8月15日の戦没者追悼式の檀上一面に
飾られていた黄色い菊の花にちなんで
******************************* 2016・8・20
今、自然治癒力セラピー協会で
続けている"秀真(ほつま)伝え輪読会"
は早一年半を迎えている。
この頃は原文も読みながら、第15綾に入った。
以下、須田真紗子女氏の
”超古代史秀真伝 上”からの意訳を読むと、
“楠日(尊)よく聴け
菊桐(ここり)姫(ひめ)の語ることあり。
国常立尊(くにとこたちのみこと)
は千万歳の間、尽(ことごと)く
地球八面(やおもて)を巡りて、
睹(と)補(ほ)珂(か)味(み)柍(え)
微(ひ)汰(た)佲(め)の八神を生み給う。”
国常立尊(くにたちとこのみこと)
は 地球のあらゆるところを
廻って、それぞれの地を治めるべく、
ト ホ カ メ ミ エ ヒ タ メ と
それぞれ呼ばれる8神を生み、地球上
各地に配置した。
それぞれの神々は、いわゆる、古代文明の
栄えたところ、
たとえば、メソポタミアや黄河などのそうした
地域ゆかりある神たちだろうということを
姑は話していたが、15綾ではその延長線で
考えるとわかりやすい。
つまり”カ”の神が統治した、中国(現代の)
では、”くろづみこく” と呼ばれる国が秀真時代に
存在した。
その国からその国王の娘が日本に渡り 天照大神
の祖父で師でもある、玉杵(たまきね)の尊
(みこと)に 師事したと書かれているのだ。
玉杵の命(たまきねのみこと)は トの神、別名、
国狭土(くにさづちの尊)の5代継承者にあたり、
別名 豊受神(とようけのかみ)と呼ばれて
いる。
その神様は、天照大神が若かりし頃、現在の
仙台付近の多賀の宮で、天成神道(あまなるかみのみち)
を教えた神でもある。
その道は奥が深い。
天なる君として人民を統制する心構えから、
ヒトとしての道を説いたもので、
ここから、東北地方を、”みちのく”つまり、
”道奥と、呼ばれるようになったといわれる。
”カ”の国は、”華の国” と漢字で書かれ、
中華人民共和国の華もその由来からきている
のではないかと思える。
さて、このあたりを、秀真伝えでは次の
ように記述している:
“其の中の一子は玄圃積国(くろづみのくに)
を治めしむ。
玄圃積国は元「力国」に当る故、赤県神洲と
名付けり。”
さらに、
“此の時承(うけ)洲壹(すて)王(きみ)の
女(むすめ)は海を渡りて、
我が国の白山根(しらやまねの)国(くに)
に来たり、玉杵尊に良く仕えたり。
東王(ひがしのきみ)は感じ給いて、
菊桐(ここり)姫(ひめ)の妹と為して、
神仙の秘法を授(さづ)けます。”
東王とは、玉杵尊(たまきねのみこと)
をさし、白山根国には 玉杵尊の
従弟 アワナギ尊が住み、その長男
が天照大神の父上にあたるイザナギ尊である。
ココリ姫は、イザナギ尊の妹である。
玉杵尊は、海を渡って天なる道を学びに来た、
”カ” の国の王女を、ココリ姫の妹の立場を
与え、”天なる道”を授(さず)けた。
王女はその教えを受け 嬉々として、
帰国するが、再び、日本に来て、次のような相談
をする。
秀真伝意訳では次のように描写される。
“喜び帰る承洲壹王の女は、後に、崑崙(ころひん)
王(きみ)に嫁(か)して一子を生み、玄圃(くろその)
積王 (つみおう)と名付くなり。
其の後、西王母(さいおうぼ=王女が嫁いでから
の称)は再び海を渡りて来朝し、歎(なげ)きて
曰く、
「我が崑崙(ころひん)山本(やまと)国(くに)
の人々は、天成道を教えんとすれども、
遇(おろ)かにして、獣肉を嗜(たしな)み、
過半の民は穢食に堕(お)ちて、万民は日夜殀殕
(はやかれー早死)するなり。
故に、百歳や二百歳の寿命に短縮し、
稀には千歳・万歳の寿命を得る者あるも、
平均千歳を保たず。
西王母はこれを歎(なげ)きて
警(いまし)むるも、日々肉(しし)を食(く)いて
止まず、然れども支那(しな)王(ぎみ)と云う者
在りて、千代見草の如きものを尋ね求む
と云えり。
朕が心身も、この愁(うれい)話(ばなし)を
聴くも耳(みみ)垢(あか)つきて穢れたり。
よって潮(うしお)に洗い滌(すす)ぎて禊(みそぎ)
をなすなり。
寿(ことぶき)を観(み)て歓(よろこ)ぶも天道
にして、また殀(かる)を聴(き)きて、哭くも
地(つち)の理(ことわり)なり。“
現代訳にすると、
”中国の崑崙山のふもとにある、
カの国の国民は
玉杵尊から伝授された天成道
(あまなるみち)を玉杵尊
から授けられ、
戻ってきた王女を通して教えられる。
が、人民たちは、獣肉を食する
ことは、穢れ多く、短命になる
ことを学んだにもかかわらず、
改めることなく、不摂生がもとで
天命をまたず死んでいくものが
多いことを憂い、再び、
王女は来日して、嘆いた。”
寿命が短くなったといっても、
当時の人間寿命は、現代人よりはるかに
長生きである。
平均千歳というから驚きだ。
さて、天照大神は以下のように
王女の悩みに答える;
“故に朕(われ)は長寿の道を授けんと欲す、
宜しく思え。
生命は一身の宝なり。
諺(ことわざ)に云(い)う試(こころ)み
にも毒を食(くら)う勿(な)かれと。
今万人の主君も一人の生命に代る者なし。
而して時の来たらぬ殕(か)れは、
心苦しみ身(み)悩(なや)みて、神緒の縒(もつ)
れて解けず、
魂魄は天の元宮に帰らず。
齡(よわい)を保ちて天命の時来たりて、
自ら殕(か)るる者は苦しみ無くして、
楽(たのしみ)なり。
この楽を得んと欲するには、性(こころ)を養う
にあり。
性(こころ)を養う楽の種なればなり“。
現代訳では:
”それでは、長寿の道を授けよう。
命は宝であるから、毒素を出す食べ物
(穢れ、縮み、命を短縮させる食べ物~
例:四足の肉など)は とらない事。
寿命(天命)を全うして死ねない要因、つまり、
悶々とする心や体の不調は 神とつながっている
コードがもつれて解けていないからだ。
そのために、死後、魂は 本来行くべき
”天の本宮(もとみや)に帰ることが難しい。
次に 天照大神は菊の花の意義
を説く。
“それ菊花(ここなし)は期(とき)を
待ちて殕(か)るる故に、
花の匂(におい)芳(かんば)しきなり。
人の身もまた是の如し。
常に清(すが)糧(かて)・清(きよ)菜(な)を食(は)み、
寿命万歳を永らえて生命尽きる者は、
屍(おもむろ)の匂(におい)芳(かんば)しきなり。
菊花の匂の如しなり。“
意訳:
菊花は 枯れるべき時まで、
花を保ち、枯れる時に放つ、
花の香りはさわやかで香ばしい。
人も同様で、きよらかな材料
(汚染されていたり添加物がない
新しい食材)で 菜食を
中心にした食生活をしていれば、
天命は万歳に達し死んだ
あともその屍(しかばね)は
死臭なく、菊の花のような、
さわやかな芳ばしいものである。“
天照大神はさらに続けて 菊の花の
”見えざる日と月”の要素の関係を以下の
ように教示される。
“稉(うるち)は日の種にして、菜(な)は月の
種なり。
菊は日(ひ)・月(つき)を以って化生(なる)故に
清(きよき)香(かおり)あり。
人の両眼(めのたま)は
日と月に配する故に、菊を
食えば眼晴清明(めたまあきらか)
となる。
これ菊と日・月は同気を感ずるによる。
而して天成道を以ってすれば、
人と神と同気を感ずる故に、朕は常に
菊を愛(め)ずるなり。“
意訳すると、
日本のコメは 粳(うるち)と
呼ばれるが、これは陽の波動を含む。
菜っ葉は陰の波動、”うるち”
は日の陽の波動、これは、菜っ葉は月の
元が含まれ、コメには陽の波動が含まれる。
一方、菊の花はといえば 日と月の
両要素を含むという意味で、
価値ある花なのだ。食用菊は
眼に善いという。
それは ヒトの眼もまた、
菊と同様、陽と陰からなるからで、
波動の気が合うからだ。
この食生活の教えも 天成道では
大切な教えで、人と神とは
天成道を生きてこそ、同質の気
をもち交流できるので、
天照大神は 菊の花を 愛する
のである。”
(秀真伝15綾より)
菊のご紋章というように、
古来より日本の皇室と菊の花
は深い関係があったのだろう。
このようなホツマツタエの話
を読むと、天照大神がこよなく、
菊の花をめでていらしたと
いうところに、日本人が菊の花に
対して特別な想いを抱く理由が
わかる。
菊の花が、ご紋章に使われている
起源も、太古の昔のこうした
お話の伝承に関係があるのかもしれない。