本当は、”幸せな自分”こそ、あなた自身なのですから 2024年4月18日
***************************
心身健康のときは、幸せ感があります。
反対に、幸せ感があれば、心身は健康に導かれます。
あなたは、幸せですか?
”幸せ”は、人と比較したりして頭で考えて、出す結論ではないですよね。
人によって、幸せ感は、異なることでしょう。
幸せという表現は、本当に、曖昧です。
前回まで、”自由”って?を考えて、ブログに書いてきました。
その理由は、”本当の自由が、幸せをもたらす”と聞いたことがある
からです。
確かに、人間関係がぎくしゃくしていれば、誤解や、相手の考えが気に
なって、心はそれにとらわれます。
何かにとらわれていれば、自由ではありません。
これが無ければ、この人がいなければ、幸せでない・・というのも
皮肉で、”これ”が見つかり、”この人”が、いたとしても、その結果が
必ずしも、幸せの条件にはならないのが世の中の常です。
ということは、”幸せ”って、こうでなければ、幸せではない、という条件
付きではなく、どんな条件下のもとでも、心が、満たされていること
をいうのでしょう。
常に無条件でも、幸せな自分になれる?
覚者は答えます;
”はい、幸せを求め続けているのなら、今の中にある、それに気が付かない
だけのことなのです。”
これは、メーテルリンクの“青い鳥”の童話(*1)の中のお話と同じです。
幸せの青い鳥は、自分の家にすでにいたというお話です。
幸せに”気が付かない”というより、”いろいろ問題を抱えている”と考え
ているのは、”錯覚ボート”に乗っているからだと、覚者は、さらに、
言います。
誰でも、”錯覚”しながら生きている。自分のそのままで、幸せだという
ことに気が付かないのは、、’小さなエゴ意識(アハンカーラ)’と、生まれ
持って生まれたの気性(サンスカーラ)のためだというのです。
”本当の純粋な自分”を、サンスクリット語で、”アートマ” と呼びます。
日本語では、生まれつき誰の心にも存在する、”仏性” のことです。
エゴ意識は、自分を、肉体に属していると思わせ、身体の五感感覚に
したがって、感情を揺り動かして、常に、頭(脳)をフル回転にして
そこで、考えたことや悩んでいることが、”自分自身”と、思わせます。
サンスカーラは、過去生の何万年以上にもわたり、この世に生まれ、
培ってきた自分自身の、キャラクターのことで、短気とか、疑り深い
とか、もちろん長所も含まれますが、明らかに、人とは、違う、個性を
創り上げている要素です。
この二つが、アートマという魂の純粋性を、隠してしまっています。
さて、話は少し、飛びますが、インド在住のとき、師のところへ
度々、足を運びました。
師から、”あなたは誰ですか?”と、聞かれたことが
あります。
”自分の名前” を答えると、却下されました。
なぜなら、自分の名前は、この肉体を持った時に、付けられたもの。
この肉体の分別のためのもので、本当の私とは異なるからです。
師は、こう続けました:
“自分の肉体の定義をしてみなさい。
この肉体が自分だと思う理由も、考えてみなさい。
肉体を構成している材料は、宇宙に存在する物質なのに、
どうして、それらは’あなた’だと、いえるのかね?
あなたは、その’物質’の構成された肉体に住む、アートマ。
その物質は、あなたではない。
だから、’あなたは誰か?’ の答えは、’アートマ’なのだ。”
“自分はこの肉体の中にある” と思う人は、少なくないでしょう。
心臓に、太陽神経チャクラに、もしくは、脳の中に’自分’
がいるから、この肉体が自分だ” というわけです。
それも否定できないのですが、魂の自分(アートマ)の純粋性
と、その純粋性の中にいることで、湧き上がる、愛とか、祝福感
とかが、何も物質的条件なしに、人を本当に、幸福に感じさせる
としたら?
その純粋性を求めたほうが、はるかに、幸福への近道だと
思うのですが・・・
次回に続きます
************
(*1)幸福の青い鳥はどこだろう?
クリスマスの前夜、妖女に言いつかって青い鳥を探しに出た兄妹、
チルチルとミチルの夢と冒険の物語。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます