哲学と頭の体操 平成25年3月24日
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スリ・ユクテスワはヨガナンダ師の師匠にあたる。
哲学が実際の生活に生かされず、さびた勲章のように、
プライドとともに揺れ動く、無用の長物になっている人を
揶揄(やゆ)して 次のように述べる;
”こちこちの物知りには本のカビの匂いが染みついている”
さらに
”彼らは哲学を優雅な頭の体操だと思っている。
その口にする高尚な思想とは逆に、自分の行為は下劣で、
また、
きびしい内的修行には、何の経験も持っていない”
この言葉を聞いて、耳が痛いかたはいないだろうか?
筆者がその筆頭かもしれない、
師の言う、内的修行 とは、自分の心の中に目を向けて
反省を重ねながら、自己の純粋化をはかることである。
行動と心と言葉の不一致を見るたびに、
今更ながら反省を促される毎日だ。
ヴェーダの聖典には、その心構えが さりげなく説かれている。
“聖典の言葉を たくさん覚えること と理解することとは、
まったく別だ。
聖典は、一句一句をじっくり味わってみにつけるならば、
霊的悟りを得るための意欲を刺激するうえで、役立つが、
単なる物知りになるための研究は、いくら積み重ねても
生半可な知識と偽りの満足が得られるだけで、
悟りを得るための役にはならない。“
古代インドでは、集中詰め込み授業や 知識の丸暗記といった、
現代的な授業形式とは ほど遠い授業が展開されていた。
それは、ダブル・バラヴという著名な教師の授業法を、
ユクテスワ師が見学してその印象を語っていることからわかる。
“生徒たちを森の静かな場所に集めて座っていた。
彼らの前には、聖典バカヴァッド・ギータが開かれていた。
彼らは、約30分間、一つのページに じっと目を注いていた。
それから、眼を閉じた。
こうして、また、30分が過ぎた。
すると、先生は短い注釈を施した。
彼らは身動きせずに、また、一時間黙想した。
そして、最後に先生が言った。
‘どうだ、この一節の意味がわかったか?’
‘はい、わかりました、先生’
生徒のひとりが答えた。
‘いやいや十分にはわかっていない。
これらの言葉の中には、何世紀にもわたって、インドをたえず、
若返らせてきた、霊的活力が秘められている。
それを探しなさい‘
沈黙のうちに、また、一時間が過ぎた。
ダブル・バラヴは生徒たちを開放させると、
スリ・ユクテスワに向かって尋ねた。
‘師よ、あなたは、バカヴァッド・ギータをご存じですか?’
‘いいえ、まだ、ほんとうには、・・・目と心では何度も
読んだことがありますが’ と ユクテスワが答えた。
‘この問いに対して、私は十人十色の答えを聞きました。’
偉大な賢者は、スリ・ユクテスワを祝福しながら、こう答えて
ほほえんだ。“
実際、スリ・ユクテスワ師 も これと、同様の教え方をしたと
ヨガナンダ師は 著書の中で、回想している。
“一つの真理に対する確信が、単に、頭脳だけでなく、
自分の全存在の中で滲透したとき、はじめて、
その真理は、自分のものになったといえる。“
というのが ユクテスワ師の信念だった。
それは、言い換えれば、百のヴェ―ダの句(フレーズ)
を覚えても、実際その人が 神よ と 心の内に、
語りかける気持ちが なければ、
そして、神こそ、自分の中にある、
実存の異名であることを体感しなければ
意味がないということでもある。
それはこの上もなく、単純な真理である。
それでいて、その単純さは、理知主義に偏った、
知識偏重の学者たちには、かけ離れたものだという。
彼ら学者たちが いくら聖典を学んでも エゴの上塗りをして、
尊大さを増すだけで、真の自己意識への到達から
離れるだけだとユクテスワは言うのだ。
こうした大師たちからみると、人の価値を判断するのに、
おおまかに、二種類にわけられるという。
それは、
”神に無関心で、悟りに至る智慧に無欲かつ、高慢な人”
と、
”神を求め、悟りの智慧に貪欲でかつ、謙虚な人”
の 二種類だ。
どんなことに向かっても、どんな人に会っても、
落ち着きを失わない人こそ、
聖者の証だという、シンプルな言い回しがある。
それは、自分の本質を知っているから、腹も立たず、
相手の立場を理解して、
それなりの対処ができるからだ。
自分の心を治めることにも通じる。
怒らない人、それは、スリ・ユクテスワに対する、
ヨガナンダ師の観方でもある。
“わたしはときどき、先生がもし、その心を
世俗的野心や栄誉に傾注されていたら、
世界に名前を馳せる、武将にも、皇帝にも、
容易になれたであろうとつくづく思う。
しかし、先生は、人間の至高の目標を求めて、
内なる怒りとが欲の牙城(がじょう)を
粉砕する道を選ばれたのである“
と著書に記している。
続く・・・
参考文献
あるヨギの自叙伝 パラマハンサ ヨガナンダ著 森北出版 1994年
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