自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

大日如来のルーツは、梵天

2017年11月07日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 

 仏教(密教)とヨガとタントラ 「2」 2017・11・07

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 ヨガというのは、神との合一という意味合いがあり、

それを最終ゴールとした、

古代インドから伝わる様々な方法を総称してそう呼んでいる。

だから、ハタヨガに代表される、特別な体位を取って呼吸を行う

世間一般的なイメージのヨガだけが、ヨガではなく、

何種類ものヨガがあることをこれまでお伝えしてきた。 

無料写真iインド風景 に対する画像結果

 

そのヨガの道場の一つとして知られる ガンジス河の岸辺に立つ、

ハリドワールのあるアシュラムで1週間の’沈黙の独行’をしたとき、

早朝必ず、アシュラムに集う者たちが一つの所に集まって、行う

行が、護摩法だった。


日本では仏教の、特に密教の護摩法として取り入れられ、

その薪(たきぎ)にくべられた燃え盛る火の勢いは、叡智ある火

とみなされ、薪を煩悩と捉えて煩悩を叡智の火で焼き尽くす‘

という意味合いになった。


言い換えれば、煩悩のくすぶる火種を否定するのではなく、

その火だねを、叡智の火に同化させることで、昇華、あるいは、

転換させる。

その目的は、その人自らの波動を高め天地の柱のように、永遠に

向かってそそりたつような、内に潜む自らの神性な力(大我)

に気づかせる役目を 護摩法は持っているからだ。


そもそも、インドでは、火の神はアグニと呼ばれ、私が、

そのアシュラムで行った護摩法では、アグニの力を借りて、

香木を燃やして勢いよく燃え盛った火の上に、香りを放つお香の

粉をそれにかけて、聖なるマントラを唱え、心身浄化を図った。

 

 

欲望を昇華させる護摩法だが、欲望あるからこそ、上昇志向の意欲

を人は持つことができるとも解釈できる。 


真言密教では、その考え方を受けて、‘理趣経’の一節に、

〝欲箭(せん)清浄の句、これ菩薩の位なり・・愛清浄の句、これ、

菩薩の位なり“


という言葉があるが、欲でも愛でも、それが悟りのバリアになると

したら、それに捉えられ、足をすくわれた人間の嵯峨によるのだろう。

捉えられるという執着の箍(たが)を外すべく、密教瞑想法が

生み出されたという。

 

だから、欲望はどんな欲望でも、低次元とか高次元とかという

類別は無い。

良くも悪くもないのだ

“欲こそ、菩薩の願になる”と真言密教では考えられているのは、

インドにおけるタントリズムと同様だ。 

 

先回のブログ内容に書いたように、シャクティズムというシヴァ派

のタントラの一派では、性的な体操や瞑想に加え、セックスを

神聖なものとして扱う。

まるで、それは宗教儀式の一つでもあるかのように、実際、

古代ヒンズー寺院では、その寺院に使える巫女がカーリー女神の名代と

して、信者を相手にするということもあったようだ。

 

日本の真言密教では、そこまでのタントラの教えの発展はなかった

ようだが、インドでは、カーリー神と夫シヴァ神との間の性的な力こそ、

シヴァ神の‘ 過去の破壊’ というお役目の原動力になったもの

して、深い信仰を得ているようだ。

 

 

 

仏教とヨガの共通の‘神’としての対象は?

ヨガはバラモン教時代、それが、現代にいたるとヒンズー教として

最古の瞑想法の形として今も受け継がれているが、仏教に、

大日如来と呼ばれる、‘神様’を皆様は耳にしたことがある

かもしれない。

 

真言宗では、最大の力ある神様とされて、仏壇の中にお祀りして

いるが、この大日如来の本源は、梵天(ぼんてん)と称される神様

であることをご存じだろうか? 


ヒンズー教では、梵天は天地創造の神、ブラフマンにあたる。 

三位一体といわれる、創造、維持、破壊 の三神が、ブラフマン、

ヴィシュヌ、シヴァ の三神である。 


ちなみにクリシュナ神はヴィシュヌ神の化身と言われ、仏陀も

ヴィシュヌ神の化身の1人となっている。 


ゆえに、仏教はヒンズー教の一派であるという無言の了解を

しているインド人が少なくない

もっとも、学者によっては、仏教を開いた仏陀と、ヴィシュヌ神

の生まれ変わりと信じられるブッダと同一人物ではないという

人もいる。


さて、その他にも、毘沙門天やら七福神やら、大黒様やら、

先回述べたお不動様まで、インド伝来のゆかりの神様たちが、

こうして、日本の仏教において、ヨガの行者たちが最も敬愛

する神様たちを知ってか知らずか、お祀りしていることが興味深い。

 

空海はこの大日如来が、自己のアートマ(本質的神性自我)で

あることを大覚されていて、次のような言葉を残している。


我はすなわち、法界、我はすなわち法身、我はすなわち、

大日如来・・・(‘吽(うん)字義’より)。


この空海の悟りは、何度もこのブログで引き合いに出される、

世界最古の聖典 ヴェーダの奥義と匹敵する。 


つまり、私たちは一人ひとり 何度も生まれ変わりながら、

神の資質を持った、自分の本質であるアートマ知るという

最終ゴールに到達するために、今、生きている。

そのために、体を与えられて二元の価値観に引っ張られながら、

物理的精神的に執着からくる欲望に引っ張られつつ生きて 苦悶と

闘っているのが、人間である。


同時にこの教えは 般若心経の数百文字に示されている

真理のエッセンスにも匹敵する。

 

真言宗を確立した空海の、‘真言’の意味は、サンスクリット語では 

‘mantra’マントラと呼ばれ、呪文とも訳される。


が、空海がここで、あえて、’真言‘という言葉を使ったのは、

真理の言葉、という意味合いもふくまれていたのだろう。


その意味では、般若心経は、まさに、真言であり、‘般若心経秘鍵’

で、空海は、


“真言は不思議なり、観読すれば無明を除く、一字に千里を含み、

即身に法如を証す


と書いていることからも伺い知れることかもしれない。

 

無料写真iインド神 に対する画像結果

 

コメント
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