自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

生長の家、甘露の法雨 から見る、空 の観念

2015年06月25日 | 健康と直結する”一元論”について

 自然治癒力と真理の関係     2015・6・25

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宗教と真理は違う。


真理は、でも、善き宗教の中に表現が異なっていても

流れている。

それが、人のアートマに届き、心を打つ。


自然治癒力を引き出すと言うこと。

様々な真理へのアプローチを、拙ブログでご紹介するのは、

真理を理解体得したとき、治癒力は引き出されている~

と考えるからだ。


なぜなら、自然治癒力は、生体が本来持つ生命力であり、

生命力こそ ”うわべの私の意識”では把握できない”

本当の私の正体”だからだ。


本当のこと、それが真理だとしたら、本当の事、真理を

知ることは”本当の自分”を知る一歩でもある。


知ることは、心を変え、その’本当の自分’を発現する

ために不可欠だ。 


真理について・・・

どんな人にも 神様や仏様を敬う心はどこかに潜んでいる。

それが宗教に結びつかないまでも、それぞれの人の心には

その神仏に手を合わせる心を、原点として、生きるうえでの、

自分なりの規律をもっているはずだ


今日から 般若心経の原点が、一元論であるということを、

現代の一元論の代表的な言葉を以て比較してみたい


私たちは先祖供養に、般若心経を唱える。

その精髄を理解して唱えれば自分の心身の健康のみならず、

先祖への深いご供養へとつながることだろう。

 

”色即是空”(意味)色(物質)はすべて空(くう)の

姿が本質である。

”空即是色”(意味)空は展開して物質になる

 

空とは何か? 

一元論 というのは 大元(すべての事象のおおもと)は

”壱成る存在”から出ているということだから、

その一なる存在は 世に言う “神”、を指す。

すべての本質は”神”である。


日本の神道にみられる八百万の神(やおよろずのかみ)も

すべての自然現象の中に神が存在することを観た、

古代日本人の直観だろう。

 

まず、空 が神の資質であるとしたら、その神は

どのように定義されているかというと、

このくだりを現代の一元論(*1)では以下のように

表されている。


“宇宙を貫く心 宇宙を貫く大生命、宇宙を貫く法則

真理、智慧、光明、智慧、絶対の愛。“

 

その神 のエネルギーの流動するサマを 般若心経では 

“空” という。


空とは空っぽの意味でもなく、ましてや無の意味

ではない。

サンスクリット語でいうところのアカ―シャ 

つまり 空の気の流れるその場所に、実態として

存在するエネルギーということだ。


それでは どのようにして 空即是色、この空

(神のエネルギー)が物質になったのだろう。


この全能なる神、完全なる神の‘心’動き出て

コトバとなれば一切の現象展開して万物成る。”


聖書にある、初めに言葉ありき~という創世記の行と

一致する。


ここにコトバとカタカナになっているのは、私たちが

日常声帯で発している言葉という意味ではなく、

意思(念)のこもった波動体としての’ことば’を意味

している。


だから、“‘心’動き出てコトバとなれば”、

色(現象、物質)が形成れたとある。


この原理は以前、ヒマラヤに住む寿命不詳の大師 

エミール師をブログでご紹介したが、その師の言葉を

思い出される方もいるだろう。


 何も道具を使わず、水を凍らせたり、お金を出現させたり

したエミール大師は、その理由は 仕掛けがあるわけ

ではなく、念の世界、自分の心の波動で、ものを創造する

ことができるのだ と調査団に語る。


それは、神様が天地創造したときと同じ原理だという。


谷口雅春師は一元論に基づき、このことを次のように

表している。


“万物はこれ、神のコトバ、すべてはこれ霊、すべてはこれ心、

物質にて成るもの一つもなし。”


私たちの健康も、境遇も、これすべて、私たちの念が

造りだした物であると一元論では教える。


インドの太古の聖典ベーダも、同様であり、其の後発生した、

さまざまな宗教の教義の礎にもなっている。


最近ご紹介した ヒューレン博士のホ。オポノポノでも、

現在の不幸に見える事象は過去の記憶(マイナスの想念)

の作用によると教える。


だとすれば、健康も若さも、私たちの心次第ということになる。


心次第~というのは、言葉の綾で、本来私たちはすでに健康の

生命体なのだ。

それはありのままの自分である。


余計なもので、それを覆って自分は’~こういう状態(病)だ’

と決めつけなければ自然と本来の自分が現れ出ると

いうことになる。

 

 

続く

(*1)~谷口雅春師”甘露の法雨”の中から

 

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