私長生きするかも・・・ 平成25年3月23日
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母の ”私、長生きするかも・・・” という言葉の
背景に アガスティアの葉での、カルマ清算の
お祈りが功を奏したかもしれない~というお話しを
昨日のブログでさせていただいた。
最近の母は 以前より、生きるということに、
意欲的になったのは確かのようだ。
こうした肯定的人生観の言葉が 聞かれるまでの過程が
紆余曲折していた。
今日はそんなお話しをさせていただきたい。
介護の体験をされた人の話や 介護職員のかたお話し、
要介護2の母と接して、最近、感じることがある。
それは、”自分が認知症に入ってきている” という
事実を認めるまでにいたる段階が、次に述べるプロセス
と似通っている ということだ。
この段階は、E・キュープラー・ロス医学博士の
死を目前に控えている患者の、意識の変化として、
ホスピス的 医療現場で 実施、分析された結果でもある。
死を迎える患者たちが、それに対して反応する感情のプロセスだ。
それは、
否認の段階、
怒りの段階、
取引の段階
鬱の段階(絶望)、
受容の段階
の5段階であり、その順序 は 人によって、多少ずれることがあるにせよ、大方の一般例として
当てはまるようだ。
この段階は、良く考えてみると、母の、認知症と診断されて、
現在にまでいたるプロセスであることに気が付いた。
実母の場合、それぞれの段階を、エピソードとともに、鮮明に思い出すことができる。
1.否認の段階
父を亡くした当初。
脳の委縮による、認知症の発生を認めたくないという段階。
”私は、今まで、こういうこともできた(してきた)。(たとえば、)お父さん(夫)を支えて
経理も一切してきた。税務署の書類もまとめ、経営もお父さんを支えてきた。”
という、母の自負があった。当時は、私が16年の印度海外生活にピリオドを打ち、
不安定になった母と同居し始めたころだった。
”私のできる領域に 簡単に、あなたが、入ることは許せない。私が死んだらにしてね、
そしてら、あなたの好きなようにすればいいのだから、
こうして、同居してもらう必要だってないんだから!”
父は平成17年に亡くなった。母は、見る見るうちに、感情が不安定になってきたのを
娘として、見逃せなかった。
当時は、まだ、認知症の検査も行っていなかった。
母は、鬱状態になると、自殺をほのめかしたり、いきなり、家に内鍵をかけられて、
私は何度か、家から締め出されたこともあった。
そんなときは、当時、主人の赴任地であった、神戸まで最終新幹線で、ホテルに泊まるわけにもいかず、
行ったこともある。
母は、上述したように、スイッチが入ると、感情的になり、ヒステリックにさえなった。
自分が少しずつ変わっていく、以前と違っていく、何かが、壊れていくという自覚とともに、
冷静さを欠くことが多くなったように思う。
すでに、認知に入りかけていた母は、集中して、部屋を片付けることができなくなっていた。
いつの間にか、母の部屋がゴミ屋敷の一部屋に変わる。
8畳の部屋には、新聞のちらし、出前の古いメニュー、何十年も前の書類、期限切れの契約書、
何年も前に出かけた旅行のパンフレット、家族と食事したときの、古い割烹の箸入れの紙、などなどが
テーブルからはみ出して、畳に広がり、足の踏み場がない状態になっていった。
私が、それを片づければ、いつの間にか、”何かを”盗んだ犯人となってしまった。
物を盗みに来ているという、思い込みが、幻影に代わっていった。
そのうち幻覚がともなって、私が夜中に来て押入れを開けて、”何か”をごそごそと、部屋を荒らしながら、
アレを取った、コレをとっていった と苦情をもらすようになり、110番の緊急電話をかけるたびに、
警察が何度か母のもとに訪れたのもこの頃から始まった
2. 怒りの段階
母が、自分自身に対して 怒っている姿を良く見た。
自分の頭を 両手にげんこつを握って、ボコボコたたいて、”こんな頭、ダメだ!”と ヒステリックになる様
を何度もみた。
あるいは、重くなって だるくなった、足に、イライラとして、”こんな足、切り取ってしまいたい”と
わめきながら、その足をガンガンとこぶしで叩いて、自暴自棄のようになる姿も良く見た。
電話をしようとして受話器をとったがいいが、なかなか先方に通じないと、涙声で
”ああ、もう、電話もかけられなくなった!” と叫んで、壁に、受話器を叩きつけていた状況を想いだす。
その頃の母は、電話のプッシュボタンの押し間違いが多く、先方に一回で通じることは少なくなっていた。
その度にイライラ感が昂じるから、余計に、間違える。
プッシュボタンをなぜか、一つ 押し違えたり、押し忘れたりするたびに、
”ただいまこの電話番号は使われていません。もう一度お調べになって・・”
とテープの声が繰り返される。
自分が 普段できていたことが 少しずつ、できなくなっていることに対しての、
自分自身への不安、それを認めたくないのと同時に、周囲へ 八つ当たりの怒りとなって
出てくるかのようだった。
3.取引の段階というのは、日本語的に少し不自然な気がするが、本来は、医者に対して
痛みを軽減してもらいたいということで、病人が言葉づかいや、言い回しを考えて、医者との駆け引きを
する段階をいう。
認知症の場合は、周囲に同調してもらい、自分への風当たりを良くするために、注目や同情を
ひきつけようとする。
その無意識で意図的行為が 駆け引きのように、行われる。
たとえば、介護してくれる人の不満を言ったり、自分が今、いかに困っているか、ケアを十分にされていないか、
などを 周囲の人に言う感情につながるだろう。
もっと、攻撃的になると、警察などに電話して、大掛かりに 周囲を動揺させ、本人への注目を
大きくさせることで、どこか、”自分を守る”という 心持が満足させられていくようだ。
自分の存在に対しての、周囲への アピールが成功したという満足感を感じ取るのかも知れない。
自分への無視、無関心、それらが、病人の痛みと同様、母にとっては、きっと、耐えられないからだろう。
3年前の母;おばあちゃんからのプレゼント、初めての孫の背広姿を喜んで・・
4.鬱の段階(絶望)
この段階は、実母の場合比較的 早かった。父を失ってから、始まったので。
自殺 をほのめかし、”早くお父さんのところへ行きたい。生きているのに 何の楽しみもない、
苦痛で退屈の毎日だ、” の言葉を聞かされる日々だった。
たぶん、つい、最近までこの言葉は、聞かされていたと思う。
先日も、お世話になっているお寺の住職様の奥様に、父の7回忌の法要の打ち合わせで伺ったとき、
毎回 母の口をついて出るこの言葉を、御住職の奥様は聞き洩らさなかった。
ご住職の奥様は、その言葉を聞くや否や、母に、喝 を入れられた。
”お母さん、早く逝きたい~なんて、口に出して言っても 心で思ってもだめですよ!
命はいただいているの、生かされているの、
自分でどうにもなるものではないのですからね。
生かされている命をいただいている以上、お母さんの、この世での、お役目はまだ
残っているということなのですよ!”
5.受容の段階
母は 寂しいのだと思う。
誰でも 生きている上で さびしさを感じない人はいないのだろうが・・・
そろそろ、そんな母も、受容の段階 に来ているのではないかと 感じることもある。
それは、母が自ら、決して、認めたくなかった、”わたしは、頭の病気にかかっているみたい”とか、
”ふつうと違う状態の私の時が多いの”、という言葉を口に出して、認めるようになったからだ。
”ねえ、私、最近へんなの。5分前のことも忘れてしまうのよ” という母。
”みんなそうなるのだから お母さんだけじゃないから” と、私。
”確かに忘れっぽくなっているけど、皆、私たちも、お母さんみたいに、いずれは、
なるのだから、お母さん一人 特別じゃ ないんだからね。”
すると、母は、安心したようになる。それで、いいんだ と肯定されて、安心するのだろう。
そんな、会話が 最近多くなった。
こうして、”自分がおかしくなったけど、大丈夫”と 周囲は認めていることを知ると、
怒りもだいぶなくなり、死にたい願望も 最近は、あまり聞かなくなった。
むしろ、”あなたに悪いけど、私、長生きするかもしれない” という言葉も出てきた。
今 を受け入れる。まわりが 自分を サポートしていてくれる。
誰も、自分のことを 迷惑だ と感じていない。むしろ、自分が元気でいることで、人が喜んでくれている。
残りの余生、何も心配することなく、楽しく笑って過ごせばいい。
そんな当たり前のことを、少しずつ、わかっていってもらうために、
これからも、ケアマネの Fさん、また、介護施設のスタッフの皆様
さらに、介助サービスセンターの方達の助力をいただきながら、
毎日 できるだけのことをしていければ と 望んでいる。
亡き父とそっくりな 父の弟と・・・・
”お互い、いつまでも、元気でいたいね・・・”
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