稲荷と狐の関係は?
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超古代史、ホツマツタヱには”ハタレ魔”といわれる、妖術を
使い、人の強欲や邪念を増長させる力を持つ、6種類の
ヒトではない、生き物のお話を、先月5月25日に、ご紹介
しました。
大神(天照大神)は諸神が、ハタレ魔とは何ぞや?
という疑問にはこう答えています;
”はたれ魔は様々な妖怪力を持つが神ではない。
ヒトの心に忍び込んでその人の、心をまげて利欲を求め、
小賢しい知恵にたけて、そうした気性が妖術を摂取して、
6種類のはたれ魔が生まれた“
6種類のハタレ魔とは、次の6つです。
“*①錦(にしき)大蛇(おろち)の血(しむ)岐(みち)
*②張(はる)索(な)翅(は)翔(は)岐(みち)
*③冱(い)魔(そら)岐(みち)
*⓸乱(みだ)る狐(き)貅(く)岐(みち)
*⑤は 飯(い)綱(づな)岐(みち)
*⑥は 雷神(なるかみ)求(もと)む天狗(あえ)の岐(みち)“
“それぞれが、大蛇(おろち)・鵺(ぬえ)・咬(みずち)・
狐(きつね)・猿(さる)・天狗(あえ)の霊(し)魄(む)を
抜き取りて、その妖術を使うなり。”と続きます。
つまり、この6つのハタレ魔は、それぞれ、大蛇、ぬえ、
みずち、狐、猿、天狗からの、霊魂を抜き取って、
妖術を使って、人の世を乱して、混乱をを招いている
というわけです。
今日の表題と関係のある、動物は、もちろん、お稲荷さん、
つまり上のハタレ魔の中でも、狐です。
’きつね’、という発音には、それぞれ一音ずつ、言霊
を持っています。
それを、 天照大神は、このように、教えます:
”狐は 'き' の言霊で生かされている動物であること。
その’き’言霊の意味を紐解くと、
'き'とは、暦でいえば東にあたり、東は北(ね)
を標準として生まれる”と
いうことなので、
”西南から北に住んでいる、ネズミを揚げて、
これを煮れば、キツネハタレ魔の好物となり、
それを利用しながら、そのハタレ魔となった
輩たちを、退治することができる”~
と天照大神は戦術を伝えるのです。
”このはたれ魔は、’くつね’とも呼ばれ、’きつね’
のようではあるが、’ク’はキ音とウ音が交わって
生まれる。
揚げたネズミの尾には、火の霊が入っているから
火を嫌うはたれ魔の頭(かしら)たちには、
ハシカミ(生姜のことか?)と、みょうがを燻せば、
その煙で 彼らの妖術は効かなくなるだろう“
そこで、天照大神は退治に向かう、荷田磨命
(かたまろのみこと)に’油であげたネズミ’と、’はしかみ’
と ’みょうが’を、与えました
実際、荷田磨命が、最前線に出かけてみると、
“はたれ頭の三人は妖術をもって菊の花を開き、
千変万化咲き乱れ、幾重にも色を変えて驚かす”
とあります。
つまり、ハタレ魔たちは、妖術を使って、菊の花を咲かせ、
そこかしこ、映空しい花畑にして、神軍を驚かせたのです。
そこで、荷田磨命は、これらの好物を 彼らの目の前
に投げ入れてみると、妖術が乱れ、そのすきに、
カタマロノ命は、作戦通りに、彼らの生け取りに
成功したのでした。
生け捕りにした、狐のハタレ魔たちを、斬って成敗
しようとしたその時に、彼らは、命乞いをするのです。
“我々は ’きくつねはたれ魔’と呼ばれるように
なっているが、もともとは天照大神のもとで生活する
民でした。
もし、命を助けてくれれば、その恩に報いるために
身をこなにして お仕えします。“
つまり、もともとから、ハタレ魔であったのではなく、
本来は、天照大神の良き民であったから、命を助けて
くれたら、必ず、その恩に報いますと、命乞いを
したのでした。
そこで、カタマロノ命は 縄を解いてやることに
しました。
こうして、33万もの 狐(きくつね)-はたれ魔たちは
捕らえられたものの、天照大神の勅令も下り、命拾い
して、稲を守り、農耕作業に支障がないような、仕事
に従事することになりました。
ホツマツタヱにはこう書かれています。
“後に天照大神は 荷(か)田(た)麿(まろの)命(みこと)に
勅宣(みことの)り、
三(み)狐(つ)彦(ひこ)を使いて、後の功績を立てしめ、
また諸狐を使いて、
田畑の鳥を追わしめて、蒼稲魂(うけのみたま)を
守らせよ。”
今風に直すと、
”天照大神はカタマロノ命に仰せになる。
三匹の狐ハタレ魔の頭領たちを 三狐彦(みつひこ)
と呼び、彼らに用事を与えて、手柄をたてさせ、
その配下のキツネたちに、田畑に害を与える鳥たちを
追い払わせ、農業の神である、ウケノミタマノ命
を守らせなさい。“
“若し違(たが)う者あらば、速かに其の霊魂(いのち)
を断つべし。
この故に永世まで三(み)狐(つ)彦(ひこ)及び狐貅(きくつね)、
三十三万余を、汝の従屬とするなり“
今風にいえば、
”もし、その命に従わないものがあれば、魂から
排除しなさい。
とこしえに、キツネハタレ魔の統領のみつひこは、
33万余の狐ハタレ魔を従え、我の命じた仕事を
果たしなさい。”
こうして、稲荷神社の基(もとい)ができました。
それは、キツネはたれ魔たちを助け 配下においた、
荷田(かた)の神の”荷“ と、
彼らが守る稲作の神、稲
ふたつ合わせて、稲+荷 を祀ることから、
稲荷(いなり)神社が造られる根源と
なったのです。
”蒼稲魂(うけのみたま)神(かみ)と、
保(うけ)食(もちの)神(かみ)
及び荷田麿命の三神を、合せ祭りて
荷(か)田(だ)神(かみ)となす。
(今日の荷稲(いなり)神(かみ)これなり)“
と秀真伝えにあります。
よって、狐ハタレ魔たちの好物の、ネズミ揚げが、
いつの間にか、油揚げに変り、現代の”狐うどん”
や”きつね蕎麦”の上に、そして
’おいなりさん’と呼ばれる寿司に(化けて?)
残っているというお話です。・・・
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超古代に見られる ”赦す心”
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上の写真(猿沢池~猿に似たハタレ魔たち
が、次生で人間に生まれ変わることを約束
されたので、潔く自死した場~が’猿さわ
池’の語源とホツマには出ている)
広島で先日、主要国のサミット会談
が終わりました。
広島といえば、以前、広島で行われ
た外務省関係のレセプションに、
家族で出席したことがありました。
その時、アメリカの外交官から、
”多くのアメリカ人たちは 広島原
爆を落としたことに対して、罪の
意識を持つような教育は受けて
いません”とと聞き、印象的でした。
むしろ、”世界戦争が終結させた
のは日本に原爆を投下したからだ”
という背景に、重きを置いている
というのです。
一方、我々、戦後生まれの日本人が、
原爆を投下され、多くの悲惨な犠牲
者を出したという理由で、少なくと
も、アメリカに対して、恨みを抱き、
国民感情を害しているという話は
聞いたことがありません。
それに比べ、韓国との間には、
いまだに戦争中の慰安婦問題など
が,尾を引いて、日本への国民感情、
は、決してもろ手をあげて、友好
的ではないのが現状です。
アメリカに、二つもの原子爆弾を
落とされた国民が、最も親近感を
感じる国の一つにアメリカを揚げて
いるのに対し、戦争の後始末問題
で、韓国の人たちが抱いている
日本への感情と比べると、隔たりの
大きさを感じます。それには、国民
性の違いが背景にあるようにも思い
ます。
どうやら、日本人のDNAとして持つ
独特の“赦(ゆる)し”感から、来る
のではないかと思うのです。
そのことは、”ホツマツタヱ”の
8綾に書かれた“はたれ魔退治”の話を
読むと、納得できそうです。
今日は、その”ハタレ魔”と稲荷神社
の由来について、触れます。
はたれ魔とは何でしょう?
ホツマツタヱの中では、
“人間の欲望に巣くって、それを
餌として喰らいながら増長する
癌細胞”のような存在として
描かれています。
人の持つ負の感情に、”魔”はよって
来ます。そして、そうした負の感情
を増幅させていきます。
そのために、古来から、日本では、
禊(みそぎ)という穢れを落とす
行為を大切にしてきました。
お風呂好きで清潔な国民性も、禊の
文化と関係があるのかもしれません。
ホツマツタヱでは、天照大神が自ら
国が乱れたときに、さかんに、”禊”
をされたことが書かれています。
ハタレ魔が日本のそこかしこに、
出没して、民の生活を乱れさせ、
悪行や賄賂などが横行して社会が
乱れた時が、ありました。
そのとき、民の世の乱れはご自分
の中に、その大元があると天照大神
は、自省されて、何千回も滝に打た
れ禊をしながら、ハタレ魔の退治作
戦を練ったのです。
天照大神は 側近の命(みこと)た
ちに、勅旨を出し、はたれ魔の退治
作戦が慣行されました。
ようやく、狐に似た顔を持つ’はたれ
魔’の大軍をカタマロ命が生け捕りに
しました。
カタマロ命が、彼らの首を落とさん
とするところで、ハタレ魔の大将は、
次のように、改心して、カタマロ命
に’命乞い’をしました。
”今、殺さず、生かしてくれれば、
心を改め天照様のために仕えます”
と。
その言葉を信じてカタマロ命は、
彼らを赦し、その事を知った天照大
神はハタレ魔たちに、命を下しまし
た。
稲作の工程において、稲の神を助け
忠実に働くけよ・・・・と。
こうして恩赦を受けた ‘狐に似た
はたれ魔’たちは 約束通り、
改心して、それからは、稲の神の
傍らで稲を守り、豊作になるよう、
従順に働くようになりました。
それが、今も残る、稲荷神社に
狐さんが、置かれている本源です。
ハタレ魔たちが許されたのも、背景
には、彼らの善性を信じたからと
言えるでしょう。
彼らが守る稲作の神、稲の神の稲
そして、荷田(かた)マロの命の、
’荷’をとって、キツネハタレ魔が
鳥居の前で守り、その神々を祀る
神社は、稲荷神社と名付けられま
した。
天照大神は、ホツマツタヱの中で、
”蒼稲魂(うけのみたま)神(かみ)と
保(うけ)食(もちの)神(かみ)
及び荷田麿命の三神を、合せ祭りて
荷(か)田(だ)神(かみ)となす。
(今日の荷稲(いなり)神(かみ)これ
なり)“
として、稲荷神社の稲荷の由来、
そしてそこに祀られている神々を、
明確にしています。
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万国共通の真理(1)”中心帰一”
2023年5月10日
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私自身そして、自然治癒力セラピー協会は、特定の
宗教に心髄するものではありません。
ホツマツタヱを、天皇信仰と結び付ける考え方に
否定はしませんが、大切なことは、そこに書かれてる、
”真理”ではないかと思います。
ホツマツタヱには、太古地球の生成から、
国造りの話、そして、天照大神の御世に確立された"
天(あま)なる道”が 主に前半に描かれています。
そこには、”天皇は私利私欲を離れて、国民のために祈り、
禊(みそぎ)をして、国の安泰と弥栄を実現していくべし”
とたびたび、大神(天照大神)の言葉として、
記述されています。
一方では、興味深いことに、天皇と一般の民との、
違いは、双方とも”神の子”であるという考え方に
よって差別をつけられるものではないことも
明らかにしてます。
ホツマツタヱの中の、”神は人なり、人は神なり”
という言葉によって、それは、知りえます。
つまり、天皇も神なら、人の子である以上、
誰もが、神と同格であるとも、ホツマツタヱには
述べられ、天皇と民との間に”人間価値”
として差別はありませんでした。
ただ、人体の部位にその働きの差があるように、
社会で、各々の務めの違いはありました。
その区別は、農民、商人、物づくりのヒト、
武士(もののふ)と明瞭化され、年代が経るにつれて、
次第にその違いは、身分格差として現れて来るよう
になりました。
が、天照大神の時世(実際、政を行われた年数は
何十万年という記載があり、これには諸解釈があります)
民は、天皇に忠誠を誓い、天皇は、無私公平な政
を司る頂点にたつ責任者として、民を守る義務を
自覚していました。
天照大神を中心として、宮中に仕える臣たちも、
民衆たちも心を一つにしていたのです。
それは”中心帰一”と呼ばれる真理にも
照合しています。
万物には、中心があり、その中心がその役割を
果たしてこそ、また、周囲もその中心を軸として
一丸になって動くとき、和合と順調な結果を
もたらすという法則です。
至近の例では、船の運航にもたとえられるでしょう。
船のかじ取りをする船長は一人で充分です。
何人も、船長がいては指令が統一できず、かえって、
安全が損なわれます。
副船長や操縦士、技術者たちは、船長を信頼し、
その決断に随い、各自が仕事分担の責任を
果たしてこそ快適な船旅ができるのです。
船長を中心として、安全航海を進めるというのも、
”中心帰一”のルールが潤滑に働いているからと
言えるでしょう。
これは、人間社会や組織だけでなく、
あらゆる分野に、当てはまるようです。
文化勲章を受けた医学博士の二木博士は、
医学的見地から、この法則を、”求心的帰一”と
呼び、次のように語っています。
“われら日本式は、求心的帰一的研究である。
どういうことかといえば、個々の現象を
一つの中心にまとめてしまう方法である。
医学で言うのなら、その中心というのは、
生命である。
生命には 空気も 日光も 水も 草も
木も必要である。
そして、空気も日光も水も草も木も
すべて生命に帰一するのである。”
(引用終わり)
生きとし生けるものは、生命力に帰一します。
それでは、自然界を国体に変えたとき、何に、
国は帰一するのか?
ホツマツタヱでは、”無視無欲で国を治める指導者”
に帰一するとしてます。
それが、天皇(天照大神)でした。
大神(天照大神)ご自身も、国が乱れれば、
自分に非がありと、自ら禊(みそぎ)をして、
身を清め続け、その間に、策を講じ、臣たちに
指示を与え、国を安泰に保っていたのでした。
民を子とする、大神の民に対する、親心に
匹敵する、御心を知っている民衆は、大神を深く慕い、
信頼して、天照大神が他の地に移り住もうと旅立てば、
寄って囲んで、留まるように懇願したことも
記述されています。
現代の政治家のように、”私に一票をください”と、
選挙でひたすら、魂願して、頭を下げ、
当選すれば、自ら”万歳”と、手を揚げる光景とは、
まったく逆さのことです。
天照大神が自分の住む地にとどまり、政を
治めてくださるーーと万歳三唱するのは、民たち
なのです。
さて、古より、天皇は禊を日課とされていました。
身を清めて祈る・・・それが、大切なお役目
でもありました。
現代でも、天皇の大切なお仕事の一つに”ご祈祷”
があります。
我々庶民には、そのことはニュースで報道される
ことはないので 知る由もありません。
天皇の無私無欲で、国と民を護るという古代
から続いている、”この天(あま)成る道”の
精神は、現代でも、繫がれていること
が、次のマッカーサー元帥の手記から
伺えるのでご紹介します。
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天皇の話はこうだった。
『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が
政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動
に対して、責任を負うべき唯一人の者です。
あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を
委ねるためにここに来ました』
大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、
明らかに天皇に帰すべきでない責任を、
進んで引き受けようとする態度に
私は激しい感動をおぼえた。
私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間
としても日本で最高の紳士であると思った」
(『マッカーサー回顧録』1963年)
GHQが戦後、天皇制の廃止を試みようとした
そうですが、それを実行しなかったのは、
次の事情があったようです。
皇室と国民の関係の絆が強いこと、そして、
マッカーサー元帥に、昭和天皇が会見したときの、
上にあげた会見中、
”わが身はどうなっても良いから日本国民を助けたい”
という篤い天皇の国民への想いと私欲のない
言葉に、元帥が、心を打たれたため、ということを
聞いております。
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2023年5月8日
(イザナミイザナギ尊が、この滋賀
の土地で琵琶湖の周辺の葦を引き抜き、
土地を耕し、農耕を広め、国造りの
基礎をされたーーホツマツタヱ)
先日のブログ冒頭にも書いたのですが、10年程前、目の前に、
聖徳太子とおぼしき魂態が、顕れました。
その様子をたまたま、ウィットネスとして証人してくれた人が、
います。
なぜか、聖徳太子とおぼしき方は、頭を垂れて、詫びを入れて
いる風情でもありました。
そのとき、私は、古事記と、秀真伝えの、”位置替え”が、
聖徳太子の時代に、聖徳太子の政の一環として行われたこと
を理解しました。
”位置替え”とは、’秀真伝え’に書かれている内容を隠蔽する
ことで、正当な天皇家系図や、超古代から続いていた日本の
伝統祭り、行事などの風儀書が、一般に閉ざされたという
こと、
そして、その代わりに異国文化の血を引いた帰化人
である、曽我氏の文筆書によって、古事記が編纂され、
それをもって、それ以来、正式な日本の神話書になりました。
曽我氏の書いた文筆書というのは、一つは、天皇系譜に
関してまとめられた、”帝皇日継”
もう一冊は、古(いにしえ)からの伝承をまとめたことに
なっている、”先代旧辞”です。
天皇系譜に関しては、ホツマツタヱと重なる部分もありますが
全体としては、天照大神が女神になり、そのご家族も
したがって、ホツマツタヱとは異なった解釈になっています。
天皇系譜もさることながら、ホツマツタヱでは、五大元素に
よって、天地が形成された様子に始まり、地球随所へ、神々
(クニトコタチノミコト)が降臨して各地で古代文明が発祥
したこと、日本に目を転じては、日本の男神女神の起源、
子孫にあたる、イザナギイザナミ尊の、国造りから、
世継ぎ御子を望みそのための祈祷の方法。
天照大神の誕生の様子や、長きにわたる大神の時代
の世の中の反乱や鎮圧、など、細かに描かれています。
大神亡き後の代々の天皇系図が綿密な年代表示とともに、
示されているのが特徴です。
先代旧辞に関しては、内容は精査してませんが、
ホツマツタヱでは、日本古代から現代にも継承されて
いるお祭りや風儀などが書かれています。
普段、私たちが、何気なく使っている”言葉”にも、
ホツマツタヱにはその語源が出てきます。
たとえば、”酒”、”雛”まつり、”三々九度”の源流、
”和歌の枕ことば”の由来、”七草かゆ”の背景など、数々
の日本に残る地名の由来など、です。
また、縄文文化以前に日本に存在していた高度な科学を感じ
させる記述もあります。
たとえば、胎内の赤子の成長の詳細、天文学の星座の巡り
具合による、一か月の日数の定め方や、五臓六腑の病気
と原因となる精神性(現代の心療内科にあたる)
の関連、子供の教育方法や東西南北という言葉
の語源から、判断された”家相”なども、扱っています。
さらに、国家のありかた、特に、皇尊(すめらみこと)
の民衆に対する’民衆に寄り添うまつりごと’の大切さが、
天照大神の勅令として多くの綾【章】にエピソードの
中に、盛り込まれています。
”民を我が子を慈しむように、和をもって、治める道”、
それが”天なる道[天成神道]"として ホツマツタヱ
の中では、確立されています。
農耕技術や干支(えと)の起源や、(バラモン教から
仏教、密教と伝わってきたと言われている)諸文化的
因習なども、すでにホツマツタヱには表記されています。
これらのことが、事実なら、現在の正規な学術的学問
内容は、多岐にわたって、変わってくることでしょう。
輪廻という、仏教から伝わったとされる考え方も、
すでに、ホツマツタヱでは明記されています。
縄文時代前の日本に、ホツマツタヱが示している
文明を持つ、超古代の日本が存在していたことは、
想像にかたくないのです。
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