自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

クリシュナのいう、カルマヨガの意味

2016年08月04日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

2016.8.4

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第三章はクリシュナがアルジュナに、

ヨガについて語る章だ。

ヨガとは、ここでは、神と一体になる

術(すべ)を指している。 


呼吸法体操として一般的になっているヨガ体操も、

本来は“ヨガ”行為の一つだ。 


クリシュナはこの章の冒頭でヨガには大きく

分けて、二つあると言う。


一つは智慧(聖なる知識)を得ることによって、

もう一つは仕事や行為によって得られる

'行動によるヨガ'だ。  


この二つのヨガは、一人でじっと自分の世界に

浸ることを好む人と

誰かと一緒に行動しているほうが楽しい人、 


じっくり考える人と直情的に行動する人、

社交的・内向的な人 などにも


伺える人の二面性に基づいているようだ。


クリシュナはアルジュナに問う

“He, who controls his senses but mentally is 

mulling over the objects of the senses,

 is called hypocrite, But Arujuna, he, 

who controls his senses with his mind 

focused on divinity and uses his senses of

 action to begin doing action dispassionately ,

is really an exalted person.”(原文3-6,7)


訳)

五官を制しているも、気持ち的には感覚の

対象物の周りから離れられない人は

偽善者と呼ばれる。 


が、アルジュナ、五官を制したうえに、 

心を聖なる存在にぶれずに焦点を合わせて

いる人は、五官の機能を駆使した行動は 

控えめに行うもの、そういう人こそ、高潔と

いえよう。


さらに続けて

you  must carry out the action allotted to you. 

Being active is better than being  inactive – 

don’t you agree?  


Inaction makes it difficult for the body 

to carry out its basic functions.  

Look, Arujuna, in this world actions that are 

done without giving up the desire for results, 

bind one to further actions. 


Therefore, unconcerned with the result , 

do your allotted action very well.”

(原文3-8,9)


訳) 

決められた分担としての仕事は、果たさなければ

ならない。 

活動的なのは非活動的より望ましい。 

そう思わないか? 


非活動的だと、時には、身体の基礎的働きすら困難に

なりがちだ。 

ご覧、アルジュナ、 この世で 何かを為す時、

結果を求めず、行ったとき 次の行動へとつながる。 


だから、どういう結果になるかを気にせず、

今与えられている仕事を十分に

果たすことだ。

***


クリシュナによれば、創世期、人は神に 

犠牲の精神 を植え付けられて

誕生したという。


犠牲という言葉は ここでは’人のために自分

の利害を置いて何かを行う’という意味のようだ。 


神は人を祝福し、“その犠牲の精神の中に己を

確立し、それがために汝の望みは凡て

叶うように。 


その心にて、神の働き(五官の機能も、本来は

神の働きでこれによって、五感が生まれ、

行動し、さらに、身体のチャクラで象徴される

7つの精神的段階も生まれる)を崇め、喜び、

守るが良い。 


その代わりに天使たちは汝を崇め、喜ばせ、

守るだろう。 

この相互関係の働きで汝は高貴なものを得れる。 

そのような犠牲の心をもって 崇められた

神の働きは、その心を喜び、

汝に望む喜びの源を与えるだろう。”

(原文 3-10、から 3-12)

 

人は考えれば、無意識に犠牲的精神を活用して

人生の喜びを得ているような気がする。 


赤子時代はほとんど記憶が無いにせよ、

その無垢な微笑みや行動一つ一つが

周囲の大人たちを喜ばせている。


義務教育を受ける年頃から、親の期待に

沿うように、外で遊びたい年頃の余暇時間を、

犠牲にして、塾や習い事で満たす。 


こうして教育期間を終えて、社会に出れば、

会社のために自己を犠牲にして、

心身 すり減らすストレスを組織の中

受けながら、会社の利益向上の

ために働く。 


結婚すれば、家庭ができ、親たちは

住むに良し、勉強するに良し、

心身発育に良しという環境をつくり

あげるために 犠牲的に献身する。


日本語の犠牲という言葉は、悲哀感があるが、

わりを喜ばせるために愛のために

自ら 進んで、他利のために心身の

エネルギーを投じるという意味で

クリシュナは使っているのだろう。 


クリシュナの言葉によれば、それは、本来 

ヒトが持っている、性質であるから、

’人のために、喜んでもらうためにそうしたい’

という意欲がそこにはあるからだ。


統計的には事実かどうかわからないが 

独身者より、世帯を持っている人たち

の方が養う家族がいるにもかかわらず、

貯蓄や、財産が多いという。


こうした 犠牲的精神で家族のために働き、

倹約しながら貯蓄するという生活が 

クリシュナ的に言えば、神が喜び、

自然と、望みが叶う生活に連鎖する。 


親になって、愛する家族のために 働き甲斐

もでるし、家族の団欒に、

疲れも癒され、新しい気持ちでまた頑張れる

という体験は、どの親も共通だろう。


献身的な妻の効力で 負の財産を立て直したり 

投資運用で器の大きな家に

10年ごとに移り変わっている知人もいる。 


妻を養うと、自分の自由になる時間も金も減る

という人より、

夫婦一体で頑張っていると、資産は増える

ケースが多いと聞く。

 

結果を案ぜず、今与えられている仕事に

全力をつくす。 

この大切さをクリシュナは何度も語る。 


どのような結果になっても、今、全力を

尽くして出てきたのなら、

それはそれで 次の仕事や行動につながる

ことができるからだと、言う。 


私たちは 予定をたてても、その予定通りに

行かない事を多々経験している。 

様々な要素、その予定を成功させる条件、

タイミングなど、すべてを計り

うることは不可能だ。 


予定をたて、シミュレーションをたてる

ことはできても、現在意識で

考えられることはたかが知れている。


’人の意識下にある、潜在意識’が 

その人の行動を ほぼ、コントロール

しているという心理学的観方から言えば、

今、意識しているこの心の持つ

情報量は、潜在意識にためられている

1%にも満たない。 


だとすれば、今の行動の結果、働きの結果

が仮に予測できたとしても、それが 

将来にどのようにつながっていくかは

予測はできないだろう。


悪い結果が出たとしても、今の時点で、

悪く見えるのであって、時間がたてば、

その失敗のおかげでこうなったという

成果がわかるときが来るだろう。

 

今 為すべきことを一生懸命に誠意を

もって、行う大切さは 

そういうことなのだろうと感じる。


そして、人に奉仕するときは、仕事でも

ボランティアでも、

常に神に対して向き合うよう誠意を尽くすこと、

それが、クリシュナのいう、

’カルマ・ヨガ’(行動のヨガ)に通じるのだろう。

 

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