天国にいては自分の”完全性”を、客観的に味わえない・・・5/23
***********************************
前回のお話を思い出しながら、今日のブログを読んでください。
①から⑤まで番号が振ってあります。
それをご覧くださいね。
さて、このお話に出てくる’小さな魂’は 今生きている私たち
のことです。
このお話の舞台は、まだ、生まれる前の神様の世界に居た時の
’魂’だった私たちがいた世界です。
そして、目的をもって、この世界に誕生してきたわけです。
その目的とは、この小さな魂の場合、”完全なる赦し”を体験したい
というものでした。
”完全な赦し”は、神様の特質の一つです。
天国にいては、その体験ができないのです。
①なぜなら、神が創造されたものはすべて完璧だったのです。
この意味は、神様の世界、つまり、天国は、この上なく平和で、
完全な状態で、魂も、当然、エンジェルのように、純粋無垢。
②私たちは、神の造った完全な一つの世界で、元々は、その
無辺の空間の中で 分子のように、互いに漂い、上昇したり
下降したり、左にも、右にも浮遊して、つかず離れず、
いつも、一体感をもって、寄り添っていた。
ような世界だったのです。
でも、
③そして、そろそろ、そうした一体感の世界から抜け出て、
それぞれが、神の最も偉大な部分を、個別に体験しようと、
地上に肉体の物質的衣をつけて生まれることを、決めた
とありますから、その完全さに浸りきっていては、ある意味
”完全”であることがわからない、幸せであることがわからない、
満たされていることが分からない…状態でもあったという、
裏を返せば、そういうことになります。
私たちの日常生活でも、同じです。
何か小さな不幸や、異変があってこそ、普段の生活の、
ありがたさが、身に染みるということと同様です。
さて、地上の生活は、二つの価値観がありました。
④’寒さがなければ、暖かさはない。
悲しみが無ければ、幸福はない。
悪がなければ。善はない。
善だけなら、赦し合うこともないし、悪があるから
赦す意味がはっきりする。
と、小さな魂の相棒を買って出た、完全な魂は、
”完全な赦し”を味わるためには、悪や不幸が必要だと
説明しました。
こうして、悪役を進んで買って出た完全な魂は、小さな魂
と地上では、敵味方のような関係で、関わり合いをもって、
生活することになったのでした。
でも、この取り決めは、天国でされたもの。
肉体衣をつけた瞬間、忘れてしまう宿命にあります。
私たちが、本当の私たちの純粋な魂の性質を、思い出せない
のも、この肉体地球服を着て、生まれる前の記憶を、神様
の恩寵で、一掃されて生まれてきているからです。
だからこそ、小さな魂の願いを叶えるための相棒役の魂が、
このように、付け加えたのでしょう。
⑤私が悪者になって、次の人生で、あなたを襲ったり、暴力を
振るったり、想像し得るかぎり悪徳の行為をしたとしても、
物質的(肉体を持った)あなたに、必ず、思い出して
欲しいことがある。
⑥たぶん、肉体の衣を着たら、今の約束も忘却の彼方となって
しまうだろうが、それでも、この役を買って出た、’本当の私’の意図”
を思い出してほしいのだ。
このお話を書きながら、この”本当の私”という言葉に、
ジーンとしました。
もし、今この瞬間、私が小さな魂だった時のことを思い出せ
れば、周りにいる身近な人たちはすべて、完全な、純粋な魂で、
それぞれの役を 約束しながら、生まれてきているのだと
わかるだろうと思います。
そして、誰もが、元々は、完全な純粋な魂で、一緒に天国に
居たもの同士と思えば、人間関係の軋轢がある人ほど、
もしかしたら、同胞なのかもしれない、ということも
言えそうです。
結局は、源の世界、天国にいた私たちは、細胞の一つの
ように、一体だったのでしょう。
そして、誰もが、”本当の私”を思い出してください!という
メッセージをもって、今、生きているのかもしれないのす・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます