自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

怒りとエゴと自己防衛

2013年11月05日 | 介護と自然治癒力

時には、無人島にいるように・・・・      平成25年11月5日

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いろいろと気が付かしてくれてありがとう、お母さん。

(Part 1)

ほんとうの自分を知るというテーマ。

エゴ=小我 と一口で言っても、何のことか

ピンとこない と言った人がいた。

日本人はあまり自己主張しないからエゴ意識が

ないのではないか?という人もいた。

ここでいう、エゴ意識はそれとは少し違う。

万国共通、人間が肉体を持って生きている中に

生まれている、一つの自我意識を指している。

その自我意識の特徴の一番目は

執着だ。

 

実家の母は 要介護2で、認知症と診断されている。

介護の扉”で何度も母の話題は登場しているので、

読者の皆様には、おなじみのエピソード:

片づけられない~ものが無い~誰かに持っていかれた

のパターンの繰り返しが何年も続いていた。

 

そんな母だったが、最近、少し変わってきた。 

あまり、思い込みから、警察沙汰にするような話し

が無くなった。

 

最近では

”お金?

死んであの世に持っていけるものでも

ないし・・”

というような言葉が出るようになってきた。

 

死んであの世に持っていけない” から

執着が薄くなり、執着が薄くなるから心は

より安寧を得ることができる。

認知症だから執着しているのではなく、

誰にも、この世で執着しているものは

沢山あるはずだ。 

 

  

モノには 可視 と 不可視 の二つの種類が

ある。

不可視のそれは、思想、イデオロギー、名誉、プライドなど。

小自我意識 に重なって、そのエゴ意識を満足させる役目を

持つものが、執着の対象になるようだ。

 

高価なものを持てば、箔がついたような満足感、

最新流行のアイタムを使えば、

時代の先端を行っている満足感。

思い出の深いものをもてば、

昔のよき時代に還った満足感、が得れるが、

その満足感を感じる主体がエゴだという。

 

母は、よく、こう言う: 

”あれはね、~の時、~さんと一緒に

買ったもので、とても大事な~だったの。”

と必ず、母が、’無くなった’と大騒ぎを起こす

元になっていた”もの”には必ず、 蘊蓄があるものだ。

 

エゴ意識は 執着するから、それを失いたくないと思う気持ちを

強くさせる。

そして、そのエゴ意識の欲求が満たされないと ”怒り” が生まれる。

期待に沿わないことをされると怒りを覚える人もいるが、

それは欲求が満たされなかったことへのエネルギーの

発現なのだろう。

 

 マニャガハ島の景色

 

私にも似たような経験がある。

少々個人的なことになるので耳触りな話題かもしれない。

しばし、お付き合いいただけたらと思う。

その経験を通して一つの反省を得たということになる。

 

まだ、母の症状は今でこそ、”ああ、又ね”と言う具合で

親戚縁者の方達に受け止めてもらえるように

なってきた。

このお話しは、まだ、母がかなり正常に近い受け答えで

全く、異常のない人と受け止めていた方達が

多かったときのことだ。

ある法事の席、親類の一人が筆者に、姑の母に対する

対応に関して遠回しに批判した。

”それでは あなたのお母様がかわいそうでしょう。”

母の一本の電話が原因だった。

当時から被害妄想的なところはあったのだが、自分が

こんなに傷つけられたという”つくり話”をその親類の

人に話して聞かせた中の一コマだったらしい。

そこで、筆者は

”絶対、そんなことありませんよ。

姑は、そんな人ではないし、それを

話した人(実は母)も、かなり、思い込み

で話していますから、信用なさらないでください”

と 姑を弁護した。

すると、

”黙って聞き流すぐらいの度量が

有るかと思ったら・・・

姑さんが お母様を傷つけたこと、電話で伺って お気の毒で・・・

あなたの御母さんの立場で申し上げたのよ”

と逆に憤慨された様子で話した。

 

何故私が、”黙って聞き流せなかったか”と問われれば

言われも無く姑の非難を聞くことは堪えられなかった

こともあるし、もう一つは潜在意識の私のエゴ意識が

頭を持ち上げたからだったかもしれない。

それは母の言葉をうのみに聞く親類の方への

自己防衛でもあったのだ。

母が、電話口で、悲劇のヒロインさながら、思い込み

と妄想のシナリオのセリフを、涙ながらに語り、

誰彼かまわず、筆者を含め、不当な扱いをされている

と訴えている姿が主室(おもむろ)に脳裏に描かれた。

 

警察沙汰や隣人を巻き込んで、あるいは縁者の

方達からそうした”問い合わせ”をこれまで

どのくらい受けていただろうか。

ヤレやれ、またか…うんざり、もう、いい加減にして

~少々筆者もストレスが嵩じていたのかもしれない。

 

”母の愚痴には信憑性がありません!”

ということを伝えたかったのだが強い口調になったようだ。

 ビーチでリラックス

 

そばにいた、妹も この気まずい雰囲気を察知して、

ええ、姉の言うこともわかるし・・・おば様のいうことも・・

と 苦笑いしながら、その場は言葉を濁していた。

 

余談だが、後日、妹は長い手紙をしたためて

その方に 真実の事と銘打って、メールを送ったそうだ。

なぜなら、妹のエゴも動かされることがあったらしい。

次に、”涙ながらの母の妹への愚痴”を 電話で聞いた

その方が、妹へアドバイスのメールをいれたという。

 

”娘たちが今まで、母の言動の後始末をしてきたか

ご存知でしょうか?

また、母の言動で、傷ついた人達がどれだけいるかも

ご存知ないでしょう。

こうした方達から寄せられる苦情や精神的圧迫感は

云々・・・” と、妹からの 長文メールを受け取ったと

筆者のところに電話をかけてこられた。

 

”貴方たちは、私がお母さんにやさしくするのが

お気に召さないのかしら?。

 

と 開口一番、意外な質問から始まる、お電話だった。

ここで一つ誤解が また生じそうな場面だと思った。

母のエゴの心が 私たちのエゴの心を刺激して

そのエゴの心から防御反応が始まる。

そして、それらがまた絡まって、エゴの回線を太くさせて、

人間関係を複雑にさせていく。

         物凄く青く澄んだ珊瑚礁の海              

 

”自己防衛” と ”怒り”と 自分を正当化させようとするエゴへの”執着”

これが エゴと裏腹にある特性のようだ。

その方の言われた

だまって無視するように聞き流す”という言葉は的を得ていた。

どんなに腹立たしくても、自分が不当に扱われた

ように感じても、黙視して受け流し、真実のアートマの自分と向き合って

いる限り それ以上の絡み合いは何も生まれない。

根っこのない 蔦(つた)のようなもので、絡んだエゴもすぐ

枯れていく。

   

 

 

コメント
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