの状態があるならなおさらのこと・・・。
決して心の通い合う家族ではないにしても、
結局そのような関わりを持たなければならない、というのが家族と言うもの・・・。


本作で始が仕事をやめた理由は詳しく語られないのですが、
こうした自分の役割を薄々予感したのかもしれないなどと想像します。
また、年の順から言えば自分がこの家のものを看取ることになるけれど、
物事は予測がつかないから、自分が最後とは限らないという思いもまた持っているのです。


本作中で最もいたましく思ったのは始の妹・歩の病の下り。
聡明で自立心に富んでそして自由だった彼女。
つきあった男も幾人かはいたのですが、結婚はしないと決めて、
天文学の仕事に打ち込んでいました。
この家のものとしては最も奔放で魅力的だったのですが・・・。


本作にはこの歩ばかりでなく幾人かの死の場面が描かれます。
輝いていた命が、不意に消えてしまう。
けれど人の世というのはそうしたことの連続、繰り返しであるわけなのでしょう。
不確実な人生、人の命のことを静かに語る一作。
じんわりと心に染み入ります。

図書館蔵書にて
「光の犬」松家仁之 新潮社
満足度★★★★★