自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

池見先生(心療内科創始者)、厳しい”生きがい論”ですね!

2024年07月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方





2024年7月22日 病と生きがいの関係

さて、先週に引き続いて、心療内科の創始者の
池見博士のお話です。
今日から、博士が提唱する、健康になるための、自分で
できる療法”セルフ・コントロール”のお話です。


ところで、”セルフ・コントロールのセルフ”とは
何でしょう??

セルフ の意味がはっきりしていなくて、セルフコントロール
の意味が曖昧です。

もともと、医学的には、”現代社会のストレスを乗り越え”
”心身両面で社会復帰への適応能力の回復をはかる”ことが、
セルフ・コントロールの一般的目的とされています。

適応?
それに関して、現代風の一般的解釈を、次のように
博士は、述べています

”(セルフの意味の答えがないままに)適応といい、セルフ・
コントロールといわれるものの正体は、’人がするからおれもする’
・・・といった具合に、ただヤミクモに外的なものに追従し
調子を合わせることのようである”

と世間的な’適応’の意味を書いたうえで、続けて、

”(外的なものに追従するだけで)自分自身になる勇気もなくて、
他人がどう思うかだけで、自分を評価するようになった人間は、
まったく本来性を失って、存在していることになる”

というアメリカの社会教育学者リースマンの意見を紹介してます


’自分自身になる’ とか、’本来性’とか言う言葉が、博士のいう
セルフの意味と関係があるようです。

とはいっても、現実をみると、理想通りにはいかないことも
認めている博士です。

”しかし、世間なみの文化生活とやらができ、富や地位が
身についてくると、自分がヌケガラになっていることにさえ
気が付かなくなるようである。

われわれの ’世間の子’ としての生活の中では、現実に
妥協して、外的な適応をうまくやることで、一応、小市民的な
安定が得られる。

セルフ(本来の自己との触れ合いを深めるなどという、面倒な
回り道をしないこと、ウエットな人間性をすり落していくこと
現代のエリートになるために必要な条件とさえいえる”


つまり、世間の子と呼ばれる自分とセルフと呼ばれる自分は
対照的な位置にあるようです。
世間的に満足が行く方向に進むほど、自分本来の’セルフ’を
置き去りにしていることが多いからです。

私たちの多くは、両方の自分をうまく、調整しながら生きてい
ます。
が、なかには、セルフが失われていくことに対して、虚無感
や社会への憤り、自分自身を批判することも出てきます。

’本来の自分’を置き去りにしていることで、阻害感や喪失感
といった、敏感な反応を示す人も 沢山います。


そうした喪失感を、一時的に紛らわせ、吹き飛ばすための
手段として、池見博士が挙げているのは

”動物的な本能を刺激する俗悪な映画、LSD(麻薬ではないが、
幻覚を引き起こす化合物)、流行歌手、競馬や競輪、テレビ”

そして、私が、冒頭のタイトルに書いたように、”厳しい”と
感じたもう一つの、気の紛らわし方法も、付け加えておきます。

”深い茶の心や花の心などは、教えなくても、中年婦人の欲求
不満のはけ口になる、婦人文化サークル”。

このあたりの評価に、私は、池見博士の求道者としての心を
垣間見ます。

私も、厳密には同意見です。
婦人文化サークルの、欲求不満のはけ口・・深い茶の湯の心や、
華道の心を教えることなしに・・自己満足的な範囲で留まる
カルチャーセンターの講義など・・・


池見博士の、セルフの追究は、真剣です。
心を内側に向けることで本来の自分”セルフ”と向き合っていく
という姿勢が、中途半端ではないから、こうした、きつい言葉
も生まれるのでしょう。

上にあげた、こうした諸々の余暇活動は、心を、むしろ、外側
に向けて、いっときの、理由のない欲求不満や、無駄に時間を
使っていないという言い訳の一端を担っているからでしょう。







引用箇所;”セルフ・コントロールの医学” 池見酉次郎
s・57年9月1日 日本放送出版協会


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