自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

宇宙に飛び出し感じること、それは、合気道や池見博士のいう、セルフ の自覚

2024年07月28日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


地球に向かう宇宙船の中で エドは 深い絶望感に 
打ちひしがれる。
彼の言葉を引用する。
 
“ 真理がわかったという喜びにつつまれていた。
今、自分は神と一体であるという、一体感が如実にあった。

それからしばらくして、、今度はたとえようもないほど
深く暗い絶望感に襲われた。

感動が収まって、想いが現実の人間の姿に及んだ時、
神とスピリチュアルな意味で一体であるべき人間が、
現実にあまりにも あさましい存在の 在り方をして
いることを思い起こさずにはいられなかった。

現実の人間は、エゴのかたまりである。
さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などに
とらわれて生きている。

自分のスピリチュアルな本質などは、すっかり忘れて
生きている。

そして、総体としての人類は、まるで狂った
ブタの群れが暴走して崖の上から、海に飛び込んでいく
ところであるように行動している。

自分たちが集団自殺しつつあるということにすら、
気づかないほど、愚かなのだ。“(以上引用)
 
そう考えながら、エドは絶望していく。

地球に戻り、彼は、この至福感と絶望感の 極端から
極端といえる感覚の波の狭間に揺れた体験を基に、
真理の確信への努力に励む。

もっと、大きな法則をみつけようと様々な哲学書や
宗教書を読み漁り、ついに、宇宙で味わった神との一体感は 
特定の神ではなく、キリスト教を越えた神であることを知る。

と同時に、宗教が 組織化された場合の矛盾 について、
エドは次のように述べる。
 
“ 宗教は、教団として組織化されることから生じた、
真理の道の踏み外しがある。

すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理を掴んだ
指導者の教えに始まる。

しかし、信者は、その教えの本質を十分に理解しない。

 各宗教の教祖となったような人々は、イエス、ブッダ、
モーゼ、モハメッドにしても、あるいは、ゾロアスター
や老子にしてもみな、人間の自意識の束縛から脱して、
スピリチュアル・ワンネス(筆者:精神的同一体)に
触れた人々なのだ。

だから、彼らはみな、同時に超能力者でもあった。
彼らは奇跡を起こした。 ・・略・・

しかし、その教えを受けて、追随した人々のほうは、
自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられた
真理をそこまでの深みまで理解把握していない。

だから、指導者が世を去ると、信者集団はスピリチュアル
な道理から、人間的自意識の側に引き戻されてしまう。

そして、教団が組織され、教団全体として、ますます
原初の真理から離れて行くことになる。

教団化された既成宗教は、どれをとっても、今や真の
リアリティー、スピリチュアルなリアリティーから
離れてしまっている。“(以上引用)
 
 そして、エドは独自な方法で、”万教が帰一する一つの真理”、
に たどり着く。

何故 独自な方法が必要だとかんがえたのか?
引用する。

“ 硬化している、既成宗教の枠組みで語ろうとすると、
その宗教の伝統 の 重みにからめとられてしまう・・・

伝統による人間の意識の束縛 は 大きすぎるほど大きい“
(以上引用)
 
エド独自な方法 とは、宇宙飛行士 という特権を生かした
ものだった。
なぜなら、

“ 宇宙空間に出れば、虚無は真の暗黒として、存在は光
として、即物的に認識できる。

存在と無、生命と死、無限と有限、宇宙の秩序と調和
といった、抽象的概念が 抽象的にではなく、即物的に
感覚的に 理解できる。

歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経て やっと
獲得できた感覚を、
”われわれは宇宙空間に出るという行為を通して容易
に獲得できた“(以上引用)
とする。
 
エドは 人間のエゴに対して落胆はしたものの、キリスト教や
既成宗教を越えたところの、宇宙の意思、
無限に進化をしていくエネルギーに触れた。

人間がエゴを捨て、宇宙意識を高めることで
宇宙の壮大な計画に協力できるだろうと確信する。

 だからこそ、次の確信を得て、こう、語るのだ。
 
“進化の方向ははっきりしている。
人間の意識がスピリチュアルに より拡大する方向に向かう
 
その時は イエスやブッダやモハメッドという、宗教の
開祖として方向性を示してきた先導者に、われわれ自身が
限りなく追い付いていくのだという。

ユングは、集団無意識 をわれわれ人類が共有しているとするが、
宇宙飛行士のエド・ミッチェルは 集団無意識 を ユングとは、
違う意味合いで こう使う。
 
“ 集団無意識の根拠は 人間が原始時代から蓄積した経験の
集積に求められるべきではなく、エゴから離れた意識の面 
において、すべての人間がそれぞれ神に連なっているのだ 
ということに求められるべきであると思う“(以上引用)

*すべての人間がそれぞれ神に連なっている”の言葉。

これが、植芝氏(前出)でも、池見博士(前出)でも
共通した、真の自分の定義である。

そして、自然治癒力も、この意識によって、無限に発動
され得るのは、私自身が体験している。



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参考文献: 宇宙からの帰還  立花 隆 著   中央公論社  1994年


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