エディ夫人のクリスチャンサイエンスに興味の或る方達
は意外と多いようだ。
薬と病の関係などをどうクリスチャンサイエンスで
扱うかなど以前 数回 ブログで取り上げた。
”読まれている記事の解析”によると、いまだに
エディ夫人の記事を読んでくださる方は少なくない。
以前、クライアントのMさんの投稿記事をご紹介させて
いただいた。
Mさんがどのようにして、8年間、体を横たえて寝る
ことができない状態から、医師も驚くほど、短期間に
限りなく健常者に近いところまで元気になったのだろうか?
様々の要因があるとは思う。
その中で、大袈裟に聞こえるかもしれないが、
Mさんの死をかけての自分の本質的心との対話こそ、
最もそれを、決定づける要素だと私は信じている。
Mさんは、半年かけて、アートマセラピーの論理も学ばれ、
薬と病と心は、一元論的な関係であることを身をもって
”知って体感して信念として”持つまでの 2年半だったと
いえるかもしれない。
エディ夫人の形而上的癒しについて たびたびご紹介して
いるのも、アートマセラピー他、究極の癒しには、一つの、
共通点があるからだ。
それは 共通した真理に基づく。
神(仏、創造主 生命力)という完全なエネルギーが
人には流れているから、不完全な状況は、
屈折した鏡に映る姿に似て、心の歪みをただせば
元気、円満、幸せが必ず、身体に反映するということだ。
病や罪は だから、”本来無いもの”だ というエディ夫人の
徹底した人間観につながる。
あるいは、すべての存在の中核にある、空 は、不生不滅
という般若心経の智慧にもつながる。
私たちの生命は”完全なまま、永劫に実在している”
のだから、肉体的物質要素は腐っても、本質の私たち魂と
ともに、生まれたとか死ぬ(滅する)というものではない。
さらに、エディ夫人は”クリスチャンサイエンス”と
名称をつけているが、そこに述べられている神(キリスト)
を仏(ほとけ)に、あるいは、Atma(古代インド哲学書
の中のアートマの概念)という、言葉に置き換えてみても、
”一元論思想”を基盤とする考え方に矛盾することは、ない。
私が こうした一元論に触れたのは、
アトピー性皮膚炎や、自律神経失調症で苦しんでいた
高校生時代に読んだ谷口雅春師の著書”生命の実相”だった。
薬や心、体と心、生命、死 そうした問題点が師の説く
一元論の展開ですべて論理的、かつ直観的に心に浸透して
いった。
さらに、それから二十年後にインドに居住することになり、
15年の勉学と生活の中で学んだ一元論の真実を確定的に
信じられる基盤が、谷口先生の”一元論”の学びに集約していた。
さて、薬物療法に関して 師は以下のように述べている。
著書から抜粋して引用させていただく:
”薬物治療法は’迷い’を持って’迷い’を制する治療法と呼ぶ。
病は神が造らないから本来無い、
無いものをあると思うのが、’迷い’である。
物質は生命でないから治す力は無い。
治す力のない物質たる医薬に治す力があるように思う。
だから’迷い’である。
この二つの迷いは、根本は一つの迷い~’物質に生命あり’
との迷いから出発したのでありまして、この一つの
’元の迷い’から人間は肉体と称する物質だという
’迷い’が出てくる。
この二つの迷いの力が互いに 衝突して、中和したような
状態になる、これが薬物治療そのの他の物質的治療によって
病気が一時 消滅したように見える理由なのです。”
ここで、エディ夫人の薬物に対する考えを想いだして
くださる読者もいるだろう。
’薬物は一つの病気を治すためにまた別の病気を造る’
(Medicine cures disease byproducing another)
と言う言葉である。
ほとんどの薬の成分は毒物を含んでいる。
それが 薄められて服用することで何故病気を制するか
といえば、結局は’その薬は効く’という心理的な安心感
によって、自然治癒力が活発に働くからと エディ夫人
は述べている。
日本のみならず世界中の多くの心或る医師達が 追跡
調査などを行い、薬を飲まずに、安心感を与えて
放っておいた方が、その後の経過も体の回復も早く、
副作用がない分、健康的になっている多くの実例を
発表している。
とは言っても、現代の薬業界や医学協会との関係
から 学会で発表することを含めて、一般的になかなか
それを認められることは難しいと思う。
谷口師は、半世紀も前に すでに、世界各地からの
こうした報告をまとめて著書に記している。
引用する:
”かつて、米国のアラバマ州の名医 エームズ博士
はニューオルシアンの’内外科医学雑誌
(Medical and surgeon journal )に自己の臨床上
の経験と観察とを公表して、
’肺炎の治療において、普通の薬物治療を用いた場合
かえって、患者は苦痛を訴え、病気を増悪し、
治癒を完全にすることを遅らせた。
かかる患者は突如衰弱したり、余病を併発したり、
快方に赴いたような兆候を見せつつ、突然死の
転帰を見た’といい’肺炎の治療にアンチモニー剤を
用いて死せるものにつき、その死体を解剖せる
所見によれば、胃および小腸に致命的な炎症を
起こして、薬物中毒の兆候 歴然たるものが
あった。
で、かくのごとく、激烈な薬物を排して、単に
自然療法を喚起するだけの、温和な治療法を行う
ようになってから、患者は決して余病を併発しなく
なり、死の転帰を見るものひとりもなかった。’
と告白しているのであります。
もっともこれは、サルファ剤やペニシリン在の発見
せられなった当時の肺炎の治療でありますが、
サルファ剤には、’第九日事件’と称される副作用が、
服用または注射後、いつかかなり後に原因不明の
症状として現れる。
’病気の転位’ということは有名であり、ペニシリン
は無害と言われていますが、毒性をともなう、安息
香酸と併用されるのであります。
ともかく、激烈な薬物を用いて 自然治能力を
混乱させるくらいならば、無薬と 信仰による精神
の安静が最も良いと言わねばなりません”
次に掲げられている例は エール大学医学部教授
ウィリアム・チューリー博士の講演筆記に基づく。
かつてコネチカット河付近の部落に チフス性肺炎が
流行して医者にかかった患者はすべて死亡して医者は
患者を治しているよりも殺しているに相違ないという
外観を示したことがあった。
実際その部落の住民は医者こそわれわれの病気を悪く
するものといって、こぞって、医者の治療に反対して
州の法規にもかかわらず医療を拒絶した。
博士のレポートによると、
”ところが、その部落の住民が医療を受けないに
至って以来、患者にして、死の転帰をみるものは
全然なくなった”と報告されているという。
この報告をもとに、谷口師は当時バキューム・オイル
会社に勤めていた同僚の事務員を救っている。
その女性は、3か月の安静加療を要する肋膜炎と
いわれ落胆していた。どのように 見舞いに行った折
励まして、病状が改善したかというと、
”心の法則を知り、人間の生きる力の神秘を語り、
どうせずとも 病気は治らざる得ないという真理
を語り”心の薬を与えたと記されている。
この女性は 師の話を聞いて納得し、それから
三日目に入浴しても疲労を感ぜず、一週間後には
”医師が 病患のあった肋膜は左側か?右側か?
判断に苦しむほど治っていた” という。
谷口師はチューリー博士のレポートに基づいてこう
述べる。
”私はあえて、この種の診断を下して患者を意気阻喪
させる医者に問いたい。その患者は肋膜炎であった
かもしれない。
しかし、あなたが患者に与えた精神的打撃はその投薬
の治す力の数十倍も病気を増悪する効力をもっている
のである。
心で病人を殺しつつ、薬で病気を治すと称しつつ
多額の訳代や治療費を徴収しているのが、
心の法則を知らない医者の常套手段といえる。
米国コネチカット州の住民と同様、医療に反対して
立った時の方がかえって、病気が長引かない。
しかし、心の法則を知る名医はすでにその間の
真理を知っていて、心にも光明の薬を飲ませてくれる
のでその場合はその限りではない”
初期に書いたブログに、内田医師の生命医療現場
からの報告とともに 同医師が心と体の研究が
これからもっと進んでほしいと感慨を深くされて
いることをお伝えした。
内田医師の体験では 癌患者でさえ心の持ちようで
癌を体外に喀血とともに排出した実例を挙げていた
が、当時はまだ、心との相関関係が癌患者に適応
され得ないとする意見が主流で内田医師も自分の
考えを主張することはできなかったと著書に書いて
いる。
しかし、近年では、物理学の研究とともに、
物質の根本的研究がすすみ、現場にも そうした
これまでの考え方に変化が生じているようだ。
参考文献)生命の実相 第三巻 日本教文社 昭和37年初版
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