魂の領域はどこにある? 2023年7月8日
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前回、脳を解く意味と、具体的効果をお話した。
脳を洞窟に例えると、奥に行けばいくほど、より原始的な様相が見られる
といってもよいかもしれない。
間脳の下には中脳 があるが、網様体(もうようたい)と呼ばれるところ
に注目したい。
この組織から刺激が送られる。
それは、目覚めるための信号のようなものだといわれる。
この刺激が、大脳皮質に送られれば、新しい皮質に向かって刺激を起こし、
五感の認識、目に入る光や耳から聞こえる音、皮膚上の接触している感覚、
筋肉の収縮、さらに、内臓の違和感(例:空腹感)などを、敏感に、受け取る
ことができる。
だから、脳学者は、精神活動を支える意識の調節で、最も、大切なのは
この網膜帯であるという。
一方、古い細胞は基本的な生の欲求を支え、新しい細胞は、創造性を支え、
脳幹の働きを加えて 生きるためのバランスをとっているわけだ。
だから、
“人間が植物みたいにただ生きるだけなら、脳幹から下があればよい。
動物のように本能のままに生きるのなら、古い皮質から下があればよい。“
という、言葉が生まれた。
古代ギリシャの哲学者 アリストテレスは 人間を、植物心、動物心、
人間心を持った生き物と定義しているようだが、それも興味深い。
ところで、メンタル的には、脳幹の働きが理解されるが、ソウル(魂)的
には、頭のどこに、それは影響を受けているのだろ??
言葉を換えれば、 ”魂の領域”はどこにあるのだろう?
それを考えると、いつも思い出す、エピソードがある。
外国での実話だ。
長い歳月、意識のない植物人間と、医師や看護婦からみなされた患者が
いた。
ある時から、優しい看護師が彼の担当になった。
彼女は、来ると、反応が無い彼に向かって、絶えず話しかけていたという。
それが、きっかけだったのだろうか? その患者が、ついに、感情表現の
術をとりもどし、植物状態のままで、道具をつかって、対話ができるように
なったという話だった。
しかし、彼には、植物状態とされながらも、感情と考える力はあった、
と、後から伝えた。
だから、枕元で、繰り広げられる、職員たちの赤裸々な会話を彼は聞いて
理解もしていた。
そうした言葉に 秘かに傷ついたり、自分の意見を表現して、反応したいと
思ったときがあったという。
しかし、表情筋も、身体のどの部分も、動かすことはできなかった。
体のどこもかしこも硬直しているから、表情も固まったまま・・・
それが10年以上続いていた。
誰もが、彼のことを、身体は”生きている”ものの、心のない、精神活動が
不能な患者としか認識していなかった。
何かの拍子でいつものように、語り掛けた看護婦は、その植物人間のような、患者が自分の言葉に反応していると、感じる瞬間があった。
もしかしたら、彼の意思を伝えてきているのではないかと、看護師は、
直観した。
10年間、表情一つ変えたことのない彼に、特別な最新技術を使った、
コミュニケーション手段の器具が与えられた。
すると、それを使って、この患者が、意思疎通を開始したのだ。
こうして、今では、この患者は社会的な働きも可能になるほど回復した~
と以前、テレビのドキュメント番組で特集していた。
このエピソードは、魂の領域はどこにあるのか?という答えにヒントが
与えられているように思う。
脳ではないようだ。
身体の、どこかの機能、たとえば、心臓(ハートチャクラ)でもないようだ。
魂の所在・・・私はこれは脳をどんなに 医学的に、分析しても分からない
のだと思った。
脳を検査して、データをかき集めても、魂と脳との直接的関係は、出て
こない。
もし、それが可能ならば、10年間という歳月を待たずに、脳のデータで、
何らかの処置がとられたと思う。
それでは、どこに、魂はあるのか?
覚者は言う。”それは、人間の身体を、覆っているように、存在している
大きな、エネルギー態こそが、それである”と。
私たちの体に、かぶさるように存在している魂の領域は、どんなに肉体が
変化しても決して変わらるものではないという。
だからこそ、身体は植物化していても、魂としての彼の人格は、うずもれる
ようにして、生き続けていたといえるだろう。
そして、また、だからこそ、死んでも、ヒトが生き続けるという意味が
わかる。
輪廻転生という考え方も、魂は個性として持続し、意識を持ったまま、次
の”世”に引き継がれる、というのも、筋が通る。
そして、さらに、ヒトは、身体次元という三次元の物質的存在ではなく、
魂という、数次元の幅をもった、存在で、目には不可視の科学的立証
(生まれ変わり)の事実を裏付け、死に対する恐れを一掃して、生きる
勇気を与えてくれる、考え方だと思う。