自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

福沢諭吉翁は無神論者だったのか?

2013年11月01日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

福沢諭吉翁の言葉~2   平成25年11月1日

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エピソード3)

人間に三種あり。福沢翁いわく

“人間に三種三等あり。有害無益の存在。無害無益の存在。無害有益の存在。

この区別必ずしも、その人の貧富貴賤にのみよらざるなり。“

        

藤原氏(前述)のコメントが続く:

“有害無益は単なる娑婆ふさぎ、無害無益はやっと生きて行くというだけ、と

先生もなかなかお口が悪い。

しかし、なんとこの種の人間が多いことか。我々もつい、うっかりしていると、

知らず知らずのうちにこのお仲間に入りかねない。

 

第三の無害にて有益なる存在、これこそ、本当に人間らしい人間で人多き人の

中にも、人ぞなき、最高級の存在である。

 

しかも、先生が特にお断りしているのは、この区別が必ずしも貧富貴賤のみから

起こってくるものではないということである。

 

生まれつきの良いものでも、有害無益の存在に陥るものもある。

金があっても、無害無益の存在に終わるものもある。

門地がなく、金がなく、社会的名声が無くても、有益無害の存在を示すものが

いくらでもある。

この場合、貴賤貧富は何の関わり合いもない。

 

問題はただ、その人が何をなし、何を成し能うかである。

金は人間活動の一要素であるが、物外さらに重要なる要素のあることを

知らねばならない。

 なお、三種三等の等外として、有益にして、かつ有害といった人間の存在もあるが、

ただし、これはいつの時代でも 

ごく少数であろう。“

 

ここで、貴賤貧富にかかわらず、無害有益の人こそ、人間の人間として

生まれてきた価値ある生き方であると藤原氏はコメントしている。

これらの人々こそ、無名な偉人と呼ぶのにふさわしい人たちであることも

間違いないだろう。

 

福沢翁は無神論者であったのだろうか?

こういう言葉が残されている。

天道 すでに人に可なりその不如意は 即ち 人の罪にして、不徳無智の

致すところなり。”

 

藤原氏がこれにコメントをしている。

”福沢先生は 自ら無信仰を明しておられたにもかかわらず、常に、宗教の問題

には熱心に言及され、

仏教でもよし、キリスト教でもよし、とにかく、これを引き立てて多数の民心を

和らげるように願われた。

先生ご自身は無宗教、無信仰でも、それは自分ひとりの心事で、人に押し付ける

ものではない。

凡俗多数の人心を緩和し、治安を維持するためには、やはり、宗教の感化力ほど、

大切なものはないとみていられたのである。”

 

この説明に僭越ながら付け加えさせていただくとすれば、福沢氏が述べる、

天道 すでに人に可なりその不如意は 即ち 人の罪・・”という”不如意” は

その意に如くにあらず”の意味で、”その意” とは前文、緑色字の”天の道を歩く

ことは すべての人に可能である”ことだろう。

だから、”天の道、つまり、神の道 を人が進むことは可能であるが、それが

能わないとするなら人の徳のなさ、智慧のなさがその原因である

ということになる。

                        

さらに、福沢翁は次のような言葉を残している。

唯一 普遍の天道、謝せんとして謝すべからず、怨まんとして怨むべからず。”

 

この言葉に対し藤原氏は”一切万事 なるようにちゃんと成らせるのが神様の

務めで、その間依怙贔屓(えこひいき)のありようがない。

だからこそ、天道はありがたいものさ’ と 先生はいっておられた。

善男善女の得手勝手な願いは、善男男女の得手勝手に任せる。

                         

謝するもよし、怨むもよし、天道においては’われ関せず’だろう。

’我れ 関せず’なればこそ、天道の偉大はいよいよ偉大である。”

 

と注釈している。

続いて、福沢翁はこの言葉を受けてさらに、

宇宙万有を支配するものは 自然の真理原則にして人間万事も また もとより、

この教理の外に逸するものに得ず。”

と言っている。

                       

ここで留意したいのは、今挙げてきた福沢翁の言葉の、いくつか緑字に色づけ

したもの。

天道 すでに人に可なり。”

~”唯一 普遍の天道、”

~”宇宙万有を支配”

~”自然の真理原則”

 

福沢翁のこれらの言葉を重ねて読み比べて全体としてまとめてみると、

天道は 唯一 普遍であり、 天道は、宇宙万物を支配して 天道は、自然の

真理原則であり、天道は、すでに、人にそなわったものである。

となり、

含蓄の深い言葉であり、内奥を見つめている覚者の言葉といえよう。

 

つまり、福沢諭吉翁は、単なる、無宗教者ではなく、すべての宗教を

超えた”真理”を 感得し、その道理にあった道の実践人を目指していたと

いえるのかもしれない。

宗教は必ずしも真理を説かず、真理 必ずしも宗教に非ず~と私は考えているが 

宗教者でなくても真理は体得しえるからだ。

 

天の道を歩くことは人に可なり という言葉で裏打ちされた信念は、福沢翁

の自らに課せた大いなる指標であり その信念に従い、歴史的大業を果たされた

のではないだろうか?

 

最後に、福沢翁の言葉、”自然の真理原則”は言い換えれば、人が一般的に神と呼ぶ

概念とも考えられる。

かくして、最終的に以下の言葉が福沢翁の、結論となる。

”人間万事も また もとより、この教理の外に逸するものに得ず”

意味としては、

”私たち人間にかかわる、すべての事、事象、心身含めて、この神(自然真理原則)

の外に存在しているものではない”と平易な言葉でさりげなく、明言されている。

 

 

福沢諭吉  [1835~1901]啓蒙思想家・教育家。

大坂の生まれ。豊前(ぶぜん)中津藩士。

大坂で蘭学緒方洪庵に学び、江戸に蘭学塾(のちの慶応義塾)を開設、

のち、独学で英学を勉強。三度幕府遣外使節に随行して欧米を視察。

維新後、新政府の招きに応ぜず、教育と啓蒙活動に専念。

明六社を設立、「時事新報」を創刊。

著「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」「福翁自伝」など

 

藤原銀次郎 [1869~1960] 実業家・政治家。長野の生まれ。

王子製紙を再建。藤原工業大学(現在の慶応大学理工学部)を

私費で創設。第二次大戦中、商工・軍需相などを歴任。

 

 

コメント
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