えっ!?どうしてここで終わっちゃうの?やたら引っ張っておいて、これからいよいよ戦いだ!それも、恋人のスパイ疑惑までちらつかせといて次回エピソードをお楽しみに!って、そりゃないだろ。
トルコのドラマ『ホットスカル』。
「ペチャクチャ病」っておしゃべり通して伝染する感染症で2分された社会を描く作品。コロナ蔓延そのものの引き写しでちょい引くけど、まっ、その設定は大目に見よう。キャストの魅力やらいろんな仕掛けでグイグイ引っ張ってくれるから、ついついその先どうなる?って中毒的に見続けてしまった。
でも、いいとこで、次回乞うご期待はないぜ。
で、途中ぶち切られてしまうと、すっと熱病が収まって、あれこれ粗が見え始めるんだよな。
面白い!でも、批評的に見るとあちこち穴だらけ。ヘッドホンつけておしゃべり感染防いだり、権力側、圧倒的に武力持ってるのに、同じ街の中の中の反対派に手が出せない、とか、大規模デモのはずがそこらの横丁の賑わい程度だったり、突如末世的な歓楽地域が出現したり、強引な感染者狩りが行われる一方で、一つの地域が汚染地帯として放置されてたり、・・・も少し、全体を無理なくリアルに構成してくれよ。そう、一つの設定思いついたら、とことん描き切って欲しいんだ。
NetflixのSFものって、そういう、思い付きは魅力的でも全体構成は隙だらけって作品多いんだよな。
『スノーピアサー』もそうだし、
『3%』もそう。
設定はものすごく刺激的だし、個々の出来事は手に汗握るし、キャストも魅力的、装置も凝っていて見どころ満点だ。
が、その世界がどんな構造になっているかってところになると、それは置いといて、って手抜きが目立つんだ。痛快なお話し仕上げて、視聴者の関心を引き寄せていければ、それでいいって作り手の姿勢が透けて見える。
どうもなぁ、面白けりゃいいだろ、その回楽しけりゃいいだろ、って、これって麻薬の効用と同じじゃないか?
シリーズを長く続けるために、無理・無駄な寄り道に誘い込んだり、突然、未知の人物が登場して話を広げたりって、快楽刺激を求めて次々別の覚せい剤に手を出させるようなもんじゃないか。
わずか2時間前後で勝負する映画や演劇じゃ絶対通用しない荒技だよな。
だから、このところ、最後まで見続けられないドラマが多くなっている。またかよ、シリーズ続けたくてやたら引っ張ってるだろ、もう先は見えてるよ、なんて、うんざりしてしまうことが多くなって来ているんだ。
で、どうなるか?数回見ては見切りをつける、か、アマゾンプライムの映画に行くか、・・・
面白くて、なおかつ、衝撃を与えてくれる作品、求めて毎晩彷徨ういつづけてんだぜ。
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