自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

松下幸之助氏の自伝(前編)

2013年11月29日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 困難を楽しむ人   平成25年11月31日

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松下氏に関してはすでに、皆様も多くの情報をお持ちだと思うが

実業の日本社から発行されている、自身の筆で書かれた小自伝が

手元にある。

 

少々長いが、ドラマティックで、人生哲学も

豊富に盛り込まれている手記である。

戦後日本の繁栄に一役かった大いなる経済人として、

否、それ以上に、一人の人格者としての氏の生き方が

よくあらわされている。

 

ご紹介したいと思う。

引用する:

 

”父が米相場で失敗する私の少年時代はむしろ小僧時代という

呼び方が当たっているかもしれない。

家運の傾いた家に育った私には 幼い時の楽しい思い出は

少なく、苦労の思いでだけが多い。“

という出だしで始まる自伝。


8人兄弟の末っ子、かわいがられて育った幼児時代の

かすかに残る思い出、それも6歳までの短い間のことだった。

 

当時日清戦争後の産業興隆期で、松下氏の故郷、和歌山市

に米の取引所が設けられ 米相場が立つようになった。

父はその相場に手をだし、結局大失敗。

 

祖先伝承の家や土地を手放すほどの借金をつくってしまう。

こうして、幸せだった家族も、次々と 兄弟が流行性感冒

のような流行病にかかって、病没し、家族の崩壊が

始まっていった。

 

小学校4年の時、父から、丁稚奉公に大阪へ行くようにと

いう手紙が届く。

小学校の卒業を待つことなく、松下氏は 火鉢やの小僧生活

を始めることになる。

 

“最初の仕事は丁稚子守で 子守の合間に火鉢を磨いたり

雑用をたすのである。

火鉢でもいいものになると、一個を一日中、トクサで磨き通し

にしなければならず、御蔭で私の手はたちまちすりむけて、

腫れあがり、朝の拭き掃除に水がしみて困ったものだった。“

 

開発途上国では 当たり前のように行われている 

就学期の子供を学校に通わせず不当に働かせるこうした労働

体験を松下氏は 10歳足らずから始めたのだった。

 

こうした苦労は いとわなかった幼い松下氏であったが、

母への恋しさには耐え難いものがあったようだ。

 

“寂しさはまことに耐えがたいもので、初めは毎晩店を

閉まって床に入ると、母のことなどが想いだされ、

泣けて泣けて仕方がなかった。

もっとも私は泣き虫の方であったが・・・“

と綴っている。

 

小僧生活はこうして、三か月で終わる。

親方の知り合いの自転車屋で奉公することになったからだ。

“自転車やの小僧となった私は、朝晩の拭き掃除から

自転車の修理見習い、手伝いが主な仕事だった。

修理と言っても鍛冶屋のような仕事で、私は このような

仕事が好きだったので、毎日 愉快に働けた。“

松下氏の商売人としての 第一歩がこのあたりから

スタートしたようだ。

 

“店に修理に来る客からよく、煙草を買いにやらされたが、

これは時間がかかるし面倒だ。

そこで、一度にたくさん買っておいて、その都度 客に

渡すことにした。

当時は20個買うと、1個負けてくれたので、一挙三得になり、

しかも人から褒められた“

と、商売気たっぷりの、工夫の一面が出ているエピソードだ。

 

自転車やの奉公は、17歳まで続く。

このころから松下氏は、将来設計について、考えるようになる。

それは 大阪市に電車を走らせるという計画を知り、

自転車の需要が減るだろうと予測したからだった。

 

“一つ転業しようと私は決心した。

義兄の亀山に打ち明け、電灯会社に入れてもらえるように

交渉を頼んだ。”

 

電灯会社、将来の 松下電器へ繋がる仕事にかかわる

きっかけでもあった。

松下氏はこう記している:

”しかし、一方、今まで育てられた店に対する愛着も

ひとしおで、なかなか主人に打ち明けられない。

結局すまないと思いながら、店を飛び出し、亀山の家に

寄宿してしまった。“

 

意外と小心であったのか?

恩義の情が強かったのだろうか?

 

”恩知らずだよ、あの子は。夜逃げして飛び出して

何も言ってこないなんて!” 

などと、店主や奥さんの呟きが聞こえてきそうである。

 

松下氏は、こうして、後戻りはできない覚悟のほどを

見せたものの、

“電灯会社のほうは、’すぐには採用しない。

欠員が出るまで待て’ということになった。 

"蓄えのない私はこれには困った。“


そんな経済的に不安定な状況下で、アルバイトを見つける

ことにする。 

それが セメント会社の運搬人夫という体力仕事であった。

慣れない仕事、松下氏の体力も“体ができていない”状態であり、

一緒に働く荒くれ男たちに ののしられながらの仕事”には

“歯を食いしばって頑張った“ 3か月だった。

後日この体験がたいへん役に立つときがくる。

 

いよいよ、大阪電灯幸町営業所内線係の欠員を埋める形で 

就職が正式に決まった。

最初の仕事は、

“屋内配線工事担当者の助手。

毎日材料を積んだ手車を引いて、担当者の後からついて回り、

一日、5,6軒の需要家の工事を手伝うのが日課だった。“

と松下氏は書いている

 

この手押し車は、丁稚(でっち)車と呼ばれ、能率の悪い、

ちょっとした荷物を積んだだけで、非常に重く感じる車だった。

しかし、良くしたもので、セメント会社の運搬人夫をした

経験が役立ち、苦とも感ずることなく、興味を持って仕事に

打ち込めた松下氏であった。

 

こうして、3か月後、助手から担当者に昇格。

助手と担当者とでは 格付けの違いがあり、師弟の関係

にも似た 主従関係すらあった。

それゆえに、三か月の昇進は、会社でも前例のない異例の

ことだったという。

 

20歳にして、尋常小学校を卒業できなかった、

松下氏は教育の大事さに気づき、夜学に通う。

6時半から9時半までの3時間の授業、それが一年間続き 

予科が終わった。

 

’電気学’が学べる本科に進んだものの、小学校を卒業

しなかった松下氏にとって、口頭筆記授業に追いつけず、

無念にも、中途で挫折してしまう。

 

22歳で結婚。

松下氏は多少ユーモラスこう記している:

“見合いすることになった。

場所は松島の八千代座の表看板の下で、看板を見ながら

見合いするという段取りだが、余所行きの着物一枚ない私は、

下宿屋の小母さんに頼んで5円20銭なりの銘仙の羽織を

作ってもらったのを覚えている。


さて、見合いだが、看板の下でキョロキョロしているうちに、

周囲の人に感づかれ、こっちは真っ赤になって、うつむいて

しまい、そのうち、相手が前に来ても、見ることができない。

 

‘幸之助、見よ、見よ’とは言うが、思い切って前に出る

勇気もない。

そうしているうちに、相手は行ってしまい、相手の顔などは、

サッパリ分らない。“

と、何とも見合いには似つかない具合だった。

 

現代のインドでも、親が決めたお見合いや、結婚前夜まで、

相手の顔を見ることがないという話があるが、

松下氏のお見合い情景も、まことに、ユーモラスである。

 

24歳の春、松下氏は電灯会社の検査員に昇格。

担当者の仕事を翌日検査して、悪ければ し直しを命じる仕事だ。

一日15~20軒回り、

“非常に楽な仕事で、2.~3時間あれば、済んでしまう”

ほどだった。

 

ところが、この楽な役に回ってみると、不思議に

今までのように仕事に熱が入らず、何とも物足りない気分

を持てあますようになった。

ちょうどその少し前、私は新しいソケットを造ろうと

研究していた。

 

一度はできたソケットを会社の主任に見せたところ、

‘だめだよ、これは’と言われたこともあった。

そこでどうかしてソケットをものにしたいという気が

湧いてきた。“

と ソケットの製造への夢が大きくなり、順調に

行っていた仕事にけりをつけて、次の階段(ステップ)を上がる。


今の仕事は簡単すぎて面白くなくなったとは、いかにも

松下氏の言葉らしい。

やりがいの感じられる仕事でなければ意味がないとばかり、

松下氏は7年間務めた会社に辞表を提出するのである。

 

“主任が止めるのも聞かずに早速辞表を出した

と 傍からは唐突に見えるほどだったらしい。

意を決して、自分の理想と信念突き進んでいった。

目の前の仕事に 常に全力であたり、次の展開を的確

に見定め、こうと決意したままに前進する松下青年には、

妥協とか 適当に生きる、とか、”これくらいで良い”という

中途半端な気持ちが微塵もなかったようだ。

 

一言付け加えるのなら私の師はこう教えてくださった

ことがある。

”どんなことをしていても、’これくらい、まあいいだろう’ 

の ’これくらい’ が一番ネックだ・・・”

何に対してのネックなのか?


自分で決めた何事かを完成させるために・・・

’これくらい’と言って小さなことにも妥協せず、誠意を

もって全力を尽くす。

それは、どんな分野でも当てはまる事なのだろう・・・

 

続く~

 

 

参考;

 私の履歴書 日本経済新聞社編 松下幸之助著 昭和38年

 

 

 

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