自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

超越意識と病の超越

2020年05月05日 | 健康と直結する”一元論”について

形而上学的に見る 病の本質        2020・5・5

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薬は不思議である。 

薬がないと不安で仕方がない人たちがいる一方、

薬を飲むことに苦痛を感じる人もいる。 

この薬が絶対、今の症状に効くから、と信じて飲めば、

本当に効く。

 

たとえそれが薬袋に入ったまがい物、例えば小麦粉を丸めた物

だったとしてもだ。 

それが有名な、薬のブラシーボ効果だが、飲めば治るという信念が、

実際そうさせていることを科学的に証明したものだ。

 

病は気から、とか、イワシの頭も信心云々、とかいう慣用句があるが、

確かに、精神作用の大きさが薬の効き具合と比例するようだ。

 

一方、私は、極端の薬恐怖症者だ。 

乳幼児の頃や母親に何やら甘いシロップ状の薬を飲んだ記憶以外に、

薬は飲んだことはない。

 

10代のころ、生まれつきのアトピー性湿疹が”おじいちゃん”とあだ名を

つけられるほど、頭、おでこ、首、手脚の皮膚をカサカサにさせて、

さすが娘心に何とかしたいと想い、軟膏を新宿中央病院からもらって

何年か、つけていたが、谷口雅春師の言葉を17歳で読みその薬も捨てた。

 

お産した直後、薬が出たが飲まなかった。

30代で、腫瘍摘出手術をしたあと、翌日から抗生剤か痛み止めか

よくわからなかったが、飲むようにと出された薬も、飲めなかった。

 

勿論、風邪薬は飲んだことはないし、40度の熱が出て 身体の随所に

膿をもつほどおできができたときも、”有り難い、これで細菌が死ぬ”

とばかり 医者にかかることなく、解熱剤飲むことなく、10日間あまり、

その状態を甘受した。

 

息子が生まれ、初めて種痘の予防接種を受けて、私の恐れの念が反映してか、

高熱をだし川崎病と診断された時は、町医者から病院を紹介されたが、

セラピーで切り抜け、それ以後は、予防接種をしに行くことはなかった。 

 

インフラが整っていなかったインドの地で合計10年余り、息子も共に過ごしたが、

デング熱や コレラになったが薬を取ることなく免疫をつけて治した。

 

こうした西洋医学療法に対する私の頑固な拒否的態度は、どこから来ているか?

それは、自分の生命力を信じることで体が根本から改善されていくという

自らの臨床的体験からだった。

 

現代西洋医学の薬をとれば、それは対症療法だから、一時的に症状は改善され、

楽になるだろうが、体の根本の体質は変わることはないということ。 

一方、体が自力で自然治癒力を発動して症状を改善したときは、

蛹(さなぎ)が蝶々になるように、その時々で、体自体が変容していくのである。

 

体が変容すれば、精神も変容する。 

心身一体だからだ。 自分の体の主人公は”わたし”という精神性であることを、

そのたびに、強固に自覚できていく。 こうして、体は意識によって変革され得る

という事実を体験してきた。

 

現代西洋学は、解剖学から始まった。

言い変えれば、”死体”を切り刻み、生命のない人間の肉体から発達していった。 

だから、(生命を無視し)体の器官を機械のパーツのように分解して考える。

人間の体の有機的結びつきや 臓器や器官の関連性がなかなか、わかりずらい。 

一方、東洋医学は、生きた体から始まる。 そこには根底に”生命力”の流れを

第一義に考えるから、有機的繋がりや心身の関連性が大切な要素になる。

 

気功でもカンポウでも、アユールベーダでも、整体でも、すべて、生命力、

プラーナの流れが重要な診断の鍵となっている。

 

これからご紹介する著書はキリスト教の宣教者の御本(*1)である。

 

そこに書かれている”薬と身体”、”病と癒”しの考え方は、私が抱くそれと

一致している。 

その根底には、徹底的な生命主義、一元論的哲学、人間の本質的な性質である、

神性論を含めて、自然治癒力セラピー協会が提唱する”生命力”の復元の有り方が 

著者の深い信仰と重なって説かれている。

 

それを今日からすこしずつ、ご紹介させていただきたい。

 

”Christian Science “ 創始者、マサチューセッツ形而上学大学学長で、

ボストン市所在第一科学者キリスト協会名誉牧師の メリー・ベーカー・エディ

女史が残した、“Science and Health with Key to the Scriptures”,

(邦題:”科学と健康“)から、引用させていただく。

 

先回のブログで“キリスト意識”について書いた。 

ヨガナンダ師が述べているように、“キリスト意識”はキリスト教信者だけに

備わっている狭い意味のものではなく、誰もが持っているキリスト

(神の子)の意識、いいかえれば、人間の仏性や神性という、神の資質に

限りなく近い意識を”キリスト意識”と定義する。

 

これからご紹介する文章の中で女史が使っているキリストという言葉も、

そういう意味として読んでいただくと、理解しやすいと思う。

 

まず、女史がどのように病を捉えているか、を、アトランダムに著書から

抜粋してみたい。

 

① *病の原因は神聖なる科学におけるキリストによって、

抹殺されなければならない。 

もしそうでなければ、いわゆる、肉体的感覚(physical sense)が

勝利するだろう。

 

② もし、病気が実在するならば、それは不滅性(immortality)に

属することになる。

つまり、もし病気が真に本当にあるのなら、それは真実の一部で

あるということだ。

そこで薬剤を用いたにせよそうでないにせよ、なぜ、病(真理の状態)を

打破しようと試みるのだろう? 

 

しかし、もし病気や罪が幻想であるのなら、この滅ぶぺき夢、つまり、

幻想(顛倒妄想)から目覚めることが、真の健康と私たちの本質である

清らかさや不滅性に導くのである。

 

③ 聖典によれば、病人は決して薬剤や衛生学、その他いかなる

物質的療法によっても、本当に癒されることはない。これらの方法は、

問題の矛先をそらし、子供が快適に眠れるよう甘いシロップを与え、

恐怖を鎮める鎮静的な一時的役目をするにほかならない。

 

④ 病(症状)が消えると、また再発するかもしれないのに、私たちや

癒されたと思う。しかし本当に癒されたと言うのには、病気が再発する

状態が根こそぎ、取り除かれるまでは早い。

 

⑤ その取り除かれる原因こそ、病を創りだしている要因である、

“滅びる心(mortal mind,)すなわち超越意識より離れたふらふらした心である。

(引用以上)

 

次回から一つずつ詳しく見て行きたい。

 

 

 

(*1)、“Science and Health with Key to the Scriptures”,

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