自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ありてある処、対照の無い光一元の世界(病のない世界)

2016年01月04日 | 健康と直結する”一元論”について

 

新しき年のはじめに 禊と言霊と健康の話 201614

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先回の植芝氏の講演会のお話しの続きから~

 

“合気道とは至誠の道であります。 誠とは忠孝の道であります。

忠孝とは、宇宙天国建設の完成にむかっての御奉公、地上天国建設

精神に対しての御奉公をいうのであります。 

この道を進むには、まう、自己を完成しなければなりません。 

国をよくし、人類をよくし、人類を完成し、地球を良くして

いかなければなりません。 

合気道はまた、アオウエイの五つの声の働きでもあります。 

これは水火の結びの二元に密接な関係があるのです。“

 

“この二元は、また一元、即ち スの一元に還るのであります。

二つとは霊魂と物質の根源であります。 これはどこから生まれたかというと、

霊魂と物質はウの言霊より生じたのであります。 

ではウの言霊はどこより生じたかといえば、ス声の生長より生じた

のであります。

ス声とウ声の動きは霊魂の源、物質の根源なのであります。

宇宙万有の根源なのであります。


ではス声は何処から生じたのか?

ス声とは大虚空に一点のポチ(・)が忽然とあらわるる、で大虚空より

生まれたのであります。

大虚空は何処から生まれたかといいますと、一切があって、一切がない、

()から生まれたのであります。

 

私が言う 無 とは、虚無ではありません。 

ありてある処、対照の無い光一元の世界であります。

この世はこの無よりの生長であります。 聖賢語るを得ず、いわく、言い難し

という境涯にあるのであります。

では植芝は、どうしてそれが分ったかといいますと、私は日々一切の

執着を取り除く修行をして、自分の光身を見たりしたこと、即ち、

或るときは大光明火炎を背負った不動王明に、あるときは観世音菩薩

などに見えたりしたのでありますが、植芝は植芝自身にきき、

そして知ったのであります。


この私の中に宇宙があるのであります。すべてがあるのであります。

宇宙が自分なのであります。宇宙そのものでありますから、自分も無い

のであります。

また、自分が宇宙であるから、自分ひとりのみあるのであります。“

 

“霊も物質も言霊であるし、宇宙の実体も言霊であります。 

しかしこれは、普通の宗教者には分らないのであります。

これを生かす言霊の妙用が合気道であります。

合気道は宗教あらずして、宗教なのであります。かくのごとく合気道は

今までの武道とは違うのであります。 

あらゆる真理をことごとく身に行じてゆくのが、合気道なのであります。“


と昭和34年の一月鏡開きに合気道道場で氏は語っている。

 言霊について語っている。 

ウ声について・・・

“霊魂と物質はウの言霊より生じたのであります”


ウの言霊は霊魂と物質を作ったというが、生まれるのウ、生むのウ、

海(生物が生まれた)のウ、ウ声には口びるをすぼめて息を吹き

かけるような形を取る。それは土くれだった肉体に神が命を

吹き込んで人間を作ったとされる創世記の話も想いだされる。 


息は生きだ、

口呼吸するとき、この息を吐き出すときがウ声発生時の

口びるの形をとることも面白い。

そのウはスから発生したという。

寝息は“スースー”と表現する。想念が現象世界で人の感覚器官に

働きかけて、行動を起こす前の就寝時、私たちは“スー”と生き()

しながら、寝ている。


サンスクリット語(梵語)でも、スーは物質の始まりという概念があてはまる

ようだ。

太陽の光で生物は育成される。 

その太陽を スーリアと呼ぶ。

永遠の命を与える不老長寿の蜜を、アムリッタというが、もともとは 

スダとサンスクリット語で呼んだ。 

須田の姓を持つ私は、友人や教授たちに、スダ―とインド特有にみられる、

女性の名前として呼ばれていた。

 

‘スダ’それを語幹として、スダーラットなどという名前はインドのみ

ならず、仏教とともに梵語が伝わったタイ人女性にも比較的多い名前だ。

神道では ○ (まる)の中心に ・(てん) を中心にいれて、

スの一元世界を現す。


御(み)スまる’という言い方もする。

生きとし生けるもの、在りとし在るものの中心帰一した姿に他ならない。

私たちはここに還ろうという。

 

生命の中心に還る~そのために、今どんな状況が肉体や環境に顕れて

いても、その○(まる)+(プラス)・(中点)の みすまるの中心に自分自身を

置くための過程だと知る。

そこには、病や不幸、悲しみや怒りは無い、

植芝翁が言われたように(1229日、15ブログ参照)“わたしは宇宙の中心

の心境以外にないからだ。

 

すべてを作り出す中心点、そこから、物質(眼に見える状況やもの)を生み

出す中心にいるわけだから、病や不幸を生み出そうとすることもないわけだ。

一年の初め、今年一年の指標、○ス の自分を より深く表現できるよう

に祈った。

 

 

 

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