自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

超古代史に見る日本の精神

2016年01月20日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

 

稲荷神社の本源と赦す心・調和の心

******************************* 平成28120

これまでの稲荷神社の本源を読まれて18

(上)の見出しになっていた,日本人に流れる

文化的精神‘許す’の意味“とのつながりを

感じ取った方もそうでない方もいらっしゃる

だろう。

 

夫が長崎支局で働いていたとき、長崎市で

開かれた原爆・平和の会に出席する機会が

あった。 そのレセプションで大使館関係

のアメリカ人と話をした。

 

そのとき、多くのアメリカ人たちは 広島

に原爆を落としたことで戦争が終結した

という教育?を受けていることを知った。

いまだに戦争中の慰安婦問題が,日韓の

外交問題に尾を引いていて、国民感情も

複雑に絡んでいる昨今、アメリカに二つ

もの原子爆弾を落とされた国民が、その

痛手を忘れたかのように、最も親近感を

呼ぶ国の一つにアメリカを揚げるのも

日本独特の国民性を感じる。

 

どうやら、日本人の持つ独特の“赦し”と

“和の精神”の無形遺産的文化のためで

はないかと 思うようになった。

 

そのことをふまえて 秀真伝えの“

はたれ魔退治”の話を読むと、納得がいく。

はたれ魔という、西洋的にいえば、

悪魔のような人間の心に悪の誘惑と

神に逆らうような行動をとらせる

存在は 秀真伝えの中では、

“人間の欲望に巣くる、それを餌と

して喰らいながら増長する癌細胞”

のような存在としてとらえられる。

 

だから ヒトは清めることが大切

になる。

自分の身と心を清め(心身一体であるゆえ)

そうした心持ち(穢れ)から離れ、

あるいはそうした心持を清め流す。

はたれ魔がつくか否か、それは心の

持ちよう如何というところだ。 

 

日本人はこうして神の時代から続く、

清らかな心に戻るための、禊(みそぎ)

のその大切さを知っている。

禊を行うことで、自分自身の穢れ

のみならず周囲を清めることが

できる。

 

天照大神は 民の世が乱れたとき、

自ら何千回も滝に打たれご自身を

清められた。

民の世の乱れは自分の責任であると

いう、“自覚”とともに、自ら清まれば、

世の中も清まることをご存知だった。

乱れる責任も自己に 不運を招くの

も自分の心次第だ。

 

はたれ魔が世に蔓延ったその一つの

きっかけに、しらひと・こくみ 

という輩たちが政治に賄賂を使い、

人としてあらざるべき悪事を

行い続けたことがある。

 

そこに はたれ魔は住み、人の心

に慢心や強欲を増長させて世の中が

乱れた。

そこで 天照大神の勅旨により、

はたれ魔は退治されるのだが、狐に

似たはたれ魔に関しては 荷田神

(かたのかみ)が彼らを生け捕りにし、

今にも首を落とされんとするところで

命乞いをされた。生かしてくれれば、

心を改め神様のために仕えますという

言葉を信じて赦した。(前回のブログ参照)

 

こうして温情を受けた ‘狐はたれ魔’は 

改心して神に仕える者たちになった。 

稲作を司る、“蒼稲魂(うけのみたま)

と保(うけもちのかみ)、及び荷田麿命

の三神”の、御用使いをすることになった。

ホツマツタヱには、

“この三神を合せ祭りて荷()()(かみ)

となす。(今日の荷稲(いなり)神はこれなり)“

と八綾にあることは先回ご紹介した。

 

ここで注目したいのは、首を切り捨てられる

ことなしに 狐顔のはたれ魔たちは赦されて 

“神の使い”になったと言うことだと思う。

鬼の目にも涙~ではないが、どんな人にも

仏心がある。

 

はたれ魔たちにも心あることを知り、

荷田神(かたのかみ)は赦した。

赦すこと、愛をもって許すとは、相手の

本性(仏性・神性)を信じて悪の因縁から

解放してあげることなのだろう。

 

さらに、猿沢の池 と名付けられた

所以が秀真伝えの中にあった。

(稲荷神社の本源()参照)では、

猿のはたれ魔たちは自害させられた。

その条件として、次の生では人として

生まれることを約束された。

彼らは納得して自害した。

 

ここには、命は生き通しで、再び、

生まれ変わることが前提になっている。

仏教で伝わったとされる輪廻転生の

概念は、すでに、秀真伝えに語られ、

さらに、どんな生命も生まれるたびに、

確実に進歩していく可能性を

示唆される。

 

より良い人生を生きるために私たちは 

今を生きているということがうかがえる。

8綾で出てきた、“まふつの鏡”は、

三種の神器の一つとなる。

真の姿を映し出す鏡は、人に似てるものの、

本性は はたれ魔であることを

写しだす。

この鏡によって、多くのはたれ魔が

捕えられた。

 

こうして秀真伝え8綾に描かれている、

“赦す精神”、“和の精神”は 

天照大神が三種の神器を定めるにあたり、

詔(みことのり)を与えた

言葉の中にもうかがえる。

 

“『勅宣(みことの)り、汝(なんぢ)

(おし)(ひと)()が代理(かわり)

(つね)の任(よさし)も御()(たたし)ぞ。

 

千々(ちぢ)の春秋(はるあき)(たみ)

()で、この八尺(やさか)()

勾玉(まがるたま)()が奇(くし)

()()(もち)ゆれば、中心

(なかご)()(すぐ)に保つなり。

 

八咫鏡は縦(たて)に振()れ、諸人

(もろと)の善悪(さが)(かんが)みよ。

(また)八重(やえ)垣剣(がき)は剣臣()

に預(あづ)け、荒神あらばよく()けて

恵み和せ』

 

と御手づから賜う三種神宝(みぐさ)を給え、

(なお)も思えよ宝物、見ること朕(われ)

を見る如く、娶(めと)る千乳(ちぢ)(ひめ)

相共に、常睦まじく情愛(みやび)なせ。“

 

この中で特に、“又(また)八重(やえ)垣剣

(がきのつるぎ)は剣臣()に預(あづ)け、

荒神あらばよく平()けて恵み和せ』の部分

に着目したい。

 

勾玉、鏡と剣を以て三種の神器となすのだが、

剣の項目では、荒荒しい鬼神などに対して、

この剣を使い、“平らかに恵み和せよ”という

天照大神のお心が述べられている。

 

切り捨てよとも、退治せよともなく、

恵み和す、しかも“たいらかに”というのだ。

読む人の解釈次第ではいろいろ取られる

ことだろうが、私は少なくても、この短い

一言に天照大神時代からの、日本人の

理想卿とする国は、お互いに、相和す心、

平和を愛する心で造られるということ、

ではなかったのかと思えた。

 

つづく

 

コメント
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