自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

原因不明の病~検査結果データの不思議

2019年10月10日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

熱中症・生活変化・体の硬直

                                2019年 10月10日 

 

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 注意) ここに掲載した写真は家族の了承を得て本人様の

プライバシーに影響がないように配慮して掲げさせて

いただきました

 

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10月に入ってからも暑い日があった。

特に10月4日は、東京で33度まで上がり、真夏並みの暑さとなった。

観測史上、最も熱い10月を記録したようだ。

 

ただでさえ季節の変わり目には、体調が不安定になる人が多いのに、

こうした猛暑がらみの天候で体の適応がなかなか追い付かない。

 

異常気象と言われ、特に、高温が続く気象が続くと体にどの

ような変化が起きるか?

気功的には、気の流れがスムースにいかなくなり、熱から体を

守ろうとする反動で体が硬直化するようだ。

 

それに加え台風が頻繁に発生していて、湿気が多い。 湿気が

過多の空気は、皮膚呼吸に負担を増加させ、カラッと晴れて

いる日に比べ、皮膚呼吸に余計なエネルギーを費やすことになる。

なぜなら、湿気が皮膚の上層膜を覆い、正常な呼吸を妨げるからだ。 

皮膚呼吸が損なわれる反面、肺などの呼吸器はその分、余計に

働くことになるから、呼吸器系の器官に疾患があったり、

弱い人は体が何となく重く、かったるいという感じになりがちだ。

 

熱中症 という現代病はこうした異常気象気の中で生まれた。

それを防ぐには湿度と温度の調整が必要だ。 

そのために、冷房を適度に使うように夏の天気予報などでは

力説される。 

体が硬直すると怖い、体を流れている順気が滞ってしまう。

硬直した体では、内臓機能が低下していくから時には、

湿気と高温の中で命を失うこともある。

 

はるか昔、私が結婚前に、会社勤めをしていたころは、

冷房が社内でガンガンと効いていて、寒い位だった。

その時は、足腰が冷えすぎて順気に悪影響を及ぼす冷房病

という言葉があった。

ところが、今は、冷房を効かせていないとむしろ体に危険な

ことがある。当時と比べると冷房の活用性が異なっていることに、

時代の気候的変化を感じる。

体に影響を与える要素は、気候のみならず、生活習慣の変化も

あるうだ。

生活習慣は当時とだいぶ変化しているから、 習慣病という言葉

が生まれてくる昨今、昔とは、体の整え方も違ってきている。

 

 

戦後間もない頃の日本人の体形は現代より小柄でも、今より

筋肉もついていて、運動能力もあった~と、最近のニュースで見た。 

全国的に現代の子供たちは体力的には当時の子供たちより劣って

いるという結果が出ていた。

それが生活習慣からきているとある人が解説していた。

確かに、ひと昔前はどの家にも畳の部屋があり、そこでは客人と

向かうのにも食事をとるのにも、子供たちを叱るときにも、家族は

正座していた。

正座すると立ったり座ったりするときに、足腰に負担をかけるから、

それが自然と運動になり、その部位の筋肉を強くしていた。 

さらに当時のトイレは日本式便座がほとんどだったから、やはり、

足腰の筋肉が日常生活の中で使われる機会は今より多かっただろう。 


子供たちの遊びの形態も、今と異なっていた。 

近所とは付き合いもあったし、空き地があり、親たちは学校から

帰宅した子供たちが戸外で遊ぶことに頓着はなかった。

誘拐とか悪戯とか、周りの大人たちがそれとなく気を使って

いたから、あまり起こらなかったし、塾とか習い事とか

今ほど盛んでなかったから、のびのびと、鬼ごっこやかくれんぼなど、

自然と子供社会の人間関係やルールを学びながら、育ちざかり

のエネルギーを発散させることができた。

今の子供たちは対照的に、携帯電話と一日にらめっこしながら、

体をうごかさず、椅子に背中を丸めて座っているから猫背になり、

姿勢が悪いから内臓にも悪影響を及ぼし、体力や持久力が

劣ってきている~と専門家は指摘する。 


ゲームや携帯電話を相手に一人の世界に黙っていることが

多いから、言葉を交わし、気づかいをしながらの人間関係に

手な子供が増えて、引きこもりなどという言葉が生まれてきた。

 

便利な世の中になった。

同時に、大人も子供も、あまり、体を動かさず、豊富な食糧が

いつでもほしい時に手に入る時代になったわけだ。

コンビニ弁当やファーストフッドのように、いつでもどこでも、

手軽に食事を済ませられる世の中になり、 添加物の多い食品と

栄養のバランスがとれない偏食型の食事で、先進国ほど、

肥満児が増えてきているのが社会現象になってきた。

 

食物は無ければないなりに、体がある程度それを補充すること

ができる~というのは本当だ。 

そうした環境のほうは、小食でシンプルな素材を生かした

食事で満足するから、むしろ健康的だといえる。

 

それを証明するようなことが私の身近に起きた。

私のクライアントがこの夏、あることが要因して固形物の

食事がほとんどとれなくなった。

どうにか水分は補給していて、アートマセラピーで脳を

ほどくことによって、少しずつ、流動食が食べれるようになった。

それでも、ヨーグルトや果物をミキサーにかけたものを

混ぜて 一日三回飲むのが精いっぱいだったが、

二か月もすると、目に見えて痩せてきて体力が低下して

きたので、脱水症を疑った家族は夏の暑い盛りの日に、

救急車を呼んだ。


救急隊もその姿を見て、入院が可能な病院に電話をかけて

体力が回復するまでの処置の必要性を認めたようだった。

国立機構だったS病院の救急外来に運ばれた。

まず、体の内臓その他、レントゲンを含め、検査が即行われた。

一時間ほどの間に、結果は出たが、栄養状態は良好、体も

データ的には異常な数値は見いだされることなく、

点滴を1時間、打っただけで、脱水症状もないという結論

で家に帰された。 


これは生命力の働きの実に不思議な技だと私は考えた。

確かにその人は2か月近く固形物としての食事をとらない

ばかりか、わずか毎日に300ML程度のスムージーを半月の

短い期間、飲んでいただけなのに、栄養も問題なし、

脱水症状も起きていないという理論的には納得がいかない

現代医学の検査結果しか出なかったのである。 

 

体の不思議な技(わざ)、それは、食べ物が十分にいきわたらず、

制限された量で体内に入ってきたとき、

その栄養を体に蓄えようとする働きだ。 病やそのほかの

理由で極端に食べ物が制限されたとき、

体の生命力がそれを察知して、入ってきたわずかな栄養素を、

肝臓などに蓄えるのだ。

さらに、足らない栄養素を自らの体で再成する働きもある。


タンパク質豊富な食事をとらなくても、炭水化物主流の

食事から、ある程度必要なたんぱく質成分を

体内で造りあげてしまうという奇跡的なことも起こりえる。

まさに、このクライアントの場合がそうであった。 

物とわずかなヨーグルトと水分、はちみつ、塩を混ぜた

150㏄の一回の食事で、タンパク質が十分に

足りているという判断が下されたからだ。 

体力が低下してきているのにもかかわらず、健康という

レッテル、少なくても異常がないという診断で即自宅に

送り返された。 


行きは救急車の隊員4人がかりでタンカーで病院に運ばれた

彼は、帰りは健康体ということで、タクシーのシートに

横たわり、家前に到着、玄関までの数段の階段を

手すりを頼りにやせ細ってしまったが、動かすには

重い体をやっと運び、部屋にようやくたどり着くや

いなや、ベッドに倒れ混むように横たわり、苦しそうに息

をはずませて、大きなため息をついた。

 

その様子を付き添ってみていた私に疑問がわいた。

健康とは何か? データ上、良い数値とは何か? 

異常がないという診断は何か?

の質問が頭の中をくるくる回っていた。

逆の質問もある。 

健康でないとは何か? 

データ上悪い数値とは何か? 

そして、異常があるというのは何か?という素朴な質問である。


因みに、この方はそれから半月後には要介護認定を受け

る手続きをとるほど、体力が落ちたものの、精密検査

では異常がないので医薬も出せず、地域包括センターの

人の話では要介護3か4に匹敵するだろうという話である。

  

起き上がれず、訪問看護で髭剃り、ヘアーカットをしてもらう。(9月23日)

 

余談だがこのクライアントにアートマセラピーを施しては

いたものの、途中で手が離れてしまった。 

本人が本当によくなりたい、元気になりたいという意志と意欲が

なぜか、見られないためであった。

それは家族も不思議がっていた。 

まるで、自己処罰のために あたかも 自ら病の身に

甘んじて 身体の不具合を良くしようという意欲を起こすことなく

いるような気配さえ感じられたからだった。


因みに、いくつかの病院で検査を受けたが、内科的、神経的、

脳外科的には異常はなく、適宜な診療を受けるために心療内科

を勧めた医師が数人いた。

だが、本人が、自分のことを心療内科の医師に精神的背景として

語ることを拒んだために実現しなかった。


そうこうしているうち、胸苦しさは強くなり、7月15日に

セラピー後、バスで買い物に行けた体が、2か月後にはトイレに

たつことも不能になる体となってしまった。


9月18日 救急車でS病院に運ばれ救急外来でレントゲンと

検査を受けた。

驚いたことに、栄養状態もよく、どこにも医学的異常数値

は見いだせない。

レントゲンの体の内部も極めて綺麗だ。

どういうことなのか? 謎なのだ。

 

 

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