自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

太古の食習慣と寿命 

2015年06月19日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 東西南北の由来・キミという言葉    20156・19

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わか姫は いざなぎ・いざなみ

の神様のご長女だ。

天照大神のお姉さまに当たる

~秀真伝えによる~3歳の時、

親の忌み年と重なり、小さな

船に乗せられて厄年の影響を

受けないようにと、河に流され、

金折命(かなさくのみこと)

に拾われ 育てられた。

この姫は、とても聡明だった。

姫は、育ての父君 金折命(かなさく

のみこと)に”東西南北” と

名付けた本縁を尋ねる。

秀真伝えには こう記されている。

 

“金折命の教(おし)ゆるに

「日の出(い)づる方を東(ひがし)

と名付く。

日(ひ)の頭(かしら)故に略して

「ひがし」と謂(い)う。

日の丈(たけ)登(のぼ)り至(いた)る

を南(みなみ)と名付く。

皆(みな)が見(み)る故に「みなみ」

と謂(い)う。”

皆の目線を集め、成功に導くさま

を”ひのめを見る”というが、

東は太陽の出てくる場所、特別な

意味合いがあったことがこの節を

読むとわかる。

 

さらに、反対の西はどうかと

いうと、

”日の落ち入る方を西(にし)と

名付く。

煮(に)え鎮(しづ)む故に略して

「にし」と謂(い)う。

米飯を炊(かし)ぐ時、米と水を釜

(かま)に入れ薪(たきぎ)をもって

炊(かし)ぐ。”

 

西側に勝手の竃(かまど)を

用意したのだろうか。

”その火(ひ)頭(かしら)を東(

ひがし)に配す。

煮(に)え盛(さか)んなる時(とき)

に南に配し、煮(に)え鎮(しづ)む

時を西に配する。

これを(え)日(か)(吉日)毎の

食飯となすなり。“

と 書かれている。

 

現代でいうところの家相の良し

あしでも、かまど(台所)の

位置は重要だそうである。

金折命は、姫に、コメを

炊くときの縁起の良い方向、

吉飯とするための心構えを

教えている。

すなわち、

飯を炊くとき、煮えてそれを

さますとき、西に置く

ゆえに、煮えしずむニとシ

から 西とつけられる。

風水でも、東向きにレンジを

おくと、人は西に向かってたち、

西側に火(ガスレンジの)が

つけられることになるので 

家の気のめぐりが

良いと聞いたことがある。

 

さらに、金折命は、飯炊きに

付随して 神代の昔の食生活

に触れ姫に語る。

 

“太古は年に二食とし、その時

の人寿は千万歳なり。

その後月に三食となり、時の

人寿は百万歳なり。”

太古の神代の昔、一年に2度しか

食事をとらなかったという。

寿命は千万歳、その後、

食事の回数が多くなるごとに

寿命も縮んでいったという。

 

“その後月に六食となり、

時の人寿は平均して二十万歳

となれり。

今の世は食の多く重なる故に、

人寿は平均して二万歳となれり。“

 

天照大神は ひと月に三食、

しかも、非常に苦い草、これは

富士山にその昔生えていたそう

だが、それを常食にしておられた

という。

“古を鑑みる時、食重なれば人寿

は次第に短命となれり。

故に天照大神は月に三食とし、

常に深(しん)苦(く)の蓬菜(はおな)

を食し給うなり。“

 

ここまで 語ったあと、再び、

秀真伝えでは東西南北の本題に戻る。

南と北の謂れについて、金折命

は次のように、若姫に語る。

“また宮殿は南向きとなし、

南天の陽気(ようき)を受

けて長寿を得給うなり。

この故に宮殿の造営をなす時

は南向きとなすなり。

宮殿の後方を「きた」(北)

と名付く。

日の帰り来たるに配して

「きた」と謂(い)う。“

北を 別称、”ね” とも言う。

そのいわれは、

“日が入れば夜(よる)となり、

寝(ね)る故に北(きた)を

「ね」の方と謂(い)う。”

訪問客への習わしとしても、

南北をつかいわけていたようだ。

 

“例(たと)えば、若し人(ひと)

来(き)たりて事を辨(わきま)

える時、遇(あ)わざる時を

「北(きた)夜(よ)」に配し、

既(すで)に相(あい)見(み)る

時を「日(ひ)の出(で)」に配す”。

互(たがい)に談(かた)りて事を

辨(わきま)える時、真昼(まひる)

の如く明らかなる故に「みなみ」

に配す。

事(こと)落(おち)着(つ)くを

「にし」に配し、既(すで)に

帰(かえ)り退(しりぞ)くを

「きた」に配する。

「ね」(根)より来(き)たりて

「ね」に帰る故に、来(き)たるは

「きた(北)」なり。”

 

北と来たの言霊の同根を語った

あと、大自然の様子を重ねて

方角を語る。

“また木(き)は春(はる)に至ると

若葉を生ず。

夏に至(いた)ると青葉が茂(しげ)り、

秋に至ると葉(は)の煮(に)られて

紅葉(こうよう)となる。

冬に至ると黄(き)葉(ば)と

なりて落下する。“

“木(き)の性(さが)も同じく

根(ね)は北(きた)に帰る故に、

北の方を「ね」、東(ひがし)の

方を「き」と謂(い)う。

木(き)の芽(きざ)す故なり。

南(みなみ)は栄(さか)えるに

より「さ」と謂(い)う。

西(にし)は熟(じゅくし)

尽(つく)る故に「つ」と

謂(い)うなり。“

 

その他にも興味あるところ

としては、以下のような

説明が続く:

“木(き)は東(ひがし)に、

花(はな)葉(は)は南(みなみ)

に、木(き)の実(み)は

西(にし)に配(はい)する。

木(き)の実(み)熟(じゅく)し

落(お)ちて地(つち)に生(い)き、

再(ふたた)び身(み)の実(み)

を見る故に、木(き)の

実(み)を「み」と謂(い)う。

太古は「き」と「み」を、

陽神と陰神に配し、「き・み」

(君)と謂う初なり」と。 “

 

木は東に、木の実は西に配する

ため、太陽の昇る、陽 と沈む 

陰 にそれぞれ神を置き、

陽神と陰神と併せ持った人

(神)に対しきみ という言葉

が生まれたともここに述べられ

ている。

 

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