自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

常識に逆らって真実を生きる人

2014年05月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

医者は病人を、数学は悲しむものを、神学は罪人を作る。  2014・5・1

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冒頭の言葉は宗教改革者 マルティン・ルターの言葉。(*1)

 

医者が病人をつくるというのは、先回に上げた近藤誠医師の意見に

通じるようだが、数学がなぜ、悲しむものをつくるのかわからない。

さらに、”神学(Theology)は罪人を造る” というのは 逆説的で

真実でもある。

人間は生まれながらに罪深い。

(原罪) という罪をしょって生まれる。

そういう説を幼い時から教会で教えられていれば

人は自分を罪人であるという意識から離れられなくなるだろう。

そして心のどこかにそれを咎める気持ちと贖罪への祈り

が人を教会へと導いていったのだろう。

 

ルターは、カトリック教 最高権威者、ローマ法王に対して

死をかけて異見を唱え、現聖職者でありながら、自分の信仰と

信念を貫き、時代の潮流とまったく逆行した生き方を貫徹した人

だった。

 

たとえば次のルターの言葉はいかがだろうか?

He who loves not wine, women and song remains 

a fool his whole life long.

須田訳)

ワインと女性、歌を愛せないものは、一生無知でとどまる。

或いは、

"Ich sitze hier und trinke mein gutes Wittenbergisch Bier und das Reich

Gotteskommt von ganz alleine."

訳)

私がここに座って、うまいヴィッテンベルクのビールを飲む、

するとひとりでに神の国がやってくる。

 

聖職者についている人の言葉だと誰が考えるだろう?

酔っぱらって漏らす戯言(たわごと)に聞こえるかもしれない。

ビールを飲んで”神の国に入れる”とはどういうことだろう?

ここで当時のカトリック教の教えの背景を考えないと

このルターの言葉が伝わらないと思う。

 

当時のキリスト教、ローマカトリック教では、

”人は罪人であるのは生まれつきだから、どんなに善い行いをしても、

結局は、罪人でしかない” という教えが一般的だったという。

そこでルターはいう。

ワインと女性と歌、を愛せよ~と。

これらは日常生活の 感覚的な楽しみだ。

牧師さん、あなたの言うように、これはダメ、あれも駄目、

世俗的では救われない、否、どんなことしても私たちは

罪深いもの、と教えて、だからこそ、キリスト教の神学に

沿った行き方で贖罪していかなければならないというのなら・・・・

 

その説教を 今まで頭(こうべ)を垂れて恭しく聞き入れてきた私

だけど、私は一つの境地に達した。

神の義に我々が程遠い存在で、救われることもなない、

ということがあってたまるか!

~と

ルターは ビールを飲んで、歌を歌う当たり前の人生の中にでも

救いがあることを知らないのは ”愚の骨頂(fool)”だと

上の二つの言葉を通して、訴える。

 

ルター自身、カタリナ・フォン・ボラという元修道女と結婚して

4子を儲けている。

当時すでに教職者だったルターだが、この結婚により、

後のプロテスタント教会牧師が結婚を認可されるという伝統

をつくった

 

さて、実際のルターの信仰生活はどうだったのだろうか?

実はこの名言とは対照的な深い信仰生活を送り、苦悩の淵をくぐりぬいていた。

彼の生い立ちを少し見てみると・・・

エアフルト大学時代、1505年、大学へ行く途中のシュトッテルの

草原で命の危険を感じたという。

落雷に襲われたのだ。

思わず、ルターは ”助けてください。助けてくれれば、修道士になります!”

と叫んだという。

そして、大学を辞めて、エアフルトの聖アウグスチノ修道会に入ってしまう。

 

そこでパウロの ”ローマの使徒への手紙” の中に書かれている、

神の義” の思想に動かされると同時に、大きな課題を背負う。

神の義に対して、人は義をどのように求めていけばよいのだろう?

義と救いを求めながらも 人は常に罪人であり続けるということへの

カトリックの教えを学び、葛藤に打ちのめされる。

禁欲的な修道生活を送るルター、どんなに、善行を行ない、一生

修行を重ねても、結局は自分は罪を拭いえないとしたら?

 

こうした修道院生活を送ったルターが 上記のような一見矛盾する言葉

を発するには それに到達するまでの、重圧的な信仰生活が

あったと推測する。

 

ある日を境に、ルターの信仰に光が射した。

考え方の転機であり、カトリックに対するプロテスタントの誕生の布石

ともいえる日が来たのだ。

1517年10月31日 (宗教改革記念日と後世に記録される歴史的な日となる)

このとき、ルターはこうした疑問を解決するかのように、

一つの提議をローマ法王を軸とした、カトリックキリスト教会に投げかける。

それは、

”自らの努力で救いに到達するのには限界があり、

神の愛と恵みの中に人間が救われ 義に達するのではないか”

という命題だった。

 

人間は善行ではなく、信仰によって義とされ、

その義に達するためにはすべてが神の恵みによるものでしかない~

という事を、果敢に、当時のローマ・カトリック教会に提議したのだ。

それは、カトリック教会に福音信仰に立ち返ることを求めたことでも

あった。

かくして、この提言は、不敬罪として、

翌年、1920年、教皇庁から破門を言い渡されることになる。

さらに翌年、1921年には 帝国追放刑(事実上の死刑)を宣告された。

 

しかし幸い、ザクセン選帝候の保護のもとで ルターは、

ワルトブルク城にかくまわれ、1522年 11週間と言う短期間で

新約聖書をドイツ語に翻訳した。

このことにより、ラテン語の解らない一般の大衆に聖書を

読む機会を与えられたばかりでなく、 結果的に、各地の方言に

分かれていたドイツ語の統一に関して、貢献をしたと

高く評価されることになる。

 

ルターは親しみやすい、讃美歌を数多くつくり、

物心両面でイエス・キリストの福音を人々に分かりやすく、

また身近なものとした。

 

そうした背景を知って、この二つのルターの言葉を 再度

読んでいただきたい。

意味合いも少しニュアンスが違ってくるだろう。

 

死をかけた提言は、ルター自身の信仰を本質的な

ものにしたと筆者は思う。

それは、小自我(エゴ)で人は”義を果たす”、のではなく、

そうして、罪から救われる人間になるのではなく、

すべては”神様の恵みと愛の中に、ある”のみだという

安堵の確信と深い信仰でもある。

 

神の愛と恵み(恩寵)に自分をさらけ出す。

すると、すでに、義を果たし救われているのが自分だ。

パウロの神の義について深く思い悩んだ

信仰は、心安らかな神の福音への信頼へのそれへと

変わっていったのだ。

 

だからこそ、次の名言が生まれている:

Here I stand; I can do no otherwise. God help me. Amen!”

須田訳)

今私はここに立ちあがる; ほかに何も為しようがない。

神が我を助けてくれる、アーメン”

 

今、ここに生きている。

でも神の守護と愛を信じる限り、それで良し。

他に何を じたばたする必要があるだろう。

一種の他力本願的な信仰ともいえよう。

自力ではなく他力(神の恩寵)を信じて安寧(あんねい)に

日々を過ごす。

小さな自我意識のあがきより、神への信頼のみが

未来に通じる。

という、ルターの信仰心が伝わってくる。

 

”私のキリストが生き、支配すると、私は彼とともに生き、支配するようになる。”(*2)

ルターの他力本願は決して、自分への自信が揺らいだからではない。

むしろ、キリスト意識(真理)、大愛、慈悲、赦し、が自分自身の

中にあると気が付いたからこ ”私の”と”キリスト”の前に言葉を添えている。

力強い信念の言葉だろう。

その表現がこの上記の明言にあらわれている。

 

”私の中のキリスト意識”が自分を支配することで、その大愛とともに自分の人生は

あり、弱い自分(小我)をも支配して、勇気をもって、為すべきことに立ち向かう

 

という自分の信仰のままに生きとおしてプロテスタントの基礎を作った

ルターの 新しく踏み出した人生宣言でもあるのだろう。

 

 

 

(*1)"Die Arznei macht kranke, die Mathematik traurige und die Theologie sündhafte Leute."

(*2)"Mein Christus lebt und herscht, und ich werde mit ihm leben und herrschen."

 

ルーテル教会について)

1517年にマルティン・ルターの

宗教改革によりドイツで誕生した。

ルターの「宗教改革」の流れを汲むキリスト教会として、

福音を伝えながら、ドイツから北欧に渡り

国民教会となる。

その後、アメリカにも渡り、更にアジア、

アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日、

全世界で約7000万人の会員数を持つ。

日本では、今から約100年前に、

アメリカからの宣教師によって最初のルーテル教会が生まれ、

現在、日本には約270のルーテル教会が存在する。

 

 

 

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