デザイナーブランドを身につけたくなる背景
平成25年11月3日
***** Part 1: モノと消費者心理
日本人観光客がパリのブランドショップ、
ルイヴィトンの店を 蟻が砂糖に群がるように、
買いあさる姿を 呆れ顔で見ているフランス人に
感想を聞いたことがあります。
逆にこう聞かれました。
”どうして、あんなに日本人はブランドバッグが
好きなのですか?”
以前、パリに,数回訪れての 楽しみは、
道端のカフェーで通り過ぎる人達の風情を
眺めること・・
誰ひとりとして、デザイナーブランドとわかる
アイタムを身に着けて装った人はいない代わりに、
独自の個性的ファションを 色合いや一点の小物
で演出している彼らの服装は、
一般的な日本人観光客の服装より はるかに
質素でした。
”母の代からのお古” でも、現代的に自分らしく
着こなす技(テクニック)は、
”母のお気に入りを、色々な懐かしい思い出とともに、
私なりに楽しんで、着ているから
自分らしく さりげなく
フィットしているんでは?”
ということでした。
”超越的意識に突入して” 本当の自分を探す
というのが 今日のブログのテーマですが、
日常のファッション一つとっても、どこか共通する
テーマのような気がします。
つまり、服に着られているか、着こなしているか?
それは ”自分自身の本当の自信”と 繋がっている
かどうかの違いだと思うのです。
それではこれから本題です・・・・・
テレビのコマーシャルに登場するタレントさんや
役者さんたちはその製品の顔でもあります。
ある家庭的なイメージのH氏は、大手家電の
コマーシャルの顔でしたが、イメージ重視から、
離婚問題が浮上して、ほかのホームドラマで
活躍する俳優が、代わりました。
何故か、ホームセキュリティー会社の顔は、どこも
スポーツ関係の選手で、”あなたの大切な家を守る”
というイメージが 規律ある、厳しいスポーツ界で
鍛えられたパーソナリティ―達の登場で、安心感
と重なるようです。
こうした広告の主眼は、その顔になる有名人が
商品を宣伝することで その会社の認知度を高める
とともに、”製品を使いたい” という願望を購買者に
抱かせることにありますが・・
その背景にある心理的効果は
”その有名人のイメージに裏づけされた商品を
自分のものにすれば、そのイメージのように、
生活が元気に魅力的になれる”
と、消費者の潜在意識への働きかけといいます。
ただ 製品の性能が良いとか、
機能性があるとか 優秀であるとかいう、現実的利点
のみならず、いかに、消費者の”自己満足”願望を
刺激するかどうかが 大切だというのです。
消費者の自己満足を満たすということはどういうこと?
それは、その人のアイデンティティーが その商品によって、
”快く強化されたという錯覚”を持たせることです。
錯覚に過ぎませんが、それでも、大きな満足を与えることは
確かなようです。
その良い例が、デザイナーのオートクチュールの
商品です。
”このデザイナーは、女優オードリーのお気に入りだった。”
と聞けば、どんなに高価でも、そのデザイナーの服を
手に入れたいというセレブな顧客が必ずいるでしょう。
何故 手に入れたいかといえば、
その服を身につければ、きっと、オードリー・ヘップバーン
のように ”際立った自分の良さ”が ”引き出される”に
違いないと想うからでしょう。
これが 快い、自分のアイデンティティーの強化の一つです。
売る方は、”お似合いです” ”さすが、着こなしていらっしゃる”
という言葉でその人の、錯覚を後押しすれば
”自分は このデザイナーの服に選ばれた特別な
アイデンティティーの持ち主” と、レッテルを貼られた気分で
消費者は、財布のひもがゆるむのかもしれません。
”その服の名誉あるデザイナー”と
その服に”世間がつけた評価”を 自分 が ”身に着ける”
という、大きな意義に対して、高価な値段の代償も惜しくは
ないわけです。
この例は、生活とは、かけ離れて 日常生活とは関係ない
と思われるかもしれません。
が、私たちの 資本主義自由経済を支えるのは、
セレブの購買欲と本質には変わらない、”自由な購買意欲”
という意味では、共通性があるように思います。
”阿部ノミクス” の計画では、日本経済活性化を図るために
消費者の財布を如何にゆるめさせるか?
購買欲をどう引き出すか?ということに主眼の一つが
あるらしい。
そのためか、大手企業は、コマーシャルに、景気の向上
とともに熱を入れているようだ。
私たちがショッピングを楽しむ時も、
デザイナー服の付加価値に惹かれるのと同様、
単なるその商品の性能だけが 基準になるとは
いえません。
どんな商品にも付加価値があるからです。
私たちは無意識に セㇾヴがデザイナーの
社会的認知度を判断するように
予算内で、最も好ましいイメージのある商品を購買
するでしょう。
付加価値がどのくらい、”心地良い自己意識の強化”
に影響を与えるか、消費者は見分けているのです。
心地良い自己意識 の強化とは?
そのモノに、隠されているイメージによって、
”無意識の優越感”や 自分のアイデンティティーが
より ”高まって、活性化した”ような錯覚になり、
好ましい自分への意識が、強化されると錯覚する
でしょう 。
一時的ではあっても、誰でも欲しいものをゲット
すると、うきうき楽しい気分を味わうだろうのは
そのためです。
例えば、指輪。 パワーストーンの入った箱を店員から
受け取った瞬間、まだ指につけてもいないのに、
意識が高揚するのは、
”その石のパワーによるのでなく、石を付けることで
自分がパワーアップするという予想” に
すでに、ワクワクさせられるのでしょう。
これも一つの イメージ、付加価値の効用です。
だからこそ、企業イメージや、商品のコマーシャルタレント
イメージが、付加価値と直結して商品を魅力的に印象づける
のです。
モノを購買するということは、
商品の付加価値として、自分へのアイデンティティー
を強調するという 消費者のメンタリティーが隠されている
わけです。
人は少しでも、好ましい、明るい、健全で幸運なイメージ
をモノから得たいと思い、そのイメージにあったものを
みつけようと、購買欲をそそられています。
新色の口紅のシリーズが毎年発表され 好ましい女優が
笑顔でそれを付けているのを見ると、購買意欲を
そそられるのは 何故かといえば・・
それをつけてハッピーになれそうという心理、
春らしい、軽快な楽しさを、ちょっと味わいたくなる
からでしょう。
”もう春ですもの!” なんていう コピーも後押しして、
何となくワクワク、そわそわしてくるのです。
。
Part 2: モノとエゴ意識の関係
車でも スマートフォーンでも、雑貨でも
どんな モノ を購買するにせよ
その”モノ” によって、自分自身を、より
自分自身らしく見せたい、あるいは、
まだ未知の魅力を表現したい、という欲求が、
購買者の潜在意識にあるのです。
それは、自分(小我) と ”好ましく思える
そのモノ” の持つイメージと 同一化を
はかる一つの手段ともいえるかもしれません。
人が求めるイメージの対象となるモノは、
進んでいる、高級な、セレブな、一流、
格式が高い 最新流行、などのイメージを
すでに 社会から宣伝などを通じて、
獲得している場合が多いようです。
それを消費者が購買したくなるのは、
その良いイメージの どれかが 自分
の求めている感覚にあって、生活や
自身を向上させてくれる
錯覚をおこさせるからです。
だからこそ、より良いものを、より多く
自分にひきつけたいという思いは、
新商品が開発するたびに、
興味がそそがれ、こうして、
物質的執着のサイクルが
生まれるのでしょう。
それが消費社会を形成する要因でも
あります。
一方、違う面(スピリチュアルな角度)で
見るのならある意味、こうしたサイクルに
乗った人達は、消費社会の犠牲者
といえるかもしれません。
なぜなら、このサイクルに一度のると、
満足は一時的ですから、常に、新しい
商品を探し、求め、買い続けることで、
新たな、満足を求めることに
なるからです。
人は 本当の自分と繋がっていない時、
不安感を本能的に感じているもの。
もっと、高次元の意識の自分に繋がるため、
モノを通じてサポートしてくれもらえる、
あるいは、穴埋めしてくれる、という、
感覚を持つから、購買欲
になります。
幸せの小道具を、自分の外の世界から引き込む~
わけです。
欲しいエネルギー(社会が与えたイメージ)
を持つ対象品を購買して吸収することで、
本物の自己と繋がっていない不足のエネルギー
を得れると勘違いして、モノへの執着欲は、
とどめがないと、いえるかもしれません。
モノに満ち溢れている 日本。
モノについて回る、社会的レッテルを得ることで
自分のアイデンティティーを強化しようと
あがいている人達。
自分の本当の自己らしさ、アイデンティティーを
知ろうとせず、唯物感の蔓延した空気の中で
活き活きと 自分の内面を見つめて、
”今” を生きる術を忘れ、外に求める人達。
人のつくった”観念”の中で 自分の個性を
埋没することに なんの痛みも感じなく
なるほど、真の自分の感性を、麻痺させよう
としている人たち。
感性が麻痺しないため、消費社会に漂い、
物質を求め、
サービスを買い、名誉すら、購買しよう
とする人たち。
それらは、物のイメージのレッテルを、
自分の外側に貼ろうとしているのに、
過ぎない~と気づいたとき、
人は内面に目を向けるのでしょう。
生き生きと輝くためには、自分自身に
なるために物のレッテルの力を借りる
必要はない気が付くまで。
本来の自分の中にすべてはもう
あるのだから~と
自覚するまで。
”もの”と健全な関係を持っているか
どうか、次の質問がその指標になるでしょう。
”私のモノ” ”私が買った権利[不可視なモノ]
とあなたが言う時、
1) そのモノはあなたの自尊心を
満足させていますか?
2) そのモノはあなたのプライドと高めて
いるように思いますか?
3) そのモノを使う時、あなたを他者より、
セレブな世界にいるような気持ちに
させていますか?
4) そのモノは、重要人物だとあなたを
感じさせてくれますか?
5) そのモノがあなたに欠けているとき、
あなたはそれを持っている人より
劣等感を感じますか?
複数の質問に、”イエス”ならば、モノと
あなたはかなり強く結ばれていることに
なります。
人が自分自身に自信が持てないとき、
隠れ蓑として、ブランド品や高価な
デザイナーの名前を
身近に置いておきたいのと同様、
本当の自分と繋がれない時、エネルギー
の涸渇を人はモノから補おうとして
いるかもしれません。
”自分の アイデンティティー(自分らしさ)を
モノのイメージや、外のイメージを借りる
ことなく、確立しているだろうか?
あるいは、そのように、
生きたいと思っているかどうか?”
という 質問に
”イエス” と答えられた人が
超越意識探究の入り口にすでに立っている
と言える
のかもしれません。
エゴ(小我)から大我(超越意識の自分)に
向かっていくとき、
物質から得られた、自分の小我(エゴ)に
今まで 貼り付けてきたレッテルの意味を
考え始めます。
必要のないレッテルを、少しずつ、そぎ落として
いくごとに、自分らしさが 現れてくると同時に
賢い消費者になるような気がします。
ファッションの事ではないのですが、今まで生きる為に、
良いと言われる薬を求め、良い治療法を求め、良いと言われ
る病院の先生を求め高価な薬も使い・・・治す方法を外に求めれば求めるほどに、尽きる事のない様々な問題や、不安感で
本当に苦しい日々を送っていました。
でも、治す力は外からではなく、本来の自分の中にすべてある
事を教えていただき、心から感じる事が出来た時から・・・
すべてが本当に良い方向に向かってきていることを感じています。
これからもその心を…本来の自分見つめ、高め、本当の意味で
良くなって行きたいと願っています。