自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

時は春:雑草の教える”安心感”とは?

2017年04月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

甲斐信枝さんの世界:自然の摂理が安心を産み、取り越し苦労もなくなる話   2017・4・30

****************************************

 時は4月下旬。

五月に入れば、初夏の香りが空気に漂い始めるだろう。

朝、野草の花が愛犬との散歩で通るいつもの、路地の

片隅や原っぱに満開だ。線路わきにたくさんのタンポポ

の花が黄色の帽子を風に揺らせている。

そのそばには名前も知らない種類の雑草がピンクや薄紫

の可憐な花を咲かせている。

 

ヨモギの葉に似た野草にポピーの花のような薄橙色の花が

スーッと伸びた茎と一緒に仲間たちと風になびいている。

これまで、雑草といえば、抜かれる草 ぐらい程度の意識

しか持たなかったが絵本作家、甲斐信枝さんのNHKの特集

(*注)を観て、野草や雑草への感じ方がすっかり変わった。

 

タンポポと一口にいっても、地べたを這うような背の低い

ものから30センチ以上の背の高いものまであると思っていたが、

背の高いのは のげし というようだ。 

家のヴェランダの鉢にも、いろいろな雑草の葉が3月ごろから、

顔を出していたが、そのままにしておいた。

 

以前は、お構いなしに、引っこ抜いていたが、この春はこれが

花をつけるまで待ってみようという気持ちになった。

そして、今、鉢に植えられた主人公の植木のそばで、調和して、

可憐な花を咲かせてくれている。

 

中でもお気に入りの雑草を見つけた。

雑草といえるのかどうか?、春のオダマキ という名前の花。

源義経の愛人だった静御前が しずやしず、はるのオダマキ・・ 

と歌いながら舞をまったその歌詞の中の オダマキ、らしい。

そんな話がぴったりと来る、風情がある趣(おもむき)だ。

1cほどの、渋い紫の花弁が6枚ほど、それが何重にも巻いて、

花の中心には黄色のめしべが小さな花のように顔をだしている。

 

遠目でみると、花全体が、かわいらしいエネルギーの渦の

ように見える。 いつの間にかあっちのポット、こっちのポット

の隅に葉っぱが出ていたが、いつの間にか、こんなきれいな花

が咲いて 春のオダマキ だと知ったときは嬉しかった。

 

野草の根っこは害虫がよりつかないようだ。

根切り虫と呼んでいる、カブトムシの幼虫のような白い虫、

土の中で植物の根っこを食い、これまでにも、いくつもの

花を枯らした。先日 ポットに肥料を与えるので土をほじくった

が、タンポポの生えている鉢にはこの虫は生息しておらず、

雑草の生えていない鉢には、丸まって何匹もうずくまっていた。 

 

野草の根っこには 防虫的役目があるのかもしれない。

だからこそ、野草の繁殖力は半端ではないのだろう。 

あっという間にさら地になった土は、野草でおおわれていく。

 

さて、こんなお話をしているのは、甲斐さんが、NHKの

特集番組(*注)の中で語った言葉がとても印象に残った

からだ。甲斐さんは順風満帆で絵本作家の地位を築いたのかと

思いきや、火事で、家を焼いたと番組で話していた。 

 

火事で、それまで時間をかけて、書きためていた原稿や大事な

野草のスケッチは すべて、燃えてしまったという。 

その時、気力が低下していた甲斐さんを奮い立たせ、勇気を

与えてくれて、人生観すら変えてしまった”きっかけ”があった。

 

”本当に人生観が変わったのです。”と笑顔で言う。

それは、野草の声だった。 いつものように、原っぱにスケッチ

に出かけた甲斐さんに、野草たちが声なき声でメッセージを

くれたという。

 

“私たちはいつも安心しています。 

時の流れの中には、私たちの生命が奪われてなくなることも

あります。

でも、安心しています。必ず、時がたてば、その種や生き残った草が

また、復活して多くの仲間たちを増やして

いくということを知っているからです。生きることは安心です”

 

大丈夫、甲斐さん、火事ですべて失っても、必ず、貴方は

私たちと同様、復活を遂げますから、もっと、繁栄できるのです

から。~ という声なき励ましであったに違いない。

たぶんこんな意味の内容だったと思う。

 

安心、そうだ。 安心しています~と言葉に出して言える心境

とほど遠い日常生活を送っていることに気が付いた。

いつも、心の奥の方で、これから遭遇するかもしれない何か

に怯え、心配し、取り越し苦労をしがちな私たちの心。

 

友人知人に、心配ごとを話して、最後に、大丈夫、安心して

ください~と慰められても、”はい、そうですか”~と簡単に

割り切れるものでもない。

 

だから、雑草はすごいなあと思う。 

甲斐さんに語り掛けた言葉は、本当に説得力があったのだろう。

 

彼らは、花屋さんに並ぶ程の価値のタグを着けていないし、

周りの人間から、肥料を与えてもらうほど手を加えて育て

られる存在でもないだろう。 

でも、本当に楽しそうに、愉快そうに、花を咲かせ、春の歌

でもくちずさんでいるかのようだ。

そんな雑草を見る甲斐さんの目も 一緒に輝く。

 

キャベツの葉の上に転がる一筋の露(つゆ)の七色の光に、

宝物を発見したかのように感激している。 

自然は、そして、そこに自生する野草や雑草は、軽やかで、

自然体で人に可憐さを見せびらかすとかひけらかすとか、

余計な気持ちはさらさらない、。

ましてや、隣に咲いている花と、その美で競い合うとか、

花瓶に生けられ人目に公然とみてもらうかどうかなんて、

そんなことはどうでもいいのだ。

 

彼らは、生きていることだけで、幸せ。今ここが晴れ舞台、

存在の充実感を謳歌している。さすがに、雑草むしりをする、

人間の手にはかなわない。 鎌で切り取られたらおしまい・・

ところが、必ず、どこかでまた、復活する。そして群生する。

 

今、すべて失ったようなときでも、生きている限り、”安心” 

を忘れないで。 心に余裕をもってね、事態は きっと、時

とともによくなるほかないのだから・・・それが自然の摂理

だから・・・

 

小さな野のスミレや ヒメジョオンの白と薄ピンクの小菊の風情、

クローバーや三つ葉の小さな花々、ぺんぺん草にもかわいい花が

付くことを知った。生命力の逞しさと、自分たちが生き残って

いくという信念は、彼らの厳しい生き延びていく条件の中で、

引き継がれてきた、心の礎(いしずえ) なのだろう。

言い換えれば、それが 安心。

 

私たちも、ついつい苦しいとあがいてしまいがちだが、彼らの

ような 安心という言葉を時には、心に呟いて、深呼吸して

みたら、きっと、青空が大きく広がっていることや

ぽっかり浮かんだ雲の存在に気づいたりして、野草の気持ち

と少し、一体感を味わえるかもしれない。

 

 

 

注*:

NHKドキュメンタリー - 足元の小宇宙 絵本作家と見つける …

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3035/2345010

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 形而上的癒しと 悟りの関係:... | トップ | 次世代のために、納豆を賢く選ぶ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然治癒力・生命力・発揮する考え方」カテゴリの最新記事