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色即是空と空中無色・・ の矛盾? 2019年5月1日
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(*1) ただし、ホツマツタヱでは、この唯一絶対の宇宙創造神は、
地球上に、'8つの神'を創造されて遣わされたとある。
いわゆる、古代文明が栄えたとされる地が、それにあたると考えられる。
それぞれ、ト、ホ、カ、ミ エ ヒ タ メ と呼ばれる8神である。
そういう意味では、日本のみならず、世界の民も、一つの創造神から生まれた
ということをホツマツタヱでは、暗示していると思う。
(*2)この神によって、枝葉のように神々が現れてきたのだが、それ以後の神は ’姿(相)ある神’である。
現在の神話的物語で伝えられている ’~命’、’~尊’(みこと)と呼ばれている
神々は、ホツマツタヱでは、宇宙神から受け継いだ遺伝子の、無我の愛や
無限の智慧などの資質に加えて、人間的な五感要素で識別された行動が加わって
きていることがうかがえる。
よって、ホツマツタヱの中には、“神は人なり、人は神なり”と明記されている。
その意味から、アマテラス大神は、自我(エゴ)が過少で、宇宙絶対神に極めて
近い資質を持った神であったと考えられるのである。
(*3) 短いラインでこれを説明することは難しい。
もし、興味を持たれた読者のかたがいたら、ブログの”般若心経の扉”から
ご覧いただきたい。
’色’、すなわち物質は、’空’(質量ないエネルギーの動的本源)から生まれる。
これは、コンパスをあてて図形を描くように、円(現象物質界)の中心(空)と
描かれた面積を持つ空間(物質界)で示される。
’色即是空’ と説かれる一方、’空中無色無受相行識”とも説かれている。
つまり、’空’は’物質’(の大元)と言いながら、空の中には物質は無いと、
矛盾めいた一説が続く。
それは言い換えれば、’空’と’物質’は同一のエネルギーで現れるが、’空’を中心
として現れた現象世界(円の中)では、私たちが生きる上で必要な、五感感覚が
すべからく、本質のクウを観ることができない、歪んだ観方をさせていると
いうことでもある。
このあたりは、動物それぞれ、五感を持っているが、その能力が異なることを
みてもわかるだろう。
たとえば、犬の嗅覚や鳥の視角、などで、それぞれが、この世界を見ればまた、
違った観方をしているのに似ている。
よって、限られた能力の五感感覚で、私たちが識別してとらえられる物質・
または物資的現象は、本来の、存在しているもの(実在)を把握できないので、
私たちのとらえた”物質の姿”は”本来存在していない”~ということになる。
’空中無色無受相行識色’、つまり、物質のみならず、私たちの想いや、想いから
’行動’が生まれるが、それらも 本来の’空’のエネルギーとは異なり、存在して
いるようだが常に”無常2で、言い換えれば、実存する(永劫的に存在する)
ものでは’無い’と 般若心経では、一刀両断される。
引き続いて、具体的に心経には次のように説かれる。
つまり、”空の中には ’ムゲンジミゼッシンイ’”。
ゲンは眼、ジは耳、ゼツは舌、シンは見、イは心。
私たちの現象世界の、五感感覚、五感器官、目、耳、舌、身体感覚、意識
などは結局、夢想の世界、夢の世界の中のように、あってないものだという。
何が実存、本当に存在するのか?
それは 空 と呼ばれるエネルギーが実存するのだ。
時空を超えたエネルギーで質量はもたない(が量子物理学では時として質量
も図ることができる波動粒子がエネルギーと定義されている)。。
’空’のエネルギーの特徴は、生かそう生かそうとするエネルギー、
生かそうとする愛、生かそうとする善意、生かすために必要なコンピューター
より精密な智慧と知識(科学的にも)といえるだろう。
これが今現在、私たちの中に息づいているから、私たちは今、生かされている
わけである。
いいかえれば、五感の感覚で判断している、この三次元の世界でのさまざまな
在り様に振り回されて、本当の自分の内なる、’中心点’を探ろうとしないうちは、“妄想”の世界生きているのと同様だと、心経は教えている。
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