仏教(密教)とヨガとタントラ 「4」 2017.11.23***********************************
先回のブログ仏教(密教)とヨガとタントラ「3」 の内容の終わりは
瞑想あるいは、定(じょう)についてだった。
インドでは現在でも、サマーディという言葉が生き生きと今も、
日常生活に残っている。
サマーディとは、深い瞑想の中に深淵な自分の本質、神性の大我と
一体化して悟りを得ることをさす。
自分の知人の義理の父上は長年、人里離れた洞窟に籠られて
瞑想に終始し、最終的に、”サマーディの中に、悟りを得て、
そのままの姿勢で、天界に行かれた”
という話を、聞いた。
人里から離れたその場所へ向かうために、飛行機に乗って、現地を訪れ、
その何とも言えない空気に感銘を受けた。
あちらでは、日本でいうところの座禅はヒンズー教徒にとっては日常的で
あることは確かなようだ。
一昨年、自宅でお手伝いしてくれているサントシさんとともに、
17時間かけて車で出かけたヒマラヤの麓にある修行所。
到着してそのまま、瞑想の行の時間に入ったが、彼女は、ほかの
行者たちとともに瞑想をはじめ、30分ほど、微動だにしなかった。
この現場を共有して、やはり、インドの人たちとっては、庶民でも
僧侶でも 日常の中に瞑想するという行為は、実に日常的である
ということがわかったような気がした。
日本の密教には、結跏趺坐(けっかふざ)、繁華座(はんかざ)、
薩結趺坐(さけつふざ)、などなど、何種類もその名を留める
行法があるのだが、目的によって、使い分けられてきた。
大日経 によると、‘蓮座は息災法に、吉祥座は増益法に 賢座は敬愛法に、
用いる’とあるが、現代にいたって、すでに多くの座法が名目だけに
とどまっていると聞いた。
とすれば、座法の名前はのこっていても、使われなくなり、残されている
説明が現実に、その座法を現代に復元するまでの詳細な記述がないと
いうこともある。
例えば、大日経 に吉祥座(きっしょうざ)についての記述はあるものの、
“吉祥座とは、右の脚を左の腿(もも)の上に着けるを、名付けて吉祥座
となすなり”といった程度の説明で深い意味合いがわからない。
右足を左足にどの程度の深さで付けるのか、バランスはどうであるか、
などの詳細は実地で行う場合、指導者によって、多少の違いがあっても
不思議ではないだろう。
これらの瞑想するときの座法は実は、ヴェーダのウパニシャッドに詳しく
述べられている。
たとえば、吉祥座は原語では、“svastika-a”, 牛口座は、”gomukha-a”,
蓮華座は、“Padma-a” 獅子座は、“sinha-a”, 解脱座は”mukta-a” など、
他にもいくつかの座法がインドの最古の聖典、ヴェーダの中に記述
されている。
つまり、これらの座法はヴェーダの中に述べられる真理とその真理を
摂取して、解脱することを目標としている以上、本来は、ヴェーダの
述べている真理を理解することが 瞑想で得るべき本来の智慧で
あるということでもあるのだろう。
日本における瞑想については、残念ながら私は実際に寺で体験をした
ことはないのでわからないが、メディアで伝えられる高僧や座法の意味
などを聞く限りでは、日本風瞑想観、あるいは日本仏教的瞑想法に
仏教伝来14世紀を経て、変化しているような気がしてならない。
先日、テレビで脳外科権威者と高僧との間で、瞑想で得るべきものは
何かという議論がされていた。
‘中道の精神’ ‘身心のバランス’ ‘息や体に圧力を加えず、自然体の中で
得れる無の境地’ などを得る というような結論に至っていて、
何となく聞いていてわかったようなわからないような、曖昧な表現の
多さに、ちょうど、痒いところに手が届かない、今一つの欲求不満が
残った。
その一つの理由としては、仏様の生きておられた時代の”瞑想”を念頭に
置くと、現代日本の飽食次代の”悟り”の切り口さに生ぬるさを感じたから
かもしれない。
釈迦世尊は6年間、骨と皮にやせ細るまで瞑想に自分を捧げた。
それは‘悟り’を得るためだった。
その‘悟り’の境地を得るための手段としての行法である瞑想とは、
命を賭した、
気迫の迫る、生か死かという、ギリギリのところで座禅を組まれていた
状況は、現代のインドに16年居た私にとっては、当時の生きるための
環境を考えたとき、容易に想像できる。
そのような気迫籠った座禅は、もしかしたら、すでに、現在では忘れ
去られた過去の様式になっているのかもしれない。
その当時のお釈迦様の悟りに対する、熱意と信念の一片を彷彿とさせる
ことは、現代ではなかなか、無理な話だろう。
このTV番組で語られる”座禅と悟り”、”瞑想で得るもの”という課題は、
平成の世の”平和で物質的に恵まれた時代”における、おおらかな’瞑想’の
主観が、主軸に伝わってきて、私が想像するところの、本来の瞑想との
ギャップが取り残されたような感が残ったのだと思う。
その最後の悟りを得るために、お釈迦様が、瞑想されるために籠った
岩屋を私は訪れた。
仏様は、あの、高く切り立った洞窟の中で、骨と皮にやせ細って、
それでも、黙々と観想を続けられた。
なぜ? 悟りを得るためである。
悟りとは?
それは言葉で言うにはあまりにも、単純で、しかし、深淵すぎて、心で体得
する以外に手はないものでもあるだろう。
調和とか、バランスをとる~ための、そんな、柔軟体操のようなヨガに似た
自己満足の代物ではなかったはずだ。
’悟り’を得るか、得ずば、’死を’~の覚悟で臨まれた6年間の釈迦の瞑想修行
であった。
そして、釈迦ご本人は、バラモン教、つまり、ヴェーダの中の真理を、
しかと理解されつつ、現実の肉体を持った”我が身”がそれを”具現化”
せんがための”壮絶な修行”だったはずだ。
しかし、当時にも、楽をして悟りを得んとする僧たちもいたようだ。
なぜなら、お釈迦様がこうして、身体を張って、真の悟りを開く
決意をした背景には、当時の、バラモン僧侶たちの形式だけ、
上辺だけの式典重視のバラモン教の普及があったからだ。
バラモン教の背景にある、ヴェーダ哲学の形式解釈を良しとせず、
主流勢力である僧侶団と離れて、1人で、孤独に、心の赴くままに、
生命をかけた、行を重ねられていたのだと現地を尋ね、
その岩屋を観て、私は、なぜか実感を得た。
小高い釈尊苦行の岩屋の跡地に建てられた寺院に座って(上)
その眼下に広がる草原の景色(下)
瞑想とは本来 そのような気迫せまるものであったに違いない。
自分の中を掘り下げ、さらに、掘り進み、自我を否定し、さらに、
まだ残る自分を表面に浮きだたせて、その小自我の持つ想いや識別や、
感情を捨離し、さらに、残りの一片たりとも、小自我の存在を妥協せず、
自己と向き合い、大我の自分と一体になろうとする、壮絶な自己との
闘いであったはずだ。