”滝行の意義への誤解的言い回し”に関して 2022/07/05
先の2022年7月1日の記事で、はじめ発表した記事の表題に、
’滝行や苦行で悟りは開かれない”という文言を付けました。
そのあと、それを消去して、本文に改めて以下のように、位置づけをさせて
いただきました;
”他にも、いろいろな方法で、病という、身体の不調和を消した人たちは大勢います。
多種多様の宗教があるように、本来の自分の姿に立ち返るためには、多くの
手段があるといえましょう。
滝行や瞑想三昧をする理由も、ここにあると思います。
徹底的に身を清めたり、下界の境地を魂の境地に、引き上げていくとき、こうした
様々な行を通して、本来の姿に立ち戻るということは、大いにあり得るのでしょう。”
現にお釈迦様も、悟りを開く前には、岩屋にこもり、大木の下で瞑想を重ねていた。
この表題をつけて、間もなく、私の尊敬する方たちの中には、実際、
滝行で身を清めながら、ご自身の実相に大きく近づいていらした方たち
のお顔が、浮かんだからです。
決して滝行を否定する意味で、当初、このサブタイトルを書いたのではなく、
あくまでも、’苦行をすることが、悟りの道への条件である’~と、世間一般に
信じられている常識を、否定することだったのですが、誤解を招く、言い方で
あることに気が付き、訂正させていただきました。
滝行や苦行をされて、神仏に近づく修行をされている方たちにとっては、
大変、失礼な言い回しになってしまいました。
訂正させていただき、配慮および考慮が足らなかったことに、お詫びを申し上げます。
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