キリスト教科学に見る形而上的癒しとは? 2016/8/15
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ギータを意訳しながら、これを意訳する意味を
考えていた。
ヒンズー教の理解でも、異文化の古代史紹介
でもなく、ただ、真理が癒しとしての働きをなす
ということを体感していただくためだった。
どのような宗教でも 哲学と異なる点が一つある。
宗教は 全人格的に、その人の生活に影響を
与えるものだが、哲学は論理や倫理という範疇に
留まりやすいということだろう。
マルクス論は宗教ではないが、一つのイデオロギー
だから、中核派などの過激な思想を生む背景になる。
イスラム教の過激派・テロリストでは、イスラム教の
聖典、コーランをそのような全人格的な洗脳の手段
として 暴力の正当化にあてることに対して
全世界の敬虔で、穏やかなイスラム教信者が
眉をひそめる。
宗教とは 全人格的に、その人の行動や規律に
善なる影響を与えるとともに、幸せ、調和、繁栄
をもたらすもので本来あるべきなのだろう。
ギータの内容はクリシュナ神が 人間の
存在論にあたる真理を アルジュナに戦場の
中で語るのだが、その内容は人間とは?という
本質論に応えを出している。
人は 人生の中で、いつかは自分自身の内面を、
全面的、包括的に見つめる時期を知る。
時期が尚早か遅いかの違いがあっても。
そのときに、その答えのよすがとして語られたのが
ギータであった。
ギータを真に読み込めば、必ず、病、精神的、
身体的の症状が軽減されると私は信じる。
ギータだけではなく、そのような真理 を説く、
先人たちを信じた人々は、実践的体験をして
いる人が少なくない。
キリスト教科学 を創立したエディ夫人も
その一人だ。
I have set forth Christian Science and
its application to the treatment of
disease just as I have discovered them.
I have demonstrated through
Mind the effects of Truth on the health,
longevity, and morals of men;
and I have found nothing in ancient or
in modern systems on which to
found my own, except the teachings
and demonstration of our great
Master and the lives of prophets
and apostles.
訳)私は キリスト教科学とその病気治療
への関連性を確立した。
いわば、発見したと言える。
真理が心の働きを通じてもたらす健康、寿命、
人類の道徳性への影響を実証してきた。
その確立はキリスト、預言者、使徒たちの
命を賭した実証的教えによるもので
過去未来のいかなるシステムも
私にそこまでの影響を与えるものでは
なかった。
ここでわかるように、エディ夫人は徹底的
に聖書の中の言霊を、現代の生活に生かす方法
を解説している。
実際、それによって、多くの信者たちの病は
その手段はただ、キリストの言葉、生き様を
理解することであったと、ここで述べて
いる。
それは 聞いた人達に、意識の変革をもたらす
だけの強さに満ちていたのだろう。
The point at issue between Christian Science
on the one hand and popular theology
on the other is this: Shall Science explain cause
and effect as being both natural and spiritual?
訳)キリスト教科学と、他の神学の教えでは
次の論点で対立している。
科学では、原因と結果は、双方自然かつ霊的
であると説明できるか否か?
ここで、多く存在するキリスト教を背景とした
派の教えと
クリスチャンサイエンスの違いを述べている。
一般的キリスト教では、神秘的かつ霊的な
イエスの奇跡は 一般的ではなく、超越的であり、
はるかに我々の一般的肉体能力を超えたもの
ととらえていたから 科学は科学、宗教は宗教と
一線をひくものだった。
が、エディ夫人は(物質的感覚を超越した原因が
あっても、それは 超自然的、あるいは オカルト的
な存在ではなく自然に存在している
ものととらえてる。
それがイコール霊的であるという以上、
霊的存在も自然な存在ということになるのだ。
だからこそ、真理の言葉はキリストの聖書に
書かれた言葉のとおり、真理は汝を自由にする
という、
その病からの自由、不幸からの自由、霊的苦しみ
束縛の自由を実現させた。
ここで クリシュナの話に戻れば、クリシュナ
の言葉はその後、印度の多くの聖者たちに
とりあげられ、そのエッセンスをくみ取られ、
伝えられ教えられてきた。
そして、それによって、年をとらない人、病を
超越した人、常に心に至福を感じていられる人が
出現して、
つまり、そういう人たちはヨギ と呼ばれ、
古代から存在し続けてきた。
エディ夫人の伝えたキリストの真理と
クリシュナの述べる存在の真理
とどこが違うのだろう?
違いはない・・・ 真理は一つだから
すべての存在を網羅しているから
真理といえるのだ。
ここだけにしか通用しない、この言葉で
しか語られていない、
こういう条件の人にしかあてはまらない~
という”限定”は・・・
その真理が”真理ではない”というパラドックス
を生む。
それは、まるで神は ~神 だけ、唯一無二の神だ
と主張すれば、
その神を その概念内で限定し、実に小さな神
にまとめてしまうに似ている。
真理は変わらない。
すべてに適応できる。
それはある意味 科学である。
だから エディ夫人は
“All science is divine.”(すべての科学は聖な
るものである)と言う。
エディ夫人が、クリスチャンサイアンスを創立して
多くの信者たちの病が癒されたのは真実だった。
それは “意識で病は造られているから、
意識をキリストの光に満たせば、病は消える”
という徹底した信仰の実践だった。
その意識の改革、中途半端ではなく、徹底した
努力と疑いのない信仰に基づいていた。
真に健康になる、ということは、薬だけではなく
医師のケアだけではなく、自分の心の転換
そのための エネルギー、が必要なのだろう。
そのエネルギーこそ、“自分は誰か?”
“自分は聖なる存在であるのか?”という質問、
自分の内側に向き合うこと、そして、どの宗教の
根底にもある、
“人間神の子、無限力、無限生命”という真理を
受け入れることに つながる。
その意識転換から生じるエネルギーが
実践の場、現場から、病の消滅、完治を、証明
注 )引用部分は原著
”Sciene And Health With Key To The Scriptures"
by Mary Baker Eddy,1982 published
by The First Church of Christ. Scientist,
Boston, Massachusetts, U.S.A
Chapter 6,”Science Theology, Medicine” line-126